いまから70余年前、1947年にジャッキー・ロビンソンは、ブルックリン・ドジャース(現ロスアンジェルス・ドジャース)のユニフォームに袖を通した。20世紀初の黒人メジャーリーガーの誕生。 だが、人種差別が激しかった当時のアメリカ合衆国において、ジャッキーは苦闘を強いられる。

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スタンド、相手ベンチから差別的な言葉を浴びせられるだけではない。チームメイトからも無視され心が折れそうになる。それでも諦めなかった。 「必死にプレ-して結果を出せば、みんなが自分を認めてくれる。そして黒人差別もなくせる」と信じて──。

■ジャッキーを救った男

シーズン1年目、1947年5月のフィラデルフィア・フィリーズ戦。スタンドと相手ベンチから激しく罵られる中、ジャッキーはビーンボール(故意死球)を喰らう。のけぞって避けようとするも肩にボールが当たりグラウンドに倒れ込んだ。
相手投手は、謝るそぶりを見せるどころか、ニヤついていた。
「ブラックはのろまだから当たるんだよ。そのまま死んじまえ!」
心無い野次が飛ぶ。

その時だった。 ドジャースベンチから、ひとりの選手が飛び出してホームベース付近に駆け寄る。
「大丈夫か、ジャッキー」
そう叫びながら。 その男は、チームのキャプテンであるピー・ウィー・リースだった。
「いまのは、わざとだろ!」
リースは相手キャッチャーに抗議する。
「いいじゃねえか、ブラックなんだから」
そう言い放つキャッチャーにリースが掴みかかろうとした時、ジャッキーが起き上がり言った。
「やめてくれリース。俺は大丈夫だから。さあ、チャンスだ。このチャンスをみんなで活かしてくれ」

6月下旬のビジターゲームでは、こんなこともあった。
この日の差別的野次は、さらに激しかった。ジャッキーが2本のタイムリーヒットを放っていたからだ。
「その黒い手が恥ずかしくないのか」
「奴隷は綿畑に帰れ!」
守備についたジャッキーは、下を向いて必死に耐えていた。
その時、彼は誰かの腕が自分の首に触れているのを感じた。ショートを守っていたリースが、いつの間にか近寄ってジャッキーの首に肩を組むように腕をまわしていたのだ。
「野次なんて気にするなよ」
リースはジャッキーの耳に口を近づけて、そう言った。

ジャッキーは驚いた、そして嬉しかった。
その様子を見て、スタンドのファンが今度はリースに罵声を浴びせる。
「お前は黒人の味方かよ、恥を知れ!」
「非国民! 裏切り者! そんなことをしてると、お前のポジションを黒人に奪われるぞ」
リースが守るショートは、ジャッキーの本来のポジションだった。ジャッキーのチーム加入でリースはレギュラーから外される可能性もあったのだ。そんなリースが、ジャッキーを助けようとした。 彼は、ジャッキーと肩を組んだまま、スタンドに向かって叫んだ。
「ジャッキーは俺たちの仲間だ。お前ら、吠えたければ吠えろ。野次りたければ野次ればいい。だけど俺たちは、ここに野球をしに来ているんだ」

■記念すべき「1947ワールドシリーズ」

このリースの勇気ある行動に、ドジャースのチームメイトたちは心を打たれた。 以降、チームの雰囲気が大きく変わる。
夏になると、ジャッキーは、さらに活躍。ロッカールームにおいて、ジャッキーに声をかける選手が増え始めた。
「ナイスプレー、ジャッキー」
「お前のおかげでチームが勝てた。俺も負けないように続くぞ!」
それに比例して、スタンドや相手チームのベンチからの差別的な野次も聞かれなくなる。

このルーキーシーズン、ジャッキーは151試合に出場、打率.297、12本塁打、48打点の成績を収める。走っては29スチールで盗塁王のタイトルを獲得、この年から設けられた新人王にも選ばれた。
そして、ドジャースのリーグ優勝に大きく貢献したのだ。

ワールドシリーズは最強チーム、ニューヨーク・ヤンキースとの闘い。
「伝説の男」ジョー・ディマジオをはじめ、トミー・ヘンリック、ジョニー・リンデルらが集うヤンキースは、実力的にドジャースを大きく上まわっていた。結果、ドジャースは3勝4敗でヤンキースに敗れる。
だが、ヤンキースが優勝したこと以上に、1947年のワールドシリーズは記念すべきものであったと多くのアメリカ人に記憶されている。初めて黒人選手が出場したシリーズとして。

9月30日、ヤンキー・スタジアムでの第1戦。
1回表にジャッキーは四球を選んで出塁し、その直後に盗塁を決める。スタンドのファンは敵味方関係なくジャッキーに声援をおくった。

スタンドで試合を観ていた、ある白人の男の子は言った。
「大きくなったら、ジャッキー・ロビンソンのような素晴らしい野球選手になりたい」
ジャッキーは、メジャーリーグに挑戦してからどんな嫌がらせを受けようとも、時に暴力を振るわれても、人前で涙を見せたことはなかった。だが、この話を伝え聞いた時、黒い頬に大粒の涙を流していた。

(『「42」ジャッキー・ロビンソン最後の勇姿─65年前、後楽園球場で放った驚愕の場外ホームラン』に続く)

文/近藤隆夫