「最近の子は自分で考える力がない」という言葉を耳にしたことがある人もいると思います。みなさんはどう考えますか? ツイッターでは、いさけんさん(@isa_kent)の投稿をきっかけにさまざまな持論が飛び交っています。

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基本的に「勉強を教わりにくる」塾の講師とは別に、学童という「子供たちを見守る場」に、それなりに長く関わってみて、改めて感じたのは「怒られたくなかったら、自分の頭で考えなさい」と言われて、考えてもまた怒られるを繰り返し、結果的に色んなことにやる気を無くしてしまった子供の多さだ。
(@isa_kentより引用)

いさけんさんは更に続けます。

自分で考えたことを、ただ否定され続けた子供たちが、最終的にたどり着く考え方は「言われたことしかしない」であり、それでも言われた通りにしたくない時に取る行動は「知らない、出来ない」と、その責任を丸ごと投げ返すことになる。
要するに、考え続けた結果「考えることを放棄する」という考えに行き着くことになるんです。そういう子供(あるいは大人でも)は、初めから考えなかったわけではなく、考え方そのものや、その考えを適切に伝える方法を教えてもらえず、その過程で考えても無駄だと「学習」するんだと思うんです。
「自分で考えて行動できる人になる」というのは、それだけを見ればとても「正しいこと」のように見える。けれど、そのために必要なことを教えようともせず、その正しさだけを一方的に押し付け、それ以外は否定し続けることで、むしろ真逆の人間を育ててしまうことになる可能性もあるのだと思います。
こう言った事例は、最近では「学習性無力感」などと言われていますが、人が無力感を学習するのは決して劣悪な環境によるものばかりではなく、時には「正しさに溢れた環境」でも起こり得るという ことを、僕たちはもう少し気にかけておかないといけないんじゃないかな。
(@isa_kentより引用)

いさけんさんにお話を聞いてみました。塾や学童といった現場で長く「考えることが苦手、もしくはほとんど出来ない子が多くいる」と感じていたそうで、今回も偶然「怒られたくないなら自分で考えなさい」と言われる場に居合わせたことがきっかけで、これまで常日頃から感じていた実感が一連のツイートとしてまとまったとのこと。

いさけんさんが述べたこの持論に、「めちゃめちゃよくわかる」「これは真理だわ」「すごく胸に響く内容です」「うちの小学校の教師たちと、日本企業じゃん」と共感の声が続々と寄せられていました。

また、「俺これだ」「私かな?」「僕です…」など、自分がまさに同じ状態であるという人も多く、そうなった過程について話してくれています。

・「うちの父がまさにそれで怒鳴るだけ怒鳴って何がいけないのか、何をしていいのか悪いのか何も教えてくれず『自分で考えろ』でした。考えても考えても怒鳴られ正解がでず最終的には自分否定に行きましたし、自分を今でも1番信用できない人間になりました」

・「うちの場合はもっと酷くて『自分で考えることは禁止、親の価値観から少しでもズレたら罵詈雑言』だったから、兄は大人になった今でも家族で食事をする時自分が食べるメニューを自分で決めることができない」

・「小中学学校でさんざん『周りと同じようにしなさい』『人と違うことをするな』と教育を受けてきて、いざ就活で『あなたにしかない個性は何ですか?』と問われる。そりゃないぜ」

いさけんさんへのリプライの中にもありましたが、今の日本社会は「子供が自分で考えた結果 = 大人が求める答え」という現状にあり、そこから外れると怒られる……。その結果、そうした環境下では、言うことを聞く”いい子”になるか、言うことを聞かない”悪い子”というレッテルを貼られるかの二拓になってしまうのかもしれませんね。まるで正解か不正解しかないテストの問題を、現実の世界にも当てはめてしまったかのようです。

ただ、いさけんさんは次のようにおっしゃっていました。このような現状を多くの人が感じているからといって、その押し付けられたと感じる「正しさ自体が間違っている」わけではなく、その正しさが正しくあるために必要ないくつもの要因……例えば伝えるタイミング、実感できる環境、本人が受け止められる余裕などがうまく整わないためではないかとのことでした。「共感いただいた方々の中にも、きっと正しくありたいと考えている人は多いけれど、現代社会にはまだ、その思いを叶えるために足りないことが多くあるのだろう」と感じているそうです。

いさけんさんと同じような考えを持つ人は多く、ツイッター上は、それぞれの持論を述べるツイートで溢れていました。いくつかご紹介します。

・「答えが100通りある中で、大人が正解と思ってるものがたった一つだけだったら、99かい考えても全部間違ってると言われて怒られるということになりますね。 親や先生の価値観で子供に正しさを押し付け、否定していたら、子供は自分で考えることを放棄せざるを得なくなるでしょうね」

・「『ちゃんと考えて』って指摘する人は、『考えて欲しい』のではなく『自分が望むように行動して欲しい』だけなので、自分の頭で頑張って考えてもそれを評価されることはなく、結局『言いなりになるしかないんだ』という風に学習しますね」

・「『怒られたくないなら、自分の頭で考えろ』って本当無責任な言葉だよ……。しかも頑張って考えて導き出した答えを提示すると、『キレたり』『呆れられたり』『罵倒されたり』するんだもん。そりゃ、やる気も思考も無くなる……」

・「大人は子どもが思うように動かないのを『考えていない』せいにしがち。でも元々は相手に何を要求しているかすらも意識しないまま頭ごなしに『考えろ』と言うことが多いと思う」

「自分で考えろ」と言いつつ、自分が望む回答以外は認めない……そんな教育が「考える力」を奪っているのかもしれません。子どもを教育する立場にある親や教育現場で働く人、また、会社で部下の指導にあったっている人など、多くの人がドキッとする内容だったのではないでしょうか。