マリー・アントワネット(Marie Antoinette)とはどのような人物だったのでしょうか。悪いイメージをもられているケースが多い彼女ですが、その人柄や生涯についてくわしく知る人は少ないでしょう。

この記事では、マリー・アントワネットはなぜ悪女と呼ばれるようになったのか、ギロチン処刑されるまでの人生を紹介します。また、彼女にまつわる有名なエピソードや作品についてもまとめました。

  • マリー・アントワネットとは

    マリー・アントワネットについて紹介します

マリー・アントワネットとは

マリー・アントワネットは、フランス国王ルイ16世の妃(きさき)です。1755年に神聖ローマ皇帝のフランツ1世とオーストリア大公マリア・テレジアの娘として生まれ、14歳でブルボン王家に嫁ぎました。

マリー・アントワネットはフランス革命により37歳でギロチンにかけられて死亡したことや、豪華なファッションを好んでいたことから、浅はかで浪費家な女性としてイメージ・表現されることが多い人物でもあります。

  • マリー・アントワネットとは

    マリー・アントワネットはフランス国王ルイ16世の妃です

マリー・アントワネットの生涯

マリー・アントワネットは、フランス革命の際に国民のヘイトの対象になり、ギロチンにかけられた悲劇の女性、あるいは、若くて思慮が浅く派手好きで遊ぶことに熱中していたイメージが強い人物かもしれません。

しかし、本当にそうだったのでしょうか。彼女が送った人生を振り返ります。

王家に生まれ、幼少期はオーストリアで過ごす

マリー・アントワネットはハプスブルク家出身で、1755年、神聖ローマ皇帝のフランツ1世と、オーストリア大公であるマリア・テレジアの間に生まれました。

15番目の子供であったマリー・アントワネットは、幼い頃をオーストリアのウィーンにあるシェーンブルン宮殿で過ごします。

マリー・アントワネットは政略結婚によってフランスのブルボン王朝、ルイ15世の孫(のちのルイ16世)と結婚することになり、1770年に14歳でフランスに向かいました。

彼女は当時の貴族のたしなみとして、神父やフランス人俳優たちに勉強を教わっていたものの、語学や一般教養などがあまり得意ではなかったといわれています。母のマリア・テレジアはそれを気にかけ、結婚の際に数々の教訓などを記した長い手紙を娘に託したそうです。

14歳で夫・ルイ16世と結婚

マリー・アントワネットがフランスのヴェルサイユ宮殿に到着してすぐ、宮殿内の礼拝堂で結婚式が行われました。結婚式は5月16日のことでしたが、祝宴は5月30日まで続くなど、パリ市民も最初は彼女に対して好意的であったとされています。

しかし、派手な服や髪型の追求、観劇や舞踏会などにばかり熱心で公務にはあまり力を入れていないマリー・アントワネットの様子がわかってくると、だんだんと人々の評価は落ちていきます。

オーストリアにもマリー・アントワネットが遊び歩く様子は伝わっており、それに心を痛めた母マリア・テレジアは彼女へ忠告の手紙を送るほどでした。

結婚から5年後、祖父であるルイ15世が亡くなったため、王太子であったマリー・アントワネットの結婚相手は正式にルイ16世となります。マリー・アントワネットは当時19歳、ルイ16世は20歳でした。

ルイ16世もまた趣味の狩猟や錠前づくりに没頭するなど、国政にはあまり熱心ではなく、気の弱いタイプであったといわれています。

フランス革命時

1789年にフランス革命が起こると、食糧難に苦しむ民衆がヴェルサイユ宮殿にパンを求めて行進した事件をきっかけに、ルイ16世とマリー・アントワネットはヴェルサイユ宮殿からパリのチュイルリー宮殿に移動しました。

1791年、マリー・アントワネットたちは一家でパリを脱出しようと試みますが、国境付近で発見されて捕らえられます。このヴァレンヌ逃亡事件は王家への不信感をさらに強め、共和主義を加速させる結果となりました。

