日本テレビの桝太一アナウンサーが、同局系特番『第40回全国高等学校クイズ選手権』(11日21:00~23:24)で、同番組の総合司会を卒業することが9日、明らかになった。
福留功男、福澤朗、ラルフ鈴木とう面々に続き、2011年、4代目の総合司会に29歳で就任した桝アナ。今年はコロナ禍のため、例年通りの夏開催を見送り、全国の高校生とネットでつなぐ“完全バーチャル対決”として実施されたが、桝アナは自身にとって10回目となる大会を大いに盛り上げた。
この節目となる大会を無事に終えたことから、総合司会を卒業することが決定。10年間務めた番組への思いやエピソードを、以下のとおりコメントしている。
■桝太一アナウンサー
高校生クイズの総合司会になったのが2011年で、同じ年にZIPもスタートし、うちの娘も同時期に生まれていて、娘の成長と高校生クイズの歴史とZIPの歴史が全部重なっているんです。
その中で、夏と言えば高校生クイズ、高校生クイズが終わらないと夏が終わった気がしないというサイクルだったので夏の区切りがなくなるのはさみしいですね。
以前リオデジャネイロオリンピックの時、ブラジルからそのままアメリカに行って高校生クイズをやったんですが、会社から「このスケジュールで大丈夫か?」と打診されたときにも「絶対やりたいです!」と言って参加させてもらったんです。どんなに忙しくても高校生クイズだけはやりきるという思いでずっとやってきましたし、それくらい自分にとって大事な仕事なんです。
と言うのも、高校生クイズは自分という人間を変えるきっかけをくれた仕事だと思っているからです。
生き物の研究をしていた頃は人前に出るタイプではなくて、福留さん・福澤さん・ラルフ鈴木さんと、人を引っ張る力がある人が歴代の総合司会を務めてきた中で、自分だけ場違いだなと最初は感じていたんです。でも、高校生クイズのおかげで、自分が先頭に立って人を引っ張っていくという立場を生まれて初めて経験して、慣れない自分のことも参加した高校生の皆さんが本当にあたたかく盛り上げてくれて、それが今ZIPや他の仕事にも生きているんです。高校生クイズは自分自身を変えてくれた番組だし、自分でも成長したなと思っています。生物部部長だった高校生の頃の自分が今の自分を見たら「うそでしょ?」って感じると思います(笑)
一番記憶に残っているのは、予選の関東大会の登場の仕方。自分のせいで、ポップアップというジャンプして登場する演出が無くなってしまったことです。ラルフさんは格好よく高く飛べたんですけど、僕は何回やっても低すぎるということで、まずジャンプする演出がなくなりました。それで、せり上がりという、ゆっくり上昇して登場する形になったんですけど、ある年、せり上がるときにスニーカーが装置の隙間に挟まってしまい、動けなくなりました。咄嗟にスニーカーを脱いで、片足裸足で前に進んで「ビクトリー!」ってごまかそうとしたら、高校生がざわざわして…それ以降、せり上がりすらなくなりました(笑)。高校生クイズの伝統を一個消してしまったのは私です…。
自分はアメリカ横断ウルトラクイズを見ていた世代なので、アメリカに行ったことも忘れられないですね。NYの自由の女神を、ヘリコプターから見下ろしながら実況するシーンがあったんですが、個人的にそれを撮ると分かった時から、福留さんのウルトラクイズでの同じシーンを見つけてきて、何度も何度も見て、敬意をこめて同じ言い回しを本番でさせてもらいました。福留さんご本人の許可はとれていないのですが…(笑)
子どもの頃に見ていた、自分の中での“日本テレビのアナウンサー”は、やっぱり大型クイズ番組の司会をする姿でしたから。誰もが立たせてもらえる舞台ではないですし、1つの夢をかなえることができたと、今でも思っています。
あれは、日本テレビでアナウンサーになれて本当に良かったと思った瞬間でした。
今年は高校生が会場に集まることができず、ネットでつないだバーチャル対決になりましたが、高校生クイズは他の番組と違って、高校生とスタッフが一緒になって作っていく番組です。一緒に青春の1ページを描こう!という仲間感がある番組だと思っています。今回もその熱量は変わらずできたと思っているので、ぜひ放送を見て頂ければと思います。
この1年間、高校生のみんなは、いろいろな気持ちを抱えながら過ごしてきたと思います。今年参加してくれた全ての高校生にとって、例え半ページであっても、この高校生クイズが青春の一部になってくれたとしたら、それ以上の幸せはありません。