太宰治(だざいおさむ)は『人間失格』や『斜陽』、『走れメロス』といった作品で知られる、日本の文学作家です。多くの名作を残した太宰治ですが、恋や人生に悩み、その生涯は波乱万丈なものでした。

この記事では、太宰治の人物像や代表作品はもちろん、死因から名言まで詳しく解説していきます。

  • 太宰治の人生

    太宰治の波乱万丈な人生に迫っていきましょう

太宰治とはどんな人? その生涯を簡単に解説

早速、太宰治の生涯を、順を追って見ていきましょう。

明治42年、津島家の六男として青森県に生まれ、生家は豪邸として知られる

太宰治は、1909年(明治42年)に津島家の第十子、六男として、青森県で生まれました。太宰治の実家は金融業を営んでおり、父であり大地主、そして政治家でもある津島源右衛門は青森県の納税者番付にランクインするほど、非常に裕福な家庭で育ちます。

生家は約680坪(約2200平方メートル)もの敷地に、ヒノキを使って建てられた豪邸で、現在では「太宰治記念館『斜陽館』」として一般公開されています。

母は家を留守にすることが多かったなどの理由から、幼少期の太宰治は主に叔母や女中に育てられました。

秀才と呼ばれ、また文学に目覚めた学生時代

小学校では作文力を発揮するなど秀才と呼ばれ、在学中は全甲首席、総代も務めました。

中学生時代には同人誌『世紀』に掲載されていた井伏鱒二(いぶせますじ)の『幽閉』を読み、感銘を受けました。また芥川龍之介や菊地寛などの作品に惹かれ、級友との同人誌に小説やエッセイを掲載するようになります。

衝撃的な芥川龍之介の死

かねてより芥川龍之介のファンであり、作品を読んだり講演会に足を運んでいたりした太宰治ですが、彼が18歳のときに芥川龍之介が睡眠薬により自殺し、35歳にしてその生涯を閉じました。このニュースは太宰治に大きな衝撃を与えます。

その後、学業の傍らで本格的な創作活動をするものの、成績が下がったり、大地主である生家を告発する暴露小説を発表したり、自殺未遂を起こしたりなど、不安定な日々が続きます。

東京帝国大学入学のため上京

太宰治は東京帝国大学仏文科入学を機に上京。かねてより尊敬していた井伏鱒二に初めて会い、師事するようになります。太宰治は、高校時代に自身が創刊した同人誌『細胞文芸』において、井伏鱒二に原稿を依頼してから、彼と交流を続けていました。

また最初の妻・小山初代と結婚します。一方で共産党のシンパ活動に加わる、就職失敗、自殺未遂、大学除籍、入院生活など、混沌とした日々を送ります。

第二の妻・石原美知子と結婚、三鷹に移住

最初の妻・小山初代と別れた太宰治は、29歳のときに石原美知子とお見合いをし、結婚します。そして終の住み処となる東京府北多摩郡三鷹村(現・東京都三鷹市)に移住します。徐々に原稿依頼も増え、『女生徒』『走れメロス』などの代表作もこの頃に生まれました。

しかしその後、戦争に巻き込まれ疎開したり、肺結核に悩まされたりする他、太宰治の女性関係での問題が起きるなど、その人生は苦悩に満ちたものであったようです。

太宰治の死因

太宰治は38歳という若さで、1948年6月13日に愛人であった山崎富栄(やまざきとみえ)と玉川上水で入水心中し、亡くなりました。

太宰治が遺体となって見つかった河原には、下駄でこすったような跡があったといわれています。この下駄のこすり跡について、太宰治の理解者ともいわれていた井伏鱒二は、太宰治が死ぬまいと死に際に抵抗した跡ではないかと述べています。

太宰治の女性関係

太宰治に特に大きな影響を与えたといわれる女性としては、以下3人の存在が挙げられます。

津島美知子(つしまみちこ)

旧姓は石原美知子。太宰治の正妻で、太宰治が29歳の時に出会いました。津島美知子との結婚期間中に、太宰治は『富嶽百景』『女生徒』『走れメロス』といった名作を完成させています。

太宰治が亡くなった後に見つかった遺書には「美知子のことを誰よりも愛していた」という趣旨の一文が残されていました。

太田静子(おおたしずこ)

太田静子は、歌人や作家として活動していた女性で、太宰治が32歳の時に出会っています。彼女には離婚歴があり、離婚直後に読んだ太宰治の小説に感銘を受けたといわれていました。

太田静子が太宰治に「小説の指導をしてほしい」と手紙を送ったところ、太宰治は彼女を自宅に招待すると返事をします。これをきっかけに2人の距離は縮まり、恋愛関係に発展したようです。

太宰治は太田静子に小説の材料のために、日記の提供を求めたことがあります。この時に彼女が渡した日記が、太宰治の小説『斜陽』のモデルになったとされています。

その後、太田静子が太宰治の子どもを妊娠して以来、太宰治の態度が変わり、太田静子は自分が小説のために利用されただけではないかと疑問を持つようになったといわれています。

山崎富栄(やまざきとみえ)

山崎富栄と太宰治は、屋台で知り合います。38歳になっていた太宰治は『ヴィヨンの妻」を発表したあと体調を崩しており、そんな彼を世話したのが山崎富栄です。

しかし、山崎富栄は嫉妬深い性格で知られ、部屋に青酸カリを隠しているなどと太宰治を脅していたといわれていました。最終的に、太宰治は山崎富栄と心中し、最期を迎えます。

太宰治に子どもはいたの?

