『CURE』『トウキョウソナタ』の黒沢清監督が、世界三大映画祭のひとつであるヴェネチア国際映画祭において銀獅子賞(監督賞)を獲得した『スパイの妻(劇場版)』(16日より公開中)。太平洋戦争前夜を背景に、ひと組の夫婦を通して歴史の闇に切り込んだ本作で主演を務めるのが蒼井優だ。スパイの嫌疑をかけられる夫を高橋一生が演じ、『ロマンスドール』に続いての夫婦役となった。

映画デビュー作『リリイ・シュシュのすべて』(01)から20年目を迎えている現在、邦画界を背負って立つ存在となった蒼井。本作へ取り組んだ感想や黒沢監督の印象にはじまり、女優として、また大人の女性として抱える、これから先への思いを訪ねると、「眉間にシワを寄せるのではなく、笑いジワでしわくちゃになりたい」と、自然体の笑顔で蒼井らしい答えを返した。

  • 蒼井優

    『スパイの妻(劇場版)』主演の蒼井優

■今に繋がる作品だから出演を決めた

――『スパイの妻(劇場版)』は、センシティブな題材も扱っている時代ものです。オファーを受けることに迷いはなかったのでしょうか?

歴史としての何かを暴くとか、いいとか悪いとかを扱ったのではないというか、そこで止まっていない作品なんです。そういうことがゴールなら、やりたいと思えませんでした。台本を読んだときに、夫婦の話を通じて、自分たちの今と未来に繋がっていて、生きていくことへの「幸せとは何なのか」を考えさせてくれる作品だと感じたので、出られたのだと思います。

――いろいろな方向に感情を揺さぶられました。

最初は、どういう作品なのか全く想像がつきませんでした。セリフ回しにしても、私はとても好きなのですが、「今、この感じをやるんだ」と。企画が成立していること自体が奇跡だと思いました。きっと黒沢監督だからだろうなと。ものすごく有難い企画をいただいたと思いましたが、同時に、「(蒼井演じる)聡子はこういうキャラクターなんだ」という確証も、「この映画のここが面白いんだ」という確信もないまま、必死で撮影していました。「こんなに面白い作品だったんだ」と感じたのは、出来上がってからです。もちろん面白くないと思っていたわけじゃないです(笑)。

■印象に残る、現代劇とは違うセリフ回し

――全く違う世界観ではありますが、セリフ回しという意味で、山田洋次作品が浮かびました。

語尾まで大事に話すというところが、山田作品とリンクしているのかなと思いました。現代劇って語尾を捨てていくんです。言葉の立ち上がりも遅いし。ニュアンスで語ることが多くて「なんか」とか「あの」とかでだいたい表現できる。話している内容が本心ではなくて、本心が出るのはちゃんと台本にあるのかアドリブなのか分からないようなセリフだったりする。けれど、今回のセリフ回しのようなものは、言っていることが大事。

――あの感じは黒沢監督と相談して?

そうです。監督が少し違和感のある感じにしたいとおっしゃっていました。「とても難しいと思いますけど、頑張ってください」と最初に言われました(笑)。

――蒼井さんだから成立しえたのだと、とても感嘆しました。

でもやりすぎてしまうときもあって、そうしたときは監督に「違いますよ」と言われてました(笑)。

――黒沢監督はどんな方ですか?

特徴的だなと思うのは、カメラワークがなんとなく決まっていることです。監督のなかには、役者から生まれるものを撮っていく方が結構いらして、それも私は好きですが、黒沢監督の場合は映像表現がまず先にある。役者に「こう動いてほしい」「こう撮りたい」とリクエストして、その中身を埋めるのは役者の作業だと。そこが特徴的だし、私が黒沢さんの好きなところのひとつです。

■聡子として、浮遊していた

――1940年の神戸が舞台でした。あの街並みや家の中に立たれた感覚は?

