日本酒に対する海外の注目度は、年々高まりを見せている。一方で、日本酒の醸造工程にはまだまだ改善点も多い。そのひとつが酒蔵の労働環境だ。秋田県総合食品研究センターとNTT東日本 秋田支店は、ICTを活用した働き方改革への取り組みを進めている。
日本酒の醸造工程にICTを活用
2017年、秋田県とNTT東日本は、活力ある個性豊かな地域社会の形成と発展、および県民サービスの向上を図ることを目的として、多分野連携協定を締結した。
その狙いのひとつには、日本酒という秋田県の特産品を中心とした県産品の出荷額向上がある。秋田県の酒造りの歴史は非常に古い。山内杜氏という高度な技術集団もよく知られており、その技術は脈々と継承され、そして発展してきた。
この日本酒という特産品を活かした取り組みとして、秋田県総合食品研究センターがNTT東日本 秋田支店の協力のもとで行ったのが、「醸造工程の見える化・スマート化」だ。現在、同センターでは、NTT東日本とともに日本酒に関する共同研究が進められている。
本稿では、秋田県総合食品研究センター「醸造試験場」で場長を務める進藤氏、日本酒を担当する上原氏、そしてNTT東日本 秋田支店の松川氏、堀氏の4名に取り組みの経緯と内容について聞いていきたい。
第一に目指したのは「酒蔵の働き方改革」
「2019年10月にNTT東日本さんからこのお話をいただいたとき、私はまず現場での作業効率改善を図り、酒蔵さんの働き方改革を実現したいと考えました」(上原氏)。
秋田県総合食品研究センターの上原氏はこのように話す。日本の伝統的な酒造りは近年多くのファンを生み、その味はいまや海外にまで知られるようになった。だが酒蔵の仕事は非常に重労働で、醸造力の確保も難しい。
「酒蔵さんは小さいところで3人から、大きいところでは50人くらいでお酒を造っているのですが、実際に行う作業量に大きな差はありません。であれば、やらなくても品質に影響が少ない作業を見つけられたら、小さな酒蔵さんの業務を効率化できるのではないかなと。それを研究データで示したいと思いました」(上原氏)。
これを受けてスタートしたのが、「櫂(かい)入れの頻度ともろみの温度変化のムラの相関調査」と、「醸造用水量(汲水歩合(くみみずぶあい))の増減と日本酒の味を構成する要素との相関調査」という2種類の実証実験となる。
酒造りに櫂入れは不要? 必要?
1つ目の「櫂(かい)入れの頻度ともろみの温度変化のムラの相関調査」は、主に酒蔵の労働環境改善を狙った取り組みだ。
櫂入れとは、米、米麹、酒母、仕込み水を発酵させてできる「もろみ」が入ったタンクをかき混ぜ、均一にする作業。どろどろの醪をかき混ぜるのには力が必要で、かなりの重労働になる。
「もっとも頻繁に行われている酒蔵さんでは、朝と晩の1日2回、10~15分ほど櫂入れを行うそうです。櫂の準備から後片付けまで含めると1タンクあたり30分ほどの作業になります」
必須と思われてきた櫂入れだが、実はこの作業を行わない酒蔵も存在しており、それでも高品質な日本酒を造り出せているのだという。櫂入れをしなくても良いお酒ができるのであれば、その作業を省くことで業務を減らすことができる。
そこで秋田県総合食品研究センターは、櫂入れの頻度を複数のパターンに分けた各タンク内に、NTT東日本が提供する温度センサーとCO2センサー、そしてIoTカメラを設置。もろみの温度変化ムラやCO2濃度、もろみ表面の画像などを取得するとともに、種々の条件で製造された日本酒 を分析し、味を構成する要素への影響について研究を進めている。
「まだ実証実験の第一段階が終わったところですが、一般分析の結果では、櫂入れをしたもの/していないものを比較しても大きな差はありませんでした。この結果から導き出されるのは『櫂入れをせずともお酒になり、ある程度発酵も進む』ということです」(上原氏)。
上原氏は「『必ずしも櫂入れをしなくても良い』という結果を出せたのはうれしい点です」と話しつつも、「一方で数値には表れない差も見えてきました」と補足する。