その後、パリの民衆などがチュイルリー宮殿を襲った八月十日事件で、マリー・アントワネットら王家はタンプル塔に幽閉されます。

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最期はギロチンにかけられ処刑される

1793年1月、ルイ16世は裁判にかけられたのち、ギロチン刑に処されました。

ルイ16世が亡くなった同年8月、マリー・アントワネットはパリのシテ島にあるコンシェルジュリ監獄に移されます。そして10月に裁判が行われ、革命広場(現在のコンコルド広場)でギロチンにかけられ処刑されました。

マリー・アントワネットとルイ16世の遺体は処刑後、マドレーヌ寺院の共同墓地に埋葬されましたが、その後改葬され、現在はサン=ドニ大聖堂に安置されています。

マリー・アントワネットの子供

マリー・アントワネットの子供であるルイ17世(ルイ・シャルル)のものとして保管されていた心臓もまた、サン=ドニ聖堂にあります。彼はルイ16世の死後にルイ17世となり、靴職人のもとに預けられましたが、1794年に再度タンプル塔に幽閉されました。

この時厳しい環境であったことから、それがもとで病気になって死去しています。

  • マリー・アントワネットの生涯

    マリー・アントワネットはフランス革命に翻弄された女性といえます

マリー・アントワネットにまつわるエピソード

マリー・アントワネットは、印象的なエピソードが多いことでも有名です。いくつか紹介します。

消えた首飾り事件

マリー・アントワネットは市民だけでなく、自分のお気に入りとしていた少数の貴族たちだけを優遇していたため、ほかの貴族から反感をかっていました。そのせいで、マリー・アントワネットが不当に陥れられたのが「消えた首飾り事件」です。

首謀者の名はラ・モット夫人。彼女はマリー・アントワネットとお近づきになりたいと考えていたロアン枢機卿に、暗闇で偽のマリーと会わせるなどして「自分はマリー・アントワネットと親しい間柄である」と信じ込ませました。

そして、ラ・モット夫人は「マリー・アントワネットに近づくには、彼女が欲しがっている首飾りを買うといい」とそそのかし、高価なダイヤモンドの首飾りをロアン枢機卿に購入させます。

首飾りはラ・モット夫人が「マリー・アントワネットに渡す」とロアン枢機卿から受け取りますが、もちろんマリーの手に渡ることはなく夫人の共犯者によって転売されました。

その数か月後、宝石職人たちがマリー・アントワネットに首飾りの代金を支払うよう求めたことで事件は発覚します。マリー・アントワネットはロアン枢機卿と裁判で争いますが枢機卿は無罪となり、マリー・アントワネットの評判はより悪くなりました。

「パンがなければお菓子を…」はマリー・アントワネットの名言ではない?

マリー・アントワネットの名言として有名なのが「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」というもの。しかし、このセリフはマリー・アントワネット自身の発言ではないことがわかっています。

この言葉の元ネタと考えられているのが、フランスの哲学者であるルソーの『告白』。その中で、「パンではなくブリオッシュを食べたらいい」とある王女が言っていた…とされています。

ブリオッシュはバターや卵をたくさん使った菓子パンで、そのため当時はパンではなく菓子として扱われていました。

ルソーのこの著作が世に出た当時まだマリー・アントワネットは子供であったため、「ある王女」がマリー・アントワネットであるとは考えられないのです。

しかし、「浪費家で市民の生活に疎いマリー・アントワネット」というイメージと合致していたためか、その後「マリー・アントワネットの言葉」として広まったとされています。

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宮殿の中に農村を作った?

