1981年の芸能界デビューから40年を迎えた女優・観月ありさ。1992年放送の連続ドラマ『放課後』(フジテレビ系)で主演を務めて以来、昨年まで毎年積み重ねてきた連続ドラマ主演は29作。そして今年ABEMAとテレビ朝日が共同制作する連続ドラマ『奪い愛、高校教師』(12月27日よりABEMA・テレビ朝日で4夜連続配信・放送)で、30年連続で連続ドラマ主演という偉業を成し遂げた。観月にとって30年という数字にはどんな重みを感じているのだろうか――胸の内を聞いた。
■「自身にプレッシャーをかけ過ぎていた気がします」
連続ドラマに30年連続で出演することでも偉業だと思われるが、観月は毎年主演として作品を引っ張るという大役を30年も続けてきた。常に一線級で活躍し続けている確かな証拠だが、観月は「最初の頃はライフワークのように、それが当たり前のような感じだったので、自分のなかではまったく意識がなかったんです」と振り返る。
コツコツと目の前の作品に向き合いながら続けてきた女優業。ふと気づくと連続ドラマ主演も20年を超えた。「そのぐらいですかね。少しずつ周囲から『すごいね』と声をかけていただくようになり、自分のなかでも少しずつ意識するようになっていったんです。『確かにこういう記録って幼いころからやってきたからこそだし、一度途切れてしまえば、ゼロになってしまうんだな』と感じるようになっていきました」。
観月が話すように、20年を超えた辺りからメディアでも、この数字を強調するような報道が増えていった。「やっぱり20年、21年、22年というふうにカウントされると、それなりに重圧になっていたと思います。しかもちょうど30代半ばあたりは、とにかく仕事が忙しく時間がないけれど、携わる作品にしっかり向き合って結果を出さなければ……と、かなり自身にプレッシャーをかけ過ぎていた気がします」。
■固定概念を打ち破ることで消えていったプレッシャー
当時は「もうポーンと放り出して海外に留学しちゃおうかな」とか「まったく責任を負わないでいい職業ってないかな」というような現実逃避するような考えも頭のなかをよぎっていたという。それでも踏ん張れたのは、人との出会い、作品との出合いがあったから。
「作品には多くの人が携わっていて、スタッフさんも一生懸命頑張っていたのを見ていたので、その人たちには迷惑をかけられないという思いが強かったですね。本当に皆さん頑張っているので、若いスタッフさんなどは『ちゃんと空き時間にお弁当食べられているかな、寒くないかな』とか、そんなことばっかり考えていました(笑)。そういうみんなで過ごす時間によって、不安やプレッシャーは解消できていたと思います」。
もう一つ、自身の考え方を変えられた出合いもあった。それが時代劇への出演だという。2012年に放送されたドラマスペシャル『濃姫』(テレビ朝日系)をはじめ、30代にはいくつかの時代劇を定期的に経験した。
「私自身、背も高く着物を着ると余計に強調されるので、自分では時代劇に出演することは一生ないと思っていたんです。特に昭和の時代では考えてもみなかったんです。それが平成になり多様性も出てきて、私みたいなタイプでも時代劇に挑戦さえてもらえるようになりました。京都・太秦の撮影所での経験も刺激的だったのですが、なによりも自分のなかで勝手に抱いていた固定観念みたいなものを打ち破ることができたのが、とても大きかったんです。それまでは自分で『これはできないだろうな』というふうにブレーキをかけてしまうことが多かったのですが、そういったものを取り除いた方が人生面白いと思えたことで、いろいろ不安だったことやプレッシャーも自然となくなっていきました」。