岩手県陸前高田市小友町にある正徳寺。3月11日の大津波による被災から約5ヶ月間、庫裏は人々の避難所として、まだ寒さの残る三陸で食事や寝泊まりの場となって、生活拠点としての役割を果たした。そして、7月30日、避難所はようやく解散式を迎えた。

  • 「奇跡の一本松」と津波で全壊した陸前高田ユースホステルの遺構

■そして、あの日から10年

解散式の日、住職で私の弟でもある千葉了達は、初めて被災者と酒を酌み交わした後、Twitterにこう書き込んだ。

「最初のうちは、家を流され家族を亡くして、途方に暮れている人たちがたくさんいて、声をかけることもできなかった。できるのは、一緒に暮らして悲しみを受けとめることだけだった」

「ここまで被災者と共に歩めたことは、誇りだ!」

翌日、私は誰もいなくなった庫裏に行ってみた。以前と同じように静かな世界が戻っていた。たくさんの人々が行き来し、擦り切れた畳だけが彼らの痕跡を残しているかのようだった。

2020年12月29日。私は陸前高田市気仙町の高台にいた。そこは実家である正徳寺がある小友町からは9kmほどの距離があり、市の中心部全域を見下ろせる位置にある。私は改めて変わってしまった郷里を眺め、10年になろうとする東日本大震災後の歩みに思いを巡らせた。

  • 正徳寺の参道。本堂は高台にあって防風林に囲まれていたため、津波の被害を免れた

■10年経っても帰らぬ人々

陸前高田市が平成26年7月に発表した「陸前高田市東日本大震災検証報告書」にはこう書かれている。

「本市の犠牲者数は、人口2万4246 人に対し1757 人(行方不明者含む。人口比で7.2%)で(宮城県)石巻市に次いで2 番目、岩手県では最大である。これは津波浸水域人口に対 する犠牲者率では10.64%にあたり、岩手・宮城・福島県沿岸37市町村中最大である」

そして、昨年9月末の時点での陸前高田市の行方不明者数は202人(岩手県防災室発表)。10年経っても帰らぬ人を待っている家族やゆかりの人々が大勢いる。人口7.2%もの死者・行方不明者を出してしまった悲しみの蓄積は、外にはなかなか見えてこない。今も正徳寺の墓地には、祥月命日である3月11日や月命日のたびに墓地を訪れ、花や線香を手向ける人々の姿がある。

門徒数(檀家数)200軒ほどの小さな寺である正徳寺でさえ、ご門徒が20名ほど津波の犠牲になっている。市内の大寺院だった親族の寺では、300名を超える檀家の方が犠牲となった。一家全員が亡くなった家もあるという。

  • 2019(令和元)年に開館した東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMIメモリアル

7万本もの松が繁っていた景勝地・高田松原は跡形もなく流され、有名な「奇跡の一本松」だけが見える。もっともこの松も塩害で枯れてしまい、今あるのはレプリカである。

あの日津波が遡った気仙川は整備され、流された姉歯橋も再建されて車が走っていた。市街地跡は盛土によって約9メートルから12メートルかさ上げされ、そこに商業施設「アバッセたかた」、市立図書館をはじめ、商店や住宅が建っているのが見えた。

このほか野球場やグラウンドなどのスポーツ施設、広い「道の駅」と隣接する「東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMIメモリアル」ができるなど、街の形は少しずつ整いつつある。

■受け継がれる「祈り」、自然豊かな三陸を再び

もともと陸前高田市は景勝地・高田松原を擁する観光と、農漁業の町である。目の前の広田湾は非常に豊かな海で、以前から牡蠣や帆立、ホヤなどの養殖漁業が盛んだった。海産物は高い評価を受け、大都会に出荷されていった。

しかし大津波で養殖筏や漁船、加工施設が流され、高田松原も失われた市の産業は大打撃を受けた。そこに2020年からのコロナ禍が加わって、自慢の海産物も市場が小さくなり、痛みは倍加している。ローンを抱え、苦しむ人も多いにちがいないと思う。

  • 正徳寺本堂

希望があるとすればそれは子どもたちの存在だ。高台にある実家の周辺にも新しい住宅が建ち、それにつれて子どもの数も増えてきた。

正徳寺の近隣地区では、正月に地域の家々を子どもたちの虎舞がまわる習慣がある。近年は参加する子どもの数が増え、賑やかになった。もともと民俗芸能が盛んで、一つの集落に一つの芸能があるといわれる地域である。大災害のあとも伝統を受け継ごうとする意欲は頼もしい。

実は、受け継がれる芸能には「念仏舞」など、鎮魂のためのものも少なくない。三陸は長い歴史の中で何度も大災害に痛めつけられてきた。鎮魂の芸能や祭りが盛んなのはその象徴だろう。2021年はコロナ禍で多くの行事が中止になったが、人々が鎮魂を忘れることはない。来年はまた虎舞も復活するだろう。そういう土地柄なのである。

今の私の願いは1日も早くコロナが克服され、自然豊かな三陸を再び多くの人々が訪ね、楽しんでくれることである。三陸はそれだけ魅力あるところなのだから。

文/千葉望