太宰治には4人の子どもがいました。

  • 津島園子(つしまそのこ)…太宰治と津島美知子の長女

  • 津島正樹(つしままさき)…太宰治と津島美知子の長男。ダウン症であり、15歳のときに肺炎により亡くなる

  • 津島佑子(つしまゆうこ)…太宰治と津島美知子の次女、本名は里子(さとこ)

  • 太田治子(おおたはるこ)…太宰治と太田静子の子

津島園子さん、津島佑子さん、太田治子さんは作家で、津島園子さんと津島佑子さんはすでに死去しています。太田治子さんは、2022年11月現在も作家として活動中です。

  • 太宰治の人生

    太宰治は女性関係で苦悩の多い日々を送っていました

太宰治の本名

太宰治の本名は、津島修治(つしましゅうじ)といいます。

太宰治の代表作品

太宰治は多くの名作を残した作家です。ここでは、3つの代表作品を紹介します。

『人間失格』

『人間失格』は、1948年に執筆された、太宰治の実体験がもとになっているとされる自伝的小説です。

太宰治の結核が悪化し、注射を打ちながらの療養生活中に執筆されました。『人間失格』は、太宰治の自我を深く考察した作品になっています。

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『斜陽』

『斜陽』は1947年より文芸雑誌『新潮』で連載され、ベストセラーになった長編小説です。上流階級に生まれた主人公・かず子とその母親の生活が描かれています。

戦争の影響から、戦後に自宅を売ったかず子が、貧しい生活を送る中で「幸せとは何か」を見つめる物語です。当時、かず子のように没落していく上流階級の人を「斜陽族」と呼び、1948年の流行語にも選ばれました。

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『走れメロス』

『走れメロス』は、1940年に発表された短編小説です。

村に住む牧人・メロスが王様に意見したところ、処刑を命じられます。妹の結婚式に行くため、友人を身代わりにして3日間の猶予を得たメロスは、人質になった友人のために必死に走り続け、戻ってきた彼の姿を目にした王様が改心するというストーリーです。

『走れメロス』は、人を信頼することの大切さを教えてくれる作品になっています。

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  • 太宰治の代表作品

    太宰治が残した数々の名作は現代でも多くの人に読み継がれています

太宰治の名言

太宰治は、作品の中で多くの名言を残しました。ここでは、作品内の言葉を厳選して紹介します。

幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではないだろうか。

この名言は、『斜陽』の中で上流階級にあったものの、どんどん貧しくなって没落していく主人公・かず子を描いた一節です。つらく苦しい生活の先にある「幸福」とは何かを考えさせられる言葉でしょう。

それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。

この名言は、『走れメロス』の中の一節です。人を信じることや友情について思い返す上で、心に響く言葉といえるでしょう。

  • 太宰治の名言

    太宰治の小説を読んで、作中に登場する数々の名言に触れてみましょう

太宰治について現代でも学べる施設や作品

太宰治ついて知識を深められる施設や、現代において太宰治が再び注目される機会となった作品を紹介します。

太宰治文学サロン

太宰治文学サロンは、太宰治の創作活動の拠点となった地としても知られる東京都三鷹市に、2008年に開設されました。

太宰治文学サロンの企画展では、初版本や直筆原稿の複製といった貴重な資料が公開されています。また、ガイドボランティアによる展示の解説や、三鷹駅周辺など太宰治ゆかりの場所への案内も行っており、太宰治をより深く知ることができるでしょう。

太宰治展示室

三鷹市美術ギャラリー内にある太宰治展示室は、太宰治の自宅の一部を再現した施設です。太宰治の自宅を実際に訪問しているかのような疑似体験ができます。

時期によっては、企画展示なども行われていますので、ギャラリーのホームページを確認してみましょう。

漫画・アニメ『文豪ストレイドッグス(文スト)』

「文スト」の略称でも知られる『文豪ストレイドッグス』は、2013年に連載が開始され、電子書籍を含みシリーズ累計1,200万部を超えるヒットを記録するアクション漫画作品です。

著名な文豪たちをモデルとしたキャラクターが異能力を使って戦い、この文豪の一人として、太宰治がモデルとなったキャラクターが登場します。入水自殺を試みるなど、実際の太宰治のエピソードが反映されている作品です。

小説化やアニメ化の他、舞台化や映画化もされ、さまざまなメディアで『文豪ストレイドッグス』を楽しむことができますので、もし機会があれば作品の世界に触れてみるのもいいでしょう。

  • 現代にも語り継がれる太宰治

    現在でも太宰治について知ることができる施設や作品があります

太宰治賞とは

太宰治賞は、1964年に筑摩書房により創設された小説の新人賞です。吉村昭さん、加賀乙彦さん、金井美恵子さん、宮尾登美子さん、宮本輝さんなど、数多くの著名作家を世に送り出しました。

1978年から中断されていましたが、筑摩書房と三鷹市の共同主催により、太宰治没後50周年を機に、1998年に復活しています。2022年に最終選考が行われた第38回太宰治賞受賞作は、野々井透さんの『棕櫚を燃やす』でした。

太宰治の苦悩に満ちた人生と作品に触れてみよう

太宰治はその類いまれなる才能の他、特に3人の女性との関係も有名で、彼の最期は愛人の山崎富栄と入水心中するなど、その人生は波乱万丈なものでした。

この3人の女性との関係や、自分の人生について悩んだその独自の世界観は、小説を通して多くの人を惹きつけ、『人間失格』や『斜陽』、『走れメロス』といった名作を残すに至っています。

また、太宰治は現代においても『人間失格』が映画化されたり、漫画『文豪ストレイドッグス(文スト)』の登場人物として描かれたりするなど、根強い人気がある人物です。

東京・三鷹市には「太宰治文学サロン」や「太宰治展示室」といった施設もありますので、太宰治についてより詳しく知りたい人は、足を運んでみてはいかがでしょうか。