迷ってしまって決められない、あるいは考え過ぎてしまって行動できないといったとき、みなさんはどうするでしょうか。自分のなかになんらかの「判断基準」を持っているでしょうか?

 習慣化をベースに多くのビジネスパーソンのサポートを続け、著書『書く瞑想 1日15分、紙に書き出すと頭と心が整理される』(ダイヤモンド社)を上梓した古川武士さんは、自分の心に正直に「好きか・嫌いか」で判断することがもっとも大切だと語ります。

■プラトンが示した「真善美」による判断

ものごとを決められないというときに、なんらかの判断基準があると楽になります。たとえば、「真善美」によって判断するというのもひとつです。これは、古代ギリシャの哲学者であるプラトンが、「人間の精神が求める普遍的な価値の在り方」として示したもの。少しわかりにくいかもしれませんが、判断基準として用いるのは簡単です。

ひとつ目の「真」とは、「真実」や「真理」を意味します。簡潔にいうなら、ファクトとなるでしょうか。たとえば、コロナ禍における自分の感染対策を決めるとしましょう。新型コロナウイルスは、いわゆる3密の状態では感染しやすいというファクトがあります。

そうであれば、「3密の状態はなるべく避ける」という判断ができますよね。「真」による判断とは、このように一般的に正しいとされるファクトに基づく判断です。

ふたつ目の「善」は、「善行」や「善意」のこと。他人と社会生活を営むわたしたちにあてはめると、社会のルールだとか思いやり、気遣いといったことになります。駅の階段で重そうな荷物を抱えている高齢者を見かけたとしたら、わたしたちはこの「善」に基づいて「荷物を運んであげるべきだ」といった判断をします。

最後の「美」は、わたしたち一人ひとりの内側にある「美意識」です。ただ、これはただ「美しいかどうか」という意味ではありません。よりシンプルにいうならば、「好きか・嫌いか」による判断です。美術館で絵画や彫刻を観たとき、それを好きと思うか嫌いと思うかは個人の自由な領域に属します。同じ美術品を観ても、好きと思う人もいればそう思わない人もいるのは、人それぞれが異なる「好きか・嫌いか」に基づく判断を持っているからです。

■よりよい人生を歩むために磨くべきは、「美」による判断力

「真」「善」「美」の3つは、なにかを判断するときにはそれぞれが力を発揮してくれるものです。わたしはこのなかでも、3つ目の「美」、つまり「好きか・嫌いか」による判断をとくに意識してほしいと思っています。なぜなら、「好きか・嫌いか」による判断こそが、人生をよりよくしていくための重要な鍵となるからです。

みなさんは、なぜなんらかの判断をするときに迷うのでしょうか? それは、「よりよい判断をしたい」と考えているからですよね。そして、意識しているかどうかはともかく、その先には「よりよい人生を歩みたい」という思いが必ず存在します。誰だって、判断を誤ってわざわざ人生を悪い方向に導きたいとは考えません。

でも、先の美術品の例でもそうですが、すべての人にとっての「よりよい人生」など存在しません。「いまは世の中でこんな生き方がいいとされている」といわれたところで、自分自身が心から「そういう生き方をしたい!」と納得できていなければ、そんな生き方を目指すわけもありませんし、たとえその生き方をしたとしても、幸せを感じられないでしょう。

だからこそ、「よりよい人生を歩みたい」と思うのならば、あらゆる場面において「好きか・嫌いか」による判断をしてほしいのです。

ところが、多くの人にとってはこの「好きか・嫌いか」で判断することはそう簡単ではありません。大人になると、どうしても「やるべきかどうか」「あるべき姿かどうか」といった基準で判断しがちだからです。よって、頭で「考える」のではなく、心で「感じる」ことを優先してください。

■心で感じるための、「好きか・嫌いか」から派生する「7つ質問」

ただ、そうはいっても、なかなか心で感じることを優先するのは難しいと思います。そこで、心で感じて「好きか・嫌いか」によって判断するための手助けとなる質問をいくつか紹介しましょう。それは、「好きか・嫌いか」を含む以下の7つです。なにかに迷ったとき、これらの問いを自らに投げかければ、頭で考えるのではなく心で感じて判断をすることができるはずです。

【「美」によって判断するための「7つの質問」】
1.好きか・嫌いか
2.やりたいことか・すべきことか
3.乗るか・乗らないか
4.楽しいか・つらいか
5.ワクワクするか・しないか
6.自分に合っているか・いないか
7.心の底から深く求めていることか・そうでないか

ご覧になればわかるかと思いますが、これらの質問はすべて「好きか・嫌いか」の派生形といえます。「やりたいことか」「乗るか」「楽しいか」など質問文の左側は「好きか」に準ずるもの、右側は「嫌いか」に準ずる内容です。「好きか・嫌いか」で判断しづらくなっている人も、判断を迷ったときにこれらの質問を使って自問すれば、心で感じて「好きか・嫌いか」による判断をすることができます。

■「好き」という感情に基づく判断が生む、「可能性の広がり」

ただ、こうして7つの質問を羅列すると、「(社会生活を営む)大人にとってやるべきこと」を遠ざけ、だらしない人間になってしまうのではないかと心配する人もいるかもしれません。でもわたしは、自分の本心でないものは遠ざけてしまうべきだと考えます。

「英語を学びたい」と勉強をはじめた人がいるとします。最初は質問2でいうところの「やりたい」という気持ちではじめたことだったのに、いつの間にか義務(「すべきこと」)のようになってしまって勉強に対して楽しさよりも苦しさを感じているというケースもあるでしょう。そんな苦しい勉強をいくら続けても成果は出にくいですし、人生の幸福度を下げてしまいかねません。

また、「好きか・嫌いか」の「好き」で判断したことは、たとえ失敗に終わったとしても後悔することは多くないと思います。「好きでそう判断したのだから」と、すがすがしい気持ちを持ってその失敗を受け入れることができます。

一方で、「好きではないけれど、合理的に考えればこうすべきだろう」(「嫌い」)と判断してはじめたことが失敗に終わったとしたらどうでしょうか?「自分の心に正直に判断すべきだった…」と後悔するのがオチです。

もっと深掘りすると、「好きか・嫌いか」で判断した結果の行動は、その先の「よりよい未来」につながることだってあり得ます。「好き」という感情の熱量はとっても大きいために、たとえその行動自体は失敗に終わっても、同じ「好き」を共有する人間関係が広がるということもあるからです。

そうして同じ「好き」を通じて広がる人間関係は、たまたまある仕事に携わりその場だけで終わるような関係とは対照的に、その後も長く深く続いていくものです。たとえば、「好き」でつながった関係から生涯をともにするパートナーに出会う、あるいはそこで出会った人と一緒に共通の「好き」に合った新たな仕事をはじめるといった可能性もあるでしょう。

わたしが「好きか・嫌いか」による判断を最重要視してほしいという理由は、このような「可能性の広がり」という点にもあるのです。

構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/清家茂樹