NON STYLEは、大阪府内の同じ中学、高校の同級生だった石田と井上が、2000年に結成した。昨年20周年を迎えたが、石田は「20年、本当に“あっというま”だったんですよね」とツアーのタイトルと同じ気持ちだそうで、「こんなに続くとは思っていなかったし、振り返ると“あっというま”。なかなか東京に進出できない……と長く感じる時代もあったんですが、コロナ禍になってからここ1年半は引くぐらい“あっというま”です。この先ますます時間が早く過ぎて行くと思うので、ひとつひとつの出来事を大切にしていきたい」としみじみ。

対して井上は「僕は逆ですね。“あっというま”という感覚はなくて、コロナ禍になってからは特に長く感じている」のだとか。「それまではずっと外に出ていた人間なので、急に家にこもることになって、精神的にもしんどかった。子育てがあるわけでもなく、家にいて何か希望の光があるわけでもないですからね(笑)。そこから家で何ができるんだろうと考えたり、経験したことのないこと、新しいことの連続。趣味含め、いろいろなことに挑戦して密度が濃かったように思います」と時間の感じ方はそれぞれ違うようだ。

石田は「こんなに続くとは思っていなかった」と話したが、ここまで続けられた理由についてどのように感じているのだろうか? すると「求めすぎないようになったからじゃないですかね」と思いを巡らせた石田。「若い頃は自分にも相方にも、いろいろな人に求めすぎていた。だからしんどかった。自分に求めなくなって、相方に求めなくなって、誰にも求めなくなったら、すごく楽になったんです」と告白。考え方を変えたのは「医者に『石田さんがしんどくなるのは、求めすぎるからです』と言われたから」だそうで、「ずっと求め続けていたら、しんどくなってこの仕事も辞めていたでしょうね」と胸の内を明かす。

「すべて周囲の人のおかげ」というのが井上で、「先輩、後輩、マネージャー、番組スタッフ含め、いい人と巡り合ってきた。辞めたいな、しんどいなと思ったときに引っ張り上げてくれたのも、人です。そりゃあ借金だらけだった若い頃には、辞めたいなと思ったこともありますよ。26歳まではバイトをしていましたし、バイト先の店長がずっと飯を食わせてくれたり、先輩が『頑張れよ』と支えてくれたり。本当に感謝しています」とこれまでの出会いを噛み締める。

そんな中でコンビの転機となったのが、2008年の『M-1グランプリ』優勝だという。井上は「M-1で優勝できたから、一生この世界でご飯を食べていけると思えた。あの年に優勝していなかったら今テレビにも出られていないでしょうし、『M-1チャンピオンの人や』と認識してもらえるようになって、仕事も増えた。でも優勝できたから、その後が大変だったとも言えます。いろいろな意味で、大きなターニングポイントです」とキッパリ。「M-1で優勝したから人生が変わったし、M-1優勝とその後を乗り越えたから今がある」と力強く語る。

石田は「コンビの転機かあ……井上がベストフンドシストを受賞したことですかね」と話して、井上も「やっぱりふんどしを巻いてからが、一人前ですからね」と乗っかり2人で大笑い。石田は「僕は普段『悔しい』とか言わないですけど、あれは悔しかったなあ。井上が先に選ばれたんや。俺も頑張らないといけない思った」と続けつつ、「井上さん、いろいろと世間を騒がしてきていますからね。よくいろいろと乗り越えてきたなと思います」と目尻を下げていた。