野球日本代表・侍ジャパンが見事に優勝を飾った2009年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第2回大会で、チーフスコアラーを担ったのが三井康浩氏だ。選手としてプロ人生をスタートした読売巨人軍では、選手の他にスコアラー、査定担当、編成担当などといった役割を務めながら、40年間にわたってチームをサポートし続けた。
三井氏は、1986〜2007年という長きにわたって巨人のスコアラーを務めたこともあり、その間にはいまの球界の中心にいるレジェンドたちの現役時代をじっくりと見つめてきた。今季、日本一に輝いたヤクルトの高津臣吾監督もそのひとり。「監督・高津臣吾」の手腕、そして独特のゆるいシンカーを武器にヤクルトのクローザーとして君臨した「投手・高津臣吾」を三井氏はどう見ていたのか。
■コミュニケーション能力が、チームを日本一に導いた
シーズン開幕前の下馬評を大きく覆して今季の日本シリーズに出場したのは、ともに昨季はリーグ最下位に沈んだヤクルトとオリックスであった。そして、球史に残る大接戦を制して日本一に輝いたヤクルトを率いたのが高津臣吾監督だ。その手腕は、名スコアラーの目にどのように映っているのか。
——昨年のリーグ最下位から一転してヤクルトが日本一となりました。昨年と比較して、今年のヤクルトはどこがいちばん変わったと思いますか?
三井 もともと打力には定評があるチームでしたが、高津が投手上がりの監督ということもあって投手陣がしっかりと整備されましたよね。投手の起用を見ると、まさに適材適所だったという印象です。チームに一体感も生まれ、「こうやって勝つんだ!」という戦うための明確なビジョンを首脳陣も選手も共有できたのではないでしょうか。
野村(克也/元南海他)さんが監督だったときのヤクルトの野球は、有名な「ID野球」でした。でも、そのあとは戦うビジョンがあまり見えてこなくて、「ヤクルトってどんな野球をしたいんだろう?」というふうにずっと感じていたんです。それが、高津が監督になって大きく変わりました。
——監督というとモチベーターとしての役割も重要だといわれますが、チームの一体感を生むにもやはり監督の存在が大きいものですか?
三井 そう思います。高津という人間は、そもそもの性格が明るいですよね。現役時代から、高津が周囲のいろいろな選手をつかまえては話をしている場面をよく目にしたものです。そういう性格が監督という立場になって活きているのでしょう。
監督にもいろいろなタイプがいますが、例えばわたしが仕えた原(辰徳/現巨人監督)さんや長嶋(茂雄/読売巨人軍終身名誉監督)さんは、ときには強い言葉を使って選手を鼓舞していくタイプです。一方、高津はどちらかというと選手一人ひとりとしっかりコミュニケーションをとりながら、選手の気持ちをうまく盛り上げてグラウンドに送り込むタイプ。そういう気の使い方ができるのだと思います。
——その高津監督の姿勢が、選手に勝つためのビジョンをしっかりと植えつけた。
三井 打席を見ていても選手に粘りが出てきましたよね。今年のヤクルトの打者は、追い込まれても最後まで絶対にあきらめないという姿勢がよく見えました。それはやはり、「こうやって勝つ!」「こうすれば勝てる!」というビジョンが選手たちにしっかりと根づいていたからでしょう。
■野手陣にも投手陣にも見えた高津ヤクルトの「適材適所」
——先に「適材適所」という言葉がありました。投手陣だけでなく、野手に対してもそういう部分が見えましたか?
三井 原さんの采配を見ると、「ここでなんとしても1点が欲しい」という場面では、中軸打者にも外国人選手にも送りバントをさせることがあります。当の選手としては、頭では「チームのために必要だ」と思っていても、やはり悔しいものがあるでしょう。
ところが、今年のヤクルトの場合は、山田(哲人)も村上(宗隆)も青木(宣親)もオスナもサンタナも、誰ひとりとして一度も送りバントを試みていません。そうなると、選手も自分の役割を明確に理解できますし、その采配を意気にも感じて「自分が打って走者を還す!」というふうに思え、モチベーションは高まるでしょう。
やみくもに勝ちにいくのではなく、選手の気持ちを汲んでいるということです。もちろん実力が伴っていることが前提とはなりますが、これも高津のコミュニケーションを通じた適材適所の起用なのだと思います。
——投手陣の適材適所についても感じたことを教えてください。
三井 「この投手は先発」「この投手はクローザー」というふうに、最初から決めつけるようなことがなかったですよね。開幕を先発として迎えた田口(麗斗)やスアレスは、先発で期待されたような結果を出せなかったことや、ブルペンが手薄になったことでシーズン途中から中継ぎに配置転換されました。
普通であれば、「降格」だととらえられてもおかしくありません。でも、これは想像でしかありませんが、高津の場合は「中継ぎを厚くしたいからおまえの力が必要だ」とでも伝えているのでしょうか。だからこそ、田口もスアレスも配置転換にしっかりと応えて、自分の仕事を果たせたのだと思います。
選手が結果を出すには、技術的なことはもちろん、やはり気持ちの部分がとても大きい。田口もスアレスも、ずっとモチベーションが高いままマウンドに上がっていましたからね。
■高津の心臓の強さと、古田の配球の妙に苦戦
——現役時代の高津について伺います。巨人のスコアラーとして、高津はどんな投手だと見ていましたか?
