創業100周年を迎える7月、「ヤマトグループ歴史館 クロネコヤマトミュージアム」が開館した。9月16日にはセールスドライバーの制服もリニューアル予定となるヤマトホールディングスの歴史を紹介しよう。
クロネコヤマトの制服、20年ぶりリニューアル
ベージュと緑色のツートンカラーのウォークスルー車や、白のクール宅急便社でおなじみのクロネコヤマト。運転から荷物の集荷、配送、料金回収までをテキパキこなすセールスドライバーは、ネットショッピング全盛時代の強い味方である。
ヤマト運輸などを傘下に持つヤマトグループの持株会社であるヤマトホールディングスは9月16日より、セールスドライバーや窓口受付スタッフの制服を20年ぶりに刷新すると発表した。新しい制服のコンセプトは「働きやすさ」と「環境への配慮」だという。
労働環境や自然環境への配慮も怠らない企業として知られる同社だが、品川のヤマト港南ビル内にあるミュージアムを訪れると意外な歴史が明らかになる。館内には「急速な社会の発展に乗り遅れたヤマトの姿」など、自社の経営危機とその克服までが、展示パネルや豊富な資料とともに展示されているのだ……!
ミュージアムのあるビルは10階建てで、3~6階部分が展示フロアとなり、建物外周に設けられたスロープを下りながら展示物を鑑賞する仕組みである。驚くほど静かだが、このスロープの上下は車路となっていて、クロネコヤマトのトラックが走っている。
展示は、大きく4つに分かれ、「創業の時代」(1919年~)、「大和便と事業多角化の時代」(1928年~)、「宅急便の時代」(1971年~)、「新たな価値創出の時代」(2000年~)となる。自由見学(10名未満)の場合は、予約不要。
10名以上の団体と、アテンドツアーを希望する場合は事前に申し込みを行う。アテンドツアーはガイド役の引率により見学をし、所要時間は約60分間となる。いずれも見学は無料だ。
「危ない会社」だったヤマト運輸
企業ミュージアムでは歴史を美化して伝えがちなものだが、このミュージアムでは過去の経営危機までも隠すことなく伝えるのがユニークだ。「危ない会社」「出遅れ」「どん底」などといった文字をパネルにして展示している。
これらの文字は、1950後半から大量生産・大量消費の時代となったがトラック輸送の波に乗り遅れたこと、1963年に出た書籍『危ない会社』(光文社)で新しいことに挑戦しない危ない会社として名指しされたこと、オリンピック後の不況や第一次オイルショックによる危機などを物語る。
社運をかけた宅急便の誕生
そんな危機を打破するべく誕生したのが宅急便である。
「赤字になるに決まっている」
「役員全員が反対」
当時の社長・小倉昌男氏が、役員などが全員反対する中、事業化は難しいとされていた個人向けの宅配に取り組んだ。社運をかけた宅配便が誕生し見事に軌道に乗り、この業務を大きな柱として今もヤマトホールディングスは増収増益を続けている。
年表には、1976年の宅急便誕生から、はじめてのテレビCM、クール宅急便発売などの歴史が示される。ジブリファンなら、1989年の映画「魔女の宅急便」特別協賛と当時のポスターが懐かしいのではないだろうか。
端末、トラック、制服の秘密
日本中で忙しく立ち働くセールスドライバーは、ヤマトの顔的存在だ。制服やトラックに興味を持っている人もいるのではないだろうか。そうした要望に応えるべく、歴代制服や、セールスドライバーが持つ端末(最新のものは第8次NEKOシステムという!)などを展示。
また、セールスドライバーの制服を着たり、クロネコマークのウォークスルー車に乗ったりできる体験コーナーも設けられる。
意外と知られていない親子のネコマーク誕生の経緯も展示される。それは、「業務提携を結んだアメリカのアライド・ヴァン・ラインズ社の親子猫マークに込められた思いに共感し、使用許諾を得たのがきっかけだ。
ミュージアムを楽しんだ後は、館内の「スワンカフェ」へ。同社では障害者の雇用創出と自立を目的に、「スワンベーカリー」を全国で展開中しており、焼きたてのパンが評判だ。こちらのカフェは小規模のためにパンはないが、おいしいコーヒーなどのドリンクでひと息つける。