逝去から時が経ったいまでも、野村克也氏にまつわるエピソードは毎日のように記事として配信され、著書も毎月のように刊行されています。あらためて、その「存在感」を再確認するとともに、同氏が残した言葉に感銘を受けることは多いでしょう。先行きが見えないいまの時代にこそ響く、野村克也氏の「志の言葉」です。

  • 監督として南海、ヤクルト、阪神、楽天と渡り歩いた野村克也氏。アマチュアのシダックスでも采配を振り、知将として数々のドラマを生み出した。(写真:毎日新聞社)

■若いときに流さなかった汗は、年老いて涙に変わる

毎年、シーズンオフになるとたくさんの選手たちが球団から戦力外通告を受ける。会社で言えば、解雇通告だ。そして、プロ野球をクビになった選手たちは異口同音にこう語る。

「もっと真剣にやっておけばよかった」 「死に物狂いになってもっとがんばればよかった」

まさに、「後悔先に立たず」である。しかし、ユニフォームを着ているあいだはなかなか気がつかないものだ。誰でも最初は、「日本一の投手になる」とか「日本を代表する長距離打者になる」とか大志を持っているが、ファンにちやほやされたり、手を抜くことを覚えたりして、自分を見失う者がなんと多いことか。

それなりに仕事がこなせるようになると初心を忘れてしまうのは、プロ野球の世界に限ったことではないだろう。もっと向上しようという意欲が薄れ、気がついたときにはもはや手遅れ……。

プロ野球選手なら、戦力外通告を受けたとき、大きな勘違いをしていたことにはじめて気づく。若いときに怠けたり楽をしたりして流すべき汗を流さないと、年を取ってから涙を流すことになる。

だからこそむかしから言うのだろう。「若いときの苦労は買ってでもせよ」と。

■進歩とは変わること、変わることが進歩である

わたしは監督時代、選手に対して常に変化することを求めていた。

「進歩とは変わること、変わることが進歩である」と。

だが、変化することは容易ではない。その理由として考えられるのは、「人は現状維持を望むもの」「変化することは不利に思える」「変化する勇気が持てない」などである。不平不満がそれほどなければ、いまのままでいるほうが居心地がいいのはわかる。しかし、変わることに楽しみを見出せれば、もうひとつ上のレベルに成長できることを知ってほしい。

わたしは、「こうすればよくなる」「こうすれば一流になれる」という思いで見ていた選手たちが、結局、変わることができずにプロ野球界から去っていくのを数えきれないほど目にしてきた。だからこそ、変化の重要性を訴えるのである。

変化とは、なにかを失うのではなく、なにかを得ること──。

変化してダメになった人間は意外に少ないものだ。むしろ変化することで、新しい可能性を発見して道を切り開いた人間がほとんどだろう。

厳しい競争社会のなかで長い年月を生き残っている者は、必ずどこかでなにかを変化させている。変化できなかった者が、表舞台から消えていっているのだ。

■忍耐の裏にあるのは希望だ

わたしは、若いころから人の倍以上に練習したし、毎日の素振りも欠かさなかった。けれど、つらいとか苦しいと感じることはなかった。それどころか、楽しいとさえ思うこともあったほどだ。

だから、素振りなどの練習をするために「努力しなければいけない」「耐えなければいけない」と自分に言い聞かせる必要もなかった。

なぜなら、忍耐の裏には希望があふれていたからである。

他の人より練習して一流の選手になれば大金を稼ぐことができるし、家族を楽にすることもできる。キラキラした未来のほうが、忍耐することのつらさや苦痛よりもはるかに大きかったのである。

わたしからすると、「つらい」とか、「苦しい」と愚痴っているうちは半人前。「努力しなければいけない」とか、「耐えなければいけない」という意識が頭から離れないようでは、一流への道はまだまだ遠いということだ。

いまより成長した自分になるには、忍耐や苦痛がともなうのは当然ではないか。自分で選んだ道なら、よろこんで受け入れるだけの気概が必要である。それを、苦労と呼んでいいわけがない。忍耐の裏側には大きな希望があるのだから、楽しむくらいの余裕を持ってもらいたい。

  • 1978年5月2日【ロッテ3-1近鉄】。移籍後、初アーチを喜ぶ野村克也氏と金田正一監督 (写真:毎日新聞社)

■運命は変えられるか? わたしの答えは「YES」である

運命は変えられるか? 運は自分で切り開けるものなのか? わたしの答えは「YES」である。

心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。

これは、わたしの好きな言葉である。

この言葉には、「正しいプロセスを経て努力すれば、必ず幸運に恵まれるときがくる」というわたしの考えが言い尽くされている。「自分は運が悪い」「自分には運がなかった」。こうした言葉をよく耳にするが、本当にそうなのだろうか?

わたしは、誰もが運を持っていると思っている。しかしその運に「プラスアルファ」を重ねなければ、運は強くならないし、運命を変えることなどできない。

運の強さとは、運そのものの強弱ではなく運を引き出すために努力を続けたかどうかで変わるものだ。そうして努力することで強くしてきた運が重なることによって、運命もまた変わってくるものなのだ。

■運というものは、九分九厘まで自分で運ぶもの

アドバイスを受け入れて自らを変えた選手が、大きく成長して長く活躍した例をいくつ見たことだろう。その反対に、どうしても自分のスタイルを変えられずに活躍できなかった選手を思うと、いまでも残念でならない。

どこの世界でも、同じような実力や素質を持った人たちが、一方はチャンスをつかんで活躍し、もう一方はチャンスをつかめずに終わってしまうということがある。それを見て、「あの人は運がなかった」と言う人がいる。そして当事者は、「自分は運が悪い」と嘆く。しかし、不運には必ず理由がある。そして、幸運にも、それ相応の過程がある。いずれにしても、結果を運で片づけるのは、運を天にまかせ過ぎである。運のせいにする前に、もっとやることがあるはずだ。そういう努力を重ねてこそ、はじめてチャンスをつかむことができるのである。

そもそも運というものは、九分九厘まで自分で運ぶものである。どうやって運ぶのかというと、自信である。自信を持ってやっているからこそ、運を引き寄せられる。そう考えるべきだ。

自信を持って生きている人にはしっかりとした特徴がある。それは他人をうらやましがったり、ねたんだりしないということだ。この、自分を大切にし、尊重する「自尊心」を自分のなかで育てていってほしい。そうすれば、運を引き寄せることができるようになる。

※今コラムは、『野村の結論』(プレジデント社)より抜粋し構成したものです。