タレント、女優、モデル、YouTuber……など、マルチな才能で活躍し続ける元AKB48メンバー、篠田麻里子さん。

最近はツイッターで配信中の家族会議型バラエティ『竹山家のお茶の間で団らん』にもレギュラー出演し、ますます活動の場を広げています。

そんな篠田さんは、仕事を"好き"でいつづけるため、どんな努力や工夫をしているのでしょうか。前編となる今回は、AKB48のオーディションに参加する以前から、その半生を振り返っていただきました。

▼「自分を変えたかった」アイドルを目指した篠田さんの思い

―― 篠田さんがアイドルを目指すようになったキッカケを教えてください。

もともと、小さい頃から歌って踊るのが好きだったんです。私はちょうどスピードさんや安室奈美恵さん、モーニング娘。さんをリアルタイムで見ていた世代で、「アイドルって楽しそうだな」と思いながら見ていたのですが、そのときはまだアイドルになりたい、この世界で働きたいとは思わなかったんです。

―― では、いつ頃から?

確か、19歳くらいの頃ですかね。ファッション系の専門学校に通っていたのですが、当時は自分の将来が見えず、夢もなかったんです。

このままデザイナーになるのか、それとも別の仕事をするのか……いろいろと迷った挙げ句、まずは何か自分を変えるキッカケがほしいと思い立って、そのときたまたま見つけたAKB48のオーディションに応募してみました。

―― 「自分を変えたい」という思いでアイドルの門を叩いた、と。

そうですね。10代の頃は何でもできるという自信があったんです。若かったせいもありますが、自意識過剰気味だったのですかね(笑)。

▼「思い描いていたのと違う!」デビュー当時の意外な苦労

―― その後、晴れてAKB48のメンバーに加入しわけですが、実際にアイドルになってみていかがでしたか?

実際にAKB48に入ってみて、「思い描いていたのと違う!」と思いました(笑)。私がメンバーになったとき、AKB48はまだまったくブレイクしていなくて、ドサ回りをしながらチケットを売りましたし、でもお客さんはほとんど入らない。「このグループって、大丈夫なのかな……? 」って思いましたね(笑)。

でも、秋元康さんのような名前がある人がプロデュースしているので、「まぁ、怪しいグループではないよね」と自分に言い聞かせて頑張りました(笑)。

―― AKB48といえば今や国民的アイドルグループですが、そんな苦難の時代を経験していたんですね。

初期の頃は本当に、「この先があるかはわからないな」と思いながら活動していました。給料としてもらうお金も少なくて、アルバイトをしている方が全然、お金を稼ぐという点に関しては良かったと思います。ですので、最初の方の東京での生活は本当に厳しかったです。

―― もう辞めたい、と思ったことは?

それはありませんでした。特に、ブレイクしてからはそれまで以上にやりがいや楽しさを感じていましたし、「AKB48にしがみついてよかった」と、報われた気持ちにもなりましたね。私自身も、いろんなアイドルを見てきましたが、その中でも話題になれるのは一握りでした。

―― 特にやりがいを感じた仕事は何でしょう?

紅白歌合戦に出られたことです。紅白に出場できて、もちろん私自身も嬉しかったんですけど、両親や親戚に見てもらえたことがすごく嬉しかったのを覚えています。

当たり前ですが、「秋葉原でアイドルとして活動している」と伝えても、地方の親戚たちはピンとこないんですよ。でも、NHKの紅白歌合戦という国民的な番組に出られたことで、初めて認められたという実感もありました。

▼大ブレイクで大忙しな日々。それでも仕事が"好き"な理由

―― 大ブレイクして忙しくなったと思いますが、お仕事を嫌いになることはなかったんですか?

仕事を嫌いになることはなかったんですけど、自分のことが嫌いになることはありましたね(笑)。人って、限界を超えると自分にイライラしてくるんですよ。自分で「アイドルになりたい!」と思ってこの世界に入ったのに、もうどうしていいかわからないほどスケジュールがいっぱいになっちゃったんです。

―― ピークのときはどんなスケジュール感だったんですか?

1日3時間睡眠で、年間の休みは計3日……という時期もありました。これが何年か続いて、身体から蕁麻疹が出てきたこともありましたね。

「こんなハードスケジュールは一時的だから大丈夫」と頭ではわかっても、頑張れる自分と、もういいやと思う自分の間で葛藤がありました。幸せなことだってわかっているんだけど、スケジュール的な厳しさもあって、自分のことが嫌いになっていった感じです。

―― それでも仕事は好きだったんですよね。それはなぜでしょう?

仕事を嫌いなるということは一度もなかったですね。私にとってAKB48は、社会とのつながりを持つ場所でもあったわけですし、自分の新しい一面が見いだせる場所でもありました。新しい仕事もたくさんさせてもらえますし、やっぱりこの仕事は大好きです。