三井 プロ入りして最初の2年間(1990年~1991年)は特別に意識するような投手ではありませんでした。真っすぐが速いわけでもないし、スライダーにしろシンカーにしろ大した曲がりじゃない。なにか特別な武器があるわけでもないまったく普通のサイドスローの投手で、高津が相手だと喜んで打席に向かっていく巨人の選手もいたほどです。
ところが、のちに高津の最大の武器になるあのゆるいシンカーを覚えてからは、激変して嫌な投手になりましたね。対戦する相手としての「怖さ」は感じないんです。走者を出すことはそんなに難しいことではありません。でも、なぜか最後は点を奪えないままきっちりと打ち取られてしまう…。そんな投手でした。
——1992年の日本シリーズで潮崎哲也(元西武)のシンカーを見た野村監督から、「150キロの腕の振りで、潮崎のような110キロのシンカーを投げられないか」といわれたことが、高津がシンカーを習得したきっかけだとか。
三井 まさに潮崎のシンカーによく似たボールでしたね。しかも、高津には、あのゆるいシンカーを自信と勇気を持って投げ込めるという心臓の強さもあった。加えて、古田(敦也/元ヤクルト)とセットというのがまたやっかいでした。あのバッテリーの強みは、高津のシンカー、心臓の強さに古田の配球の妙が相まったものです。
——高津というと、1993年に松井秀喜(元巨人他)がプロ初本塁打を打った相手としても知られています。
三井 先の「高津が相手だと喜んで打席に向かっていた選手」が、まさに松井です(笑)。それは、高津がゆるいシンカーを覚えたあとも変わりませんでした。
一度ミーティングで、高津攻略について松井に話を聞いたことがあるんですが、松井の頭のなかはシンプルでした。松井はこういったのです。「速い球で追い込んできたら締めはゆるい球、逆にゆるい球で追い込んできたら締めは速い球」と。実にあっさりしたものですよね。やはり大打者は普通とは違う感覚を持っているのかもしれません。
ただ、そんな松井ももちろん高津と古田にしてやられたときもあります。わたしがよく覚えているのは、インコースの真っすぐを3球続けられての三球三振。さすがの松井も凹んでいましたよ(笑)。もちろん高津に苦手意識はありませんでしたから、翌日にはケロッとしていましたけどね。
■メジャー、韓国、台湾などでの経験がいまに活きている
——高津は、メジャー挑戦を経て復帰したヤクルトを退団したあとも、韓国や台湾に渡って野球を続けました。そのことをどう見ていましたか?
三井 あれだけの実績を残した投手ですから、外野の人間からすれば「もう十分にやったしそろそろ辞めてもいいじゃないか」「なんでそこまでして…」などと思うものですし、わたしもそう感じていました。往生際が悪いといえばそれまでですが、やっぱり野球が好きだったんでしょうね。
ただ、その経験は監督となったいまに確実に活きているはずです。野村さんが「投手出身は監督に向かない」なんて言葉も残していますが、一般的に投手上がりの監督の多くは大雑把な野球しかできないものです。野村さんの言葉を借りれば、投手には自己中心的な人間が多くチーム全体になかなか目が向けられないからです。
事実、セ・リーグでは高津ヤクルト以前のリーグ覇者となると、星野(仙一/元中日)さんが率いた2003年の阪神にまでさかのぼらなければなりません。
巨人でいうと、藤田(元司/元巨人)さんが投手上がりの名将でしたが、あのときは近藤(昭仁/元大洋)さんという名参謀がいました。そして、近藤さんのサポートのもと、徹底してスコアリングポジションに走者を進めるという野球をやって勝つことができたわけです。
その近藤さんの役割を、いまのヤクルトでは高津自身がやっているようにわたしは思います。日本はもちろん、メジャー、韓国、台湾といろいろなかたちの野球を見ていくなかで本当にいい経験をしたのでしょう。その多くの経験から、高津という監督は、歴代の投手上がりの監督と比べて野手的な感覚も併せ持っているように思うのです。
——今後、高津監督にはどんなことを期待しますか?
三井 野村さんのときの黄金時代ではないですが、強いヤクルトを確立してほしい。なぜかわたしのまわりには、ヤクルトファンが多いですから(笑)。
もちろん、それはただの願望や冗談ではありません。山田、村上、中村(悠平)、塩見(泰隆)といった野手の柱となる選手がいるなかで、その他の若手も力をつけはじめています。使わざるを得ないから若手を使うのではなく、柱がいるなかで使える若手が出てきているというのは、これからどんどん強くなるチームの典型です。
構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/清家茂樹 写真/石塚雅人