ふわっふわしてました。なんだか実感がないというか。

――これまでにも戦争ものには出られていますが、それらはもっとはっきりと戦時下を意識させるものでした。

そうですね。モンペを履いてたり。聡子はとても恵まれた生活をしていました。国際情勢も知っているような知らないようなくらいの知識で生きてきて、傍には尊敬できて信頼している旦那さんがいる。後半、聡子が「やっと今生きてる感じがする」と言いますが、特に前半は浮遊しているような感覚で生きていたのだと思います。ふわふわと。

――甥っ子の文雄(坂東龍汰)も、優作(高橋一生)が作り上げた「恵まれた環境にいることを叔母さんは知らない」といったことを口にしていました。聡子は後半になって初めて地に足がついた?

はい。やっと地に足をつけて物事を考えざるをえなくなった。そして着けたと思ったらそこは沼で、ずぶずぶと落ちていくような、潜っていくような場所だった。撮影中は、街並みも、何かまともに見られませんでした。すごく俯瞰から見ているような感覚と、潜ってみているような感覚とで。

――聡子への確証がなかったと最初にお話されましたが、聡子とリンクしてたんですね。

そうですね。意外とちゃんとやってたんですね(笑)。

■「何が幸せなのか」、鑑賞後に話し合ってほしい

――物語が進むにつれ、聡子は、内部がどんどん激しくなっていきます。共感しましたか?

今回は聡子のなかに入って想像しようとすればするほど、しんどかったんです。頭で理解しようとすると、私はそれやらないなみたいなことを結構やる人ですし、何より、背負っているものとか、触れているものとか、突きつけられているものが、あまりにも想像を絶しているので。アイスを食べて幸せだなと思っているような自分には、到底抱えきれないような人生。だから理性で見るのはやめようと思いました。聡子は時に極端な行動に出たりすることもありますが、そこは理解できました。彼女なりの筋を通した結果だなと。

――完成した作品をご覧になって感じたことを教えてください。

受け取り手によって、捉え方がどうとでもなる作品だと思います。観終わってから、誰かとぜひ話し合ってほしいと思いました。「何が幸せなのか」とか。自分の生活にちょっと置き換えて考えてほしいです。ただ聡子に関しては、どうしても直視できないんですよね。今度映画に出ることがあったら、ああしようこうしようとか反省点が出てきて落ち込むので、半目で見るくらいです。

――反省点が出てきてしまう? それはどの作品でもですか?

毎回です。

■笑いジワで目じりがしわくちゃになっていきたい

――映画デビューから20年目になりました。これから先へ抱えている思いを教えてください。

20年目ですか。はあ~(苦笑)。昔より、すごくいろいろと考えるようになりましたね。もっともっと喜びだけに溢れた映画作りができないものかと自分を恥ずかしく思ったり、情けなく思ったりしています。たとえば塚本晋也監督(『斬、』)みたいに映画の現場にいられたらすごく幸せだなと思うんです。

――それはどういうところが?

すっごく楽しそうなんですよ。どれだけ大変な現場でも。早朝から「今日は内臓が出るシーンを撮りますよ。ここをバッて切ったら、ここにピピピって内臓が出ますから」みたいなことをとても楽しそうに話していて。なんてステキな人なんだと(笑)。どうしても責任や不安といったものにがんじがらめになりがちですが、そうならずに楽しく撮影していけたらと思っています。

――大人の女性として目指したいところはありますか?

友人たちと、笑い転げながら、そのまま歳を重ねていきたいなと思います。

――では公私ともに「笑顔」がテーマでしょうか。

そうですね。これまでどこか「一生懸命」を目指しているところがありましたが、でも人生は楽しいほうが絶対いいですよね。眉間にしわを寄せてまでやらなきゃいけないことって、何かあるのかなと思うようになってきて。もちろんちゃらんぽらんに生きるのはダメですけど、眉間にしわを寄せるくらいなら、笑いジワで目じりがしわくちゃになっていったほうがいいなと思っています。

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