マリー・アントワネットは派手好きだったイメージがありますが、その一方で自然などを好んでもいました。その例がヴェルサイユ宮殿の離宮「プチ・トリアノン」です。

プチ・トリアノンは元々ルイ15世の公妾であったポンパドゥール夫人のために建てたものでしたが、完成前に夫人は亡くなります。そのため、マリー・アントワネットが譲り受けることになり、改修して宮殿内に当時の農村を再現した離宮を作りました。

  • マリー・アントワネットのエピソード

    マリー・アントワネットは「消えた首飾り事件」など逸話も多く残しています

マリー・アントワネットを扱った作品

数々の逸話があるほど有名なマリー・アントワネットは、伝記や小説、彼女をキャラクターとして登場させるゲームなどが多く存在しています。中でも人気のある作品をいくつ見てみましょう。

マリー・アントワネットが登場する映画

  • 『マリー・アントワネットの生涯』

1938年公開。モノクロ作品ですが、今でも根強い人気のあるマリー・アントワネットの伝記映画です。監督はW・S・ヴァン・ダイクで、マリー・アントワネット役のノーマ・シアラーは、この映画でヴェネツィア映画祭の主演女優賞を受賞しています。

  • 『マリー・アントワネット』

2007年に公開された、ソフィア・コッポラが監督と脚本を務めた映画。本物のヴェルサイユ宮殿で撮影しています。

  • 『マリー・アントワネットに別れをつげて』

2012年公開。フランスで賞を獲った人気小説を映画化した作品です。マリー・アントワネットの朗読係であった少女を主人公として、フランス革命時のマリー・アントワネットを中心に描いています。

監督はブノワ・ジャコ、主演はレア・セドゥです。

マリー・アントワネットが登場する漫画

  • 『ベルサイユのばら』著者:池田理代子

『ベルサイユのばら』は男装の麗人であるオスカルやマリー・アントワネットが登場する、ルイ15世の時代からフランス革命期を舞台とした漫画。アニメ化、舞台化もされている人気作品です。

  • 『悪役令嬢に転生したはずがマリー・アントワネットでした』著者:小出よしと

『悪役令嬢に転生したはずがマリー・アントワネットでした』はマリー・アントワネットに転生した女性が、処刑される運命を回避しようと奮闘する漫画です。

  • 『イノサン』著者: 坂本眞一

『イノサン』は、マリー・アントワネットがギロチン刑に処された際の処刑人、サンソンを主人公とする漫画です。

マリー・アントワネットが登場するゲーム

  • 『薔薇に隠されしヴェリテ』

『薔薇に隠されしヴェリテ』は、アイディアファクトリーより発売されたPlayStation Vita用の女性向け恋愛ゲームです。

主人公はマリー・アントワネットの召し使いですが、彼女の身代わりとなって行動し、ルイ16世やフェルゼン伯爵などと恋愛していくゲームになっています。

  • 『Fate/GrandOrder』(FGO)

『Fate/Grand Order』(FGO)は、ゲームブランドTYPE-MOONが手掛けるスマートフォン向けRPG。アドベンチャー形式で進行するストーリーのなかで、チュートリアルで手に入るサーヴァントごとにゲームが展開されます。

そのサーヴァントであるライダーのひとりとして登場するのがマリー・アントワネットです。声優は種田梨沙氏が担当しています。

  • マリー・アントワネットを扱った作品

    現代でもマリー・アントワネットは人気があります

マリー・アントワネットは必ずしも「悪女」ではない人物

浪費家で、世間知らずで傲慢(ごうまん)だったとされたマリー・アントワネット。しかし、浪費と言っても実際は国を揺るがすほどではありませんでした。

現在では、庶民の不満の矛先を向けられたせいで、不名誉な「悪女」というレッテルが貼られ、悪い評価がついたと考えられています。

マリー・アントワネットはプチ・トリアノンという農村を模した離宮を作るなど、きらびやかなものばかりを好んでいたわけではなかったのです。

実際のマリー・アントワネットがどんな性格の持ち主だったかを想像しながら、彼女を描く作品に触れてみるのも面白いかもしれませんね。