■1カ月限定、小田急全線で「赤い1000形」運転
2019年10月の「令和元年東日本台風」(台風19号)で、急勾配、急曲線の続く険阻な箱根湯本~強羅間が被災し、長期不通が続いていた箱根登山鉄道が、2020年7月23日、約9カ月ぶりに全線で運転を再開した。小田急電鉄は運転再開当日の早朝、新宿発箱根湯本行の臨時特急「おかえり登山電車号」を運転し、花を添えている。
箱根登山鉄道は、小田急電鉄の連結子会社である小田急箱根ホールディングスが100%の株を所有し、小田原~箱根湯本~強羅間の路線などを運営する鉄道会社。小田急箱根ホールディングスは、2004年に(旧)箱根登山鉄道を中間持株会社化した会社であり、鉄道事業を引き継いだ(新)箱根登山鉄道のほか、箱根登山バス、箱根ロープウェイ、箱根観光船などを傘下に持ち、小田急グループの箱根観光事業を統括する。
列車の運転上でも、箱根登山鉄道と小田急電鉄のつながりは強い。新宿駅から箱根湯本駅まで直通する特急ロマンスカーが多数運転されている。
さらに、平坦な小田原~箱根湯本間は実質的に小田急の路線の一部となっており、同区間専用として、小田急電鉄1000形の4両編成が普通列車に充当されている。この車両は箱根湯本~強羅間の登山電車と共通するイメージで、赤を主体にイエローとグレーの帯を配したラッピングが施されている。このことから、俗に「赤い1000形」と呼ばれる。
この「赤い1000形」1本も、箱根登山鉄道の復旧を記念し、8月の1カ月間、日常の運用区間を離れ、小田急の全線で運転された。日頃は見慣れない電車が走るとあって、沿線でも大いに注目を集めたようだ。ただし、普段から小田急の全線で運用されている、ステンレス無塗装に青い帯の一般タイプの1000形との間には、とくに性能の違いはない。それゆえに今回のイベント運転で起用され、箱根の「復活」がアピールされたのだ。
■「小田急で行く観光地」箱根は経営戦略上の拠点に
1950~1960年代には、首都圏に近い気軽な行楽地である箱根をめぐり、小田急グループと西武グループの激しい観光開発、輸送シェア獲得競争が起こり、「箱根山戦争」などと揶揄(やゆ)された。現在は両グループが協調する方針に転じているが、箱根登山バスの他に、西武系の伊豆箱根バスも多くのバス路線を箱根に有していることが、当時の名残のひとつとなっている。
しかし、東京から直接、箱根へ観光客を送り込める鉄道を持ち、さらに登山鉄道、ケーブルカー、ロープウェイ、観光船と、各種の乗り物を乗り継ぐことで、利用客にとってわかりやすく、運行上も確実なルートを持っていた小田急グループのほうが終始優勢であったことは確か。昔も今も、箱根は「小田急で行く観光地」というイメージだろう。
それだけに、小田急にとっても箱根は重要な経営戦略上の拠点だ。長引く平成不況に応ずる形で、小田急箱根ホールディングスを中核とする事業再編を行ったことも、その現れのひとつといえる。
■積極的な設備投資が箱根で行われている
近年になって、箱根の各交通機関で設備と車両の更新が相次いでいるのも、時代に合わせたイメージアップ、利便性向上の一環である。箱根登山鉄道の被災と、新型コロナウイルス感染症の流行は想定外であったが、「その後」を睨んで、着々と計画が推進されている様子がよくわかる。
まず、根本でもある小田急電鉄では、新型ロマンスカー70000形「GSE」が2018年に投入された。伝統の展望室付き電車で、「ローズバーミリオン」を基調とする外観は、同じく展望室付きで真っ白な50000形「VSE」と好一対を成している。
箱根登山鉄道では、2014年に新型車両「アレグラ号」が登場。増備が続いており、クラシックスタイルで人気ながら非冷房だった旧型車が置き換えられつつある。既存の2000形はリニューアルが施された。
同社の鋼索線、通称「箱根登山ケーブルカー」は、2020年2月20日から新型車両に取り替えられた。箱根ロープウェイでも2021年春に新型ゴンドラがお目見えする予定。箱根観光船の新型海賊船「クイーン芦ノ湖」は2019年4月に就航した。
車両だけでなく、ケーブルカーとロープウェイの乗り継ぎ駅である早雲山駅は、2020年7月9日にリニューアルが完成。展望テラス、足湯、商業施設も駅内にオープンしている。
■「赤い1000形」設備投資を行わない箱根のPRに貢献
これらの投資の大半は、2018~2020年度にかけて集中的に行われたもの。その総額は100億円規模にものぼる。その総仕上げの時期に台風被害と新型コロナウイルス感染症の流行に見舞われたのは不運であったが、ここで引き下がるわけにはいかないだろう。
だが、さらなる追加投資については、慎重になるのもやむをえない。小田急電鉄の2020年度の鉄道事業設備投資計画では、ロマンスカー関連について、30000形「EXE」1編成のリニューアルしか項目が挙げられていない。これは2017年度からの継続事業でもあり、とくに目新しくはない。
この夏休みは、政府の「Go To トラベル事業」が展開され、壊滅的な落ち込みとまでいわれた観光業の救済が図られる一方、都道府県境を越えた移動自粛が求められるなど、少々矛盾した状況の下で過ぎようとしている。
緊急事態宣言下の閑散ぶりから比べると、箱根をはじめとした観光地のにぎわいは、多少は復活したといえる。しかし、インバウンド客や遠方からの滞在客の姿が見えず、かつての姿からすれば、程遠い。新型コロナウイルス感染症の拡大の怖れがなくなるまで、観光業は当面、近郊からの客を中心に集め、危機を乗り越えるしかあるまい。幸い、箱根は多くの人口を抱える神奈川県にある。小田急の路線は、多摩川以東と町田付近を除いて神奈川県内を走っている。PRの重点は、これまで以上に自社沿線に置かれるだろう。
1000形はそもそも通勤・通学の列車に使われる一般型車両だ。「赤い1000形」も、8月は小田原線、江ノ島線、多摩線で、快速急行から普通まで、各種の列車にまんべんなく充当されていた。夏休みに合わせ、手持ちの車両をそのまま投入してのPRは、とくに設備投資を行わずともイメージを再び喚起できる、良いアイデアであった。