――異動や出向のときに心がけていらっしゃることはありますか?

そこはやっぱり、どれだけ謙虚でいられるかだと思います。自分を大きく見せてうまく立ち回る人もいますが、そちらの選択肢は選ばない。とはいえ、私がプロ野球選手だったことはみんな知っているので、むしろ「プロ野球選手だったこと」を捨てました。

――それはいつ決心したことですか?

「サラリーマンで生きていく」と決めたときです。仕事をしているときにお客さんからサインを求められたりすることもあって、それはもちろん元プロ野球選手のファンサービスの一環としてやります。ただ、仕事に関してはド素人で、普通の人が2時間でできることを1日かかったりするので、「プロ野球選手だったこと」は忘れて経験を積んでいくことを心掛けました。

――すばらしい心構えですね。

別に私自身、謙虚で立派な人間では決してないですよ(笑)。ユニフォームを着ていた時は、謙虚ではやっていけない世界でした。「自分が一番」と思うくらいじゃないと、生きていけません。それこそ、自分を大きく見せることも大切な職業でした。

――選手時代と真逆ですね。本には飛び込み営業のつらさも書かれていました。仕事がうまくいかなかった時に辞めようとか、転職しようとは考えなかったんですか?

それは考えなかったんですけど、本当に飛び込み営業はつらかった(笑)。でも、これは性格にもよるのかもしれないですね。飛び込み営業が好きな営業マンもいますからね。相手がどんなことを考えているんだろうとか、戦略にハマったときが快感だったりするそうですが、自分には全く理解できない(笑)。

■働く上で思い続ける「ライオンズは大好きな球団」

――なぜ転職を考えなかったんですか?

ライオンズが好きだからです。ライオンズを、さらに注目される人気球団、パ・リーグを代表する球団にしたい。その思いが軸としてあります。

私はプロ野球選手になった時、3年やってみてダメだったらやめようと決めていました。とにかく3年は何が何でもがんばろうと。サラリーマンになっても、そこは同じでした。まずは3年。1年目は勉強、2年目にようやく現場を回せるようになって、3年目はそれまでの2年で培ったことを活かせるようになる。でも、そこに至るまでは苦しかったですけどね。本当に苦しい時は固執せず、職業を変えるのも人生の大切な選択肢だと思います。

――高木さんの不屈の精神は「ライオンズ愛」に宿っているんですね。

もともと生まれが八王子で、両親は福岡出身。父は西鉄ライオンズファンで平和台球場に行っていたそうで、私が幼い頃は神宮や後楽園よりも所沢の方が近かったのでよく連れて行ってもらって、僕にとっては最も身近な球団でした。その頃は芝生席でデーゲームを観戦したり、あとはホームランを打つと花火が上がったりして、子どもながらにすごく楽しかった思い出がたくさんあります。

そういった環境の中で育ってきていて、ライオンズからお声掛けいただいてまさか野球選手としてライオンズに入れると思わなかった。ずっと私の生活にあった球団で働かせてもらえている愛着があります。そして、そんな私に声援を送ってくださったファンの方々の存在はかけがえのないもの。ライオンズは、パ・リーグの中でも歴史のある球団です。自分が大好きな球団を、少しでも良い形にして残していきたい。働く上で、そこは思い続けています。

――現在はどのようなことを担当されているんですか?

今は放映権の担当をしています。今まで野球をやらせてもらってテレビに映ってきましたが、制作側のことをやるのは初めてでした。最初は技術スタッフの言っていることは全く分からなくて(笑)。大変な仕事ではありますが、映像が作られる過程を間近で知ることができてすごく楽しいですよ。

こういう世の中になったので、テレビやラジオに加えてインターネットもこれまで以上に欠かせないツールになりました。それらの価値をプロ野球を通してどうやって高めていくのか、そこが今後の課題なのかなと思います。

■プロフィール
高木大成(たかぎ・たいせい)
1973年12月7日生まれ。東京都出身。桐蔭学園高校、慶應義塾大学を経て、1995年ドラフト1位で西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団。一塁手として97年から98年にかけてリーグ連覇に貢献し、ゴールデングラブ賞も受賞。その活躍から「レオのプリンス」と称された。2005年に現役引退後、西武ライオンズの社員として営業やPR等の事務に携わる。2011年にプリンスホテルに異動。約5年間のホテル業務を経験した後、2017年より再び西武ライオンズの社員となり、現在に至る。