タレントの萩本欽一とお笑いコンビ・オードリーの若林正恭が、5日(20:00〜)に放送されるニッポン放送 『欽ちゃんとオードリー若林のキンワカ60分・2!』でパーソナリティを務める。

  • 左からオードリー・若林正恭、萩本欽一 =ニッポン放送提供

収録はまず、2人の番組タイトルコールからスタート。息ぴったりのタイトルコールに萩本は「なんの稽古もせずにこれができるのは芸人」と満足そうな表情。「今まではただのタレントだったけど、これからは芸人!」と話すと、若林は「やっと芸人と認めてくれた。 すごい嬉しいですよ!」と冒頭から江戸っ子の2人らしい勢いのあるやり取りが繰り広げられた。

若林は前回の番組を聴いた母親から久しぶりに怒られたことを萩本に報告。若林の母親が東京に出てきたときに、萩本のテレビだけが楽しみだったらしく、「萩本さんのこと“欽ちゃん”って呼んだらダメよ」とLINEで怒られたことを話すと、萩本は満面の笑み。若林は「でも、“欽ちゃん”はやめないよ」と続けると、萩本はさらに笑顔を浮かべていた。

また、学生時代の話では、若林が「欽ちゃんは小学生、中学生、高校生とクラスを笑わせていたんですか?」と質問。萩本が「学生時代は友だちを作らず植物園に行って、絵を描いていた。喋らずにすむから絵描きになろうと思っていた」と明かすと、若林は驚きの表情。では、なぜ、萩本は芸の道を目指したのか。その理由は「貧乏」だったからだという。

萩本が「一発勝負だ!」と進んだ芸の道。その出発点、浅草・東洋劇場(現・東洋館)での修業は3年に及んだそうで、萩本は「3年間、客席を一度も笑わせたことない」「自分宛てのハガキが来たと思ったらクレームだった」とキッパリ。若林は思わず、「その3年間を今振り返ると、苦しかったですか?」と尋ねる。

すると萩本は「苦しくない!」と即答。「小さい頃に伝記をたくさん読んでいて、みんな最初はつらい目にあっていた。むしろ、いけるんじゃないか!」と語り、その前向きな考え方に若林も感動していた。

番組では、その後も萩本の東洋劇場時代、若林のショーパブ時代の話など2人の「芸」の原点となるトークをはじめ、 60分ほぼノンストップで丁々発止のトークを展開。最後は萩本から第3弾を期待させる「3回目」の言葉が飛び出すなど、大盛り上がりの収録となった。