「お金持ちがSNSやゲームをしない」という統計値があるかどうかはわかりませんが、そういったイメージはあります。このようなイメージが形成された背景には、SNSやゲームにマイナスの印象があるからかもしれません。本稿では本当にそうなのか、SNSやゲームに費やす時間はどういう性質のものか、また時間の使い方がどう違うために金持ちになりうるかなどを考えてみましょう。
時間の使い方は「生産」と「消費」に分けられる
人に与えられている時間は等しく、1日24時間を所有しています。睡眠を削ってでも、新規に立ち上げた会社を軌道に乗せようと邁進している人もいれば、仕事は定時までと決めて、残りの時間を趣味に使う人もいるでしょう。
現代人は、太古の人類や江戸時代など昔の人々と比較して自由な時間が多くあります。太古の時代は日々命を脅かす動物や敵と戦い、食糧を確保するために多くの時間を使わなければならなかったでしょう。江戸時代も庶民は似たようなものです。夜は照明もなく行灯程度で、しかも油は高価だったので、早寝するしかありません。意外に労働時間は短かったようですが、だからと言って自由な時間があったわけでもなく、自由な時間を使う先も現代のようにあふれていたわけでもないでしょう。
一方、現代人が持っている豊富な自由時間をどう使うのかを考えてみると、「生産」と「消費」の大きく2つに分けられると思います。仕事は明確に生産だと言えそうですが、体や心のケアも明日につながる生産と言えるでしょう。多くの人がストレスを抱えています。心のケアも立派な生産の一貫と考えてよいでしょう。
では、消費とはどのようなものを指すのでしょう。その時間を後につながらないことに使うことです。しかもそれをより受け身でいることではないかと思います。友人との会食が明日の活力につながる人もいれば、ゲームが最良のリフレッシュという方もいるでしょう。反対に一時の逃げ場としてゲームに没頭するケースもあります。同じゲームでも様々なのです。
お酒も同じでしょう。毎日の晩酌が疲れを取り除くこともあれば、お酒にのまれてしまって中毒になってしまうケースもあるのです。それにのまれるか否かで、大きな違いが生じます。つまり、時間を受け身で過ごすか、明日につながる使い方にするかで、生産と消費の違いが生まれるということです。
コロナ禍にみるストレスと自由時間の使い方
今回の新型コロナで、多くのことを気づかされたと思います。とりわけ問題が大きくなってわずか1カ月程度で、多くの人たちがストレスを抱え始めたのには驚かされました。職を失ったり、収入が減ったりすれば確かに大きなストレスには違いありません。しかし、外食や仲間との飲み会、イベントへの参加、旅行などが制限されたことによるストレスが、若い世代には想像以上に大きかったことには、ある種の危うさを感じました。
一方、高い年齢層の人たちは、意外に泰然としています。「買い物に行けなくても米さえあれば何とかなる」「外出できないので今のうちに断捨離をする」など、日ごろできないことを早々に見つけて切り替えていました。日々忙しく働いて、日々そのストレスを解消しなければならない年代と、比較的余裕のある熟年世代の違いや、人生にはアクシデントがつきものという経験値の違いはありますが、それだけとは言えない本質的な違いです。
そのような違いが生まれた原因のひとつに、都会の人間は、自由時間を既存の施設やサービスに頼り過ぎではないかと思います。田舎に住む人間が、外出や周りと交流できないからといって、ストレスを過剰にため込むでしょうか。日頃できない田畑や家屋や山林の手入れなどに精を出すのではないでしょうか。
都会の働き盛りの世代の自由時間はかなり受け身なのではないかと思います。受け身の姿勢の時間が多ければ、当然富につながる生産の時間も短くなり、お金持ちからは遠くなっていくでしょう。何もない時代を知っている熟年世代のように、既存のモノに頼らない生き方を見習ってみてはいかがでしょうか
仕事ほど面白いゲームはない!
さて、「お金持ち」とはどのような人達なのでしょうか。一代で「お金持ち」と言われる財産を築いた人たちは、必ず全精力を費やして頑張った時期があるはずです。そして今もその多くは全精力を費やし続けているのではないかと思います。親の財産や地位を受け継いだケースであっても、子どもは親が全力で取り組んでいる姿を見て知っています。親が、家でネットやゲーム三昧ということはなかったはずです。
「金持ち」とは、時間を有効に使っての努力と多少の運も味方して、結果、富を蓄えることができた人たちか、その資質と生活スタイルを受け継ぎ、富を増やしていく後継者たちだと言えます。私は不動産活用等の仕事をしていたことがありますが、親から受け継いだ不労所得の不動産で遊んで暮らしているケースを多く見かけました。そうした人達は、真のお金持ちとは言い難いと思います。財産も果たしてどの代まで維持できるか疑問です。
ではなぜお金持ちと言える人達は全精力をつぎ込むことができたのでしょうか。結局は、やりたいことがある人間にとって、仕事ほど面白いゲームはないのではないでしょうか。収入という副産物もついてきます。どんなによくできたゲームであっても、現実の人間社会の中で未来を切り開いていく面白さに敵うはずがありません。もちろん、挫折やゲームにはない多くの苦しみもあるでしょう。それを次々に乗り越えていくことへの達成感も、ゲームと比較できないほどの大きなもののはずです。
万民が等しく所有している時間を、ゲームやSNS三昧に受け身的に消費するか、生産に使うかで違いが出るのは当然です。そしてその生産のための時間をいかに楽しむかで、成功への距離も違ってくるでしょう。時間を受け身に使うか能動的に活用するか、消費するのに使うのか生産するのに使うのか、楽しむかそうでないのか、岐路はいろいろありそうです。