今月22日、アイドルグループ・TOKIOの長瀬智也が来年3月末でジャニーズ事務所を退所し、残る城島茂、国分太一、松岡昌宏がジャニーズグループの関連会社「株式会社TOKIO」を設立すると発表された。CDデビューから26年での大きな決断に衝撃が走ったが、彼らが1つの番組を超えた存在として取り組んできた日本テレビ系バラエティ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』(毎週日曜19:00~)は、どうなっていくのか。
同番組で長年メンバーと接してきた日本テレビの島田総一郎統轄プロデューサーに、TOKIOの番組に臨む姿勢や、新生TOKIOとともに歩んでいく今後の期待などを聞いた――。
■城島茂が言った「生きることそのもの」
――『ザ!鉄腕!DASH!!』は2008年からご担当されているということですが、ディレクターとして入られたのですか?
それがプロデューサーなんです。ずっとバラエティのディレクターをやっていたんですが、ある日突然上司から小部屋に呼ばれて、「『ザ!鉄腕!DASH!!』をやってほしい。プロデューサーで」と言われて、「えっ!?」と思って。プロデューサーなんてやったことなくて、お金の勘定も何も分からないまま、その感覚でずっと今まできちゃってる感じです(笑)
――TOKIOさんとお仕事をするのは、その時が初めてだったのですか?
はい。全くの「はじめまして」でしたね。
――TOKIOさんの『ザ!鉄腕!DASH!!』への臨み方は、本当にテレビ番組の枠を超えた印象を受けます。
そうですね、そこはすごくありがたいなと思います。昔、リーダー(城島茂)と2人、DASH島の海辺を夕日を浴びながら歩いていたら、急に「『鉄腕DASH』って、僕にとって仕事ではないんですよね」と言ってきて…。「わ!この人、急にカッコつけだした」と思ったんですけど、「じゃ、仕事ではなく何すか?」と聞いたら、すごくキメた表情で振り返って「生きること、そのものなんですよね」って(笑)
その時は「何言ってんの?」って思ったんですけど、よくよく考えるとたしかにその通りで。だって、メイクさんもスタイリストさんもいなくて、朝起きてそのままの格好でみんな現場に来て、台本も打ち合わせもないまま「さぁやるぞー!!」って作業が始まる。放送で使われるのか分からないままやってたりもするので、放送を見て「あれって放送で使ったんだね」って言ってくるメンバーもいたりして(笑)
でも、あらためてリーダーの「生きることそのもの」という言葉が、TOKIOの『ザ!鉄腕!DASH!!』に対しての姿勢をすごく表しているなと思って。そこから僕もこの番組に関しては、一切仕事としてカウントしてないです。僕も「生きることそのもの」としてやっているので、たぶん起きているほとんどの時間、『ザ!鉄腕!DASH!!』のことを考えてますね。
■胸を張って5人の歴史をつないでいく
――ロケがメインの『ザ!鉄腕!DASH!!』にとって、コロナは大きなピンチだと思うのですが、例えば福島での田植えができなくなっても、「自宅で稲を育てよう」と、TOKIOさんから提案される姿などを見ていると、ただ番組に出演しているのとは違うなと、あらためて感じますね。
田植えに関しては、やっぱり東日本大震災があって原発の事故があって、福島のDASH村ができなくなってしまった後、一緒にやっていた三瓶明雄さんや仲間の農家さんが「他の場所でもやれるぞ!」と背中を押してくれた経験があったので、今回も「どうにかやってやろう!」という前向きな考え方をTOKIOも発信してくれたし、もちろん僕らスタッフもそういう気持ちでした。
震災もあったし、急に出演者がいなくなるという経験もありましたから、僕らトラブルにはめちゃくちゃ強いんですよ(笑)。だから、今回のコロナの件なんて、屁でもないと思ってるんです。ちょっとやそっとじゃへこたれませんから。
――その山口達也さんが脱退した後も、オープニングタイトルは5人が駆け寄ってくるCGのままですよね。
5人で作り上げた番組で、5人でやってきたことが僕らの宝物なので、胸を張ってその歴史をつないでいこうと思ってます。よく、過去のVTRで達也さんを映さないように加工してるとかイジワル言われるんですけど、それはもう一般人になっているからというOA上の配慮をしているだけで。よーく見ると、ヒョッコリ映ってますから(笑)
隠すことなんて何もないんです。僕らとTOKIOの5人は、今までもこれからも公私ともに仲間だし、一緒にやってきたことを生かしながら、新たな仲間も巻き込んで冒険しよう!っていう気持ちが、あのオープニングタイトルに入ってるんです。