2011年3月11日に発生した未曾有の災害・東日本大震災から10年。マイナビニュースでは、この震災に様々な形で向き合ってきた人々や番組のキーパーソンにインタビューし、この10年、そしてこれからを考えていく。

現在フリーアナウンサーの大島由香里(37)は、当時フジテレビ入社5年目だった。2011年2月22日に発生したニュージーランド地震で現地を取材し、帰国してから1週間半後にフジテレビ本社で大きな揺れを感じる。

フィールドキャスターとして、震災発生直後に足を踏み入れた宮城県女川町。葛藤しながらも取材する中で、ある男性からかけられた言葉が今でも胸に残っている。

  • フリーアナウンサーの大島由香里 撮影:島本絵梨佳

    フリーアナウンサーの大島由香里 撮影:島本絵梨佳

■ニュージーランド地震の取材から帰国

フジテレビ2階のトイレにいるときに揺れました。ニュージーランドの地震を取材していて、現地で2週間滞在してホテルでは雑魚寝。今にも崩れそうな家々の中で取材、中継をして。そこから帰って来てからの1週間半後だったんですよね。

ニュージーランドでも余震にずっとうなされてたので、怖くてすぐにトイレから出られませんでした。携帯を見ても繋がらない状態。おそるおそるトイレから出たら、2階のメイク室から安藤優子さんが飛び出して来ました。

「大島! エレベーターが動かないから、今から階段で報道センターまで行くよ!」

「すぐに情報取って!」

非常階段で上がりながら調べても、なかなか全容が把握できない。「東北の方で地震みたいです!」と伝えながら12階の報道センターまで上がって、安藤さんはそのまま特番の中継に。

「私はどうしよう」取材に行きたくても電車や車も使えない。それから3日間ぐらい会社に寝泊まりしました。震災発生から1週間ほど経って取材に行けるようになり、ようやく現地に。言葉にならないほど悲惨な状況でした。

■声をかけるのが私の仕事

最初に行ったのが女川だったと思います。女川には湾があって、そこから十数メートルの津波が来て、多くのものが流されていました。水は引いていましたが、鉄骨だけになった建物の周りでは、住人の方々がいろいろなものを探していました。家族も含めて。

そこで声をかけるのが私の仕事です。涙が込み上げる私を見て、あるスタッフさんが「泣くな。お前のことじゃないだろ」と叱ってくれて。もともと自分は前に出ていくタイプではないので、どうしても感情移入して足がすくんでしまう。人の気持ちばかり考えてしまうので、自分にこういう取材は向いてないんじゃないかと痛感した瞬間でもありました。

「本当に申し訳ないです。こんな時に」そうやって声を掛けながら取材していると、50代ぐらいの男性に「こんな大変なところまで来てくれて、申し訳ないね」みたいに謝られたことがありました。「こちらこそこんなタイミングに、ずかずかと入って来て図々しく聞いてすみません」という私に、その男性は「いいよ、いいよ。現状を映してほしいし」と。そして、その後の言葉が今でも忘れられません。

「大変だろうけど、がんばってね」

それは私たちが、被災された方々に対して切に願うこと。女川でお会いしたその方の言葉が、ずっとずっと忘れられなくて。その後は亘理町や山元町、石巻にも行きました。

一番長期にわたって取材したのは南三陸町です。『ニュースJAPAN』で毎年行かせてもらって、防災庁舎が年々朽ちていくのを見ながら、「こうやって記憶が薄れてしまうのはよくない」という思いで一生懸命伝えるんですけど、自分自身の記憶も薄れていくのを感じて。どうすれば記憶が消えないようにできるのか。それはずっと考え続けているテーマです。

当時、震災後に南三陸町を離れる人がいる中で、出産して子育てをする選択をした若いご夫婦がいて、そのお二人に話をうかがった時に「自分たちは残る」とおっしゃっていて。当時の私は独身でした。「自分たちは残る」がどれだけ重く、力強い意志のもとで発せられた言葉だったのか。自分に娘が生まれた今、その言葉の重みを今更ながら感じます。

■まだまだやるべきことがある

子ども世代にどうやって残し、伝えていくのか。それが難しくて。2月13日に福島県沖地震が発生した時、ちょっと遅めの時間だったんですけど娘が「お茶飲みたい」というから水筒を洗ってたんですよ。そしたらグラグラっと揺れて、娘のところに駆けつけて「こわいよね」と抱きしめたら、お風呂のお湯が揺れているのに気づいて「バシャーンってなってる!」って喜んでたんですよね。

「お湯がバシャーンってなってるね。でも、これは地震といって大変なことでね」と言い聞かせたところで、3歳だからまだ何も分からないかもしれない。私は、娘にどうやって伝えていくべきなのか。日頃の備え以外にも、まだまだやるべきことがあると痛感しました。

防災グッズは用意はしていますが、今すぐに家から出ないといけない状況になると、足りないものがどんどん思い浮かんで来て。なってみないと分からないけど、なってみるともう遅い。そういうことすら気づけなかった。これは記憶が薄れ、油断していることの表れです。そういう自分にも絶望してしまいました。

3月11日14時46分。震災発生以来、何度も現場取材をさせて頂いた私の記憶。「取材してくれてありがとう」や「がんばってね」と逆に励まされた恵まれた身としては「私なんかが」と思わずに、「現場を見てきた私だから」と前のめりで声を上げ続けることも必要。そう自分に言い聞かせたいです。

いつか娘に東日本大震災について聞かれたら、きちんと向かい合って座って、伝えるべきことを伝えたい。娘と一緒に備えていこうと思います。

■プロフィール
大島由香里
1984年1月24日生まれ。神奈川県出身。成城大学卒業後、2007年4月にフジテレビに入社。『FNNスーパーニュース』、『ニュースJAPAN』、『あしたのニュース』、『新報道2001』などを担当。2018年からはフリーアナウンサーとして活動し、『バラいろダンディ』(TOKKYO MX)でアシスタントを務めている。2021年2月に1st写真集『モノローグ』(講談社)を発売、YouTube公式チャンネル『大島由香里に乾杯 !』を開設した。