「櫂入れをすることで米の溶け方や香りの出方には多少変化が生じることもわかっています。職員による官能評価では渋みの感じ方に違いが出ており、こういった点はこれから詳細な研究が必要かと思います」(上原氏)。
汲水歩合をICTでデータ化
2つ目の「醸造用水量(汲水歩合(くみみずぶあい))の増減と日本酒の味を構成する要素との相関調査」は、狙った味の日本酒をより造りやすくするためのデータ収集といえる。
醸造用水量(汲水歩合)とは、米の総重量に対する仕込水(汲水)量の割合のこと。もろみの発酵経過に影響を与え、香りや酸度といった酒質を構成する要素が大きく変化する。これまで杜氏さんたちの経験や勘に頼ることが多かったこの汲水歩合をICTによって可視化し、酒蔵が思い通りの日本酒を造れるようなデータを集めることが目的だ。
秋田県総合食品研究センターは、NTT東日本が提供する温度センサーとCO2センサー、そしてIoTカメラを各タンクに設置。汲水歩合を複数のパターンに分け、醸造工程におけるもろみの温度、タンク内のCO2濃度、もろみ表面の画像などを取得し、日本酒の味を構成する要素との相関を調査している。
こちらはまだ実証実験の真っ最中で、残念ながら詳しい分析結果を話せるほどデータが蓄積されていないそうだ。だが、この研究が進めば、より安定した酒質の日本酒が製造できるようになるわけで、その結果に期待がかかる。
ICTとAIを組み合わせた未来の酒造り
この実証実験の具体的な打ち合わせが始まった2020年2月は、ちょうど新型コロナウイルスが大都市圏で猛威を振るいだしたころ。もともとは東京からNTT東日本のICT担当者が来訪する予定だったが、コロナ禍によって急遽来られなくなるトラブルもあったという。その際に尽力したのが、地元のNTT東日本 秋田支店だった。
「NTT東日本 秋田支店のみなさまには、そのピンチヒッターとしていろいろとご協力いただきました。ICTに関することだけでなく、現場で酒造りのお手伝いをいただいたり、一消費者としてのご意見も頂戴したりしまして、大変感謝しています」(上原氏)。
秋田県とNTT東日本による共同研究はまだ始まったばかりで、この先もさまざまな研究結果が報告されることだろう。これまでの実証実験を振り返り、上原氏、および醸造試験場 場長の進藤氏は次のように語る。
「酒蔵さんは造ったお酒を売らなければいけませんから、なかなか冒険が難しいと思います。ですが醸造試験場はひとつのテーマに絞ったお酒を造ることができます。実証実験によって得られた膨大なデータをもとに研究を進め、秋田県、ひいては全国で共有し、より良い酒造りに役立てられたらなと思います。このデータという"宝の山"をどう解析していけば良いのか、いまはそこが悩みどころです」(上原氏)。
「ICTを使った今回の実験は、非常に大きな一歩になったと思います。これまで杜氏さんたちの頭の中にしかなかった技術や経験をデータ化することができれば、酒造りの負担軽減だけでなく、貴重な技術の継承にもつながることでしょう。将来的にはICTとAIを組み合わせ、サンプリングから分析、さらには機械を使った発酵制御まで自動化できればすばらしいなと思っています」(進藤氏)。
日本酒のフードバリューチェーンを目指して
最後にNTT東日本の松川氏は、「酒蔵の働き方改革」「秋田のお酒の販路拡大」という2点を今回の取り組みの目的として挙げた。
NTT東日本は現在、秋田との交流が深い台湾に着目しているそうだ。台湾の方が好む日本酒についても調査を進めており、今回の実証実験結果をもとに海外展開を狙えるお酒を造っていきたいという。
「酒造りの生産・加工から販売までつながるような、『日本酒のフードバリューチェーン』を構想しています。例えば、ある地域で好まれているお酒がわかり次第、ICTを活用してその成分に合わせたお酒を秋田で造り、できあがったら直ちにECサイトで販売する、といった形です。これによって秋田の酒蔵の人たちの稼ぐ力が向上し、秋田全体が元気になる……そんな未来を作っていければと思います」(松川氏)。