これに対してセントルイスでは10月5日に最初の患者が確認されましたが、そのわずか2日後の10月7日には市長が学校の休校、劇場などの閉鎖を打ち出し、その翌日には教会や娯楽施設なども閉鎖、大型店舗の営業時間短縮や路面電車の乗客制限まで実施しました。

その結果、同市の死者数は、規制措置を実施した後の10月第2週が86人、第2週186人、第3週233人、第4週が257人で、これがこの時期のピークでした。その後はいったん落ち着きを見せ、12月第2週に469人まで増えましたが、その後は再び減少し、同じく半年間の死者合計数は3,691人にとどまりました。

ただ、この両市の人口はフィラデルフィアが176万人、セントルイスが78万人と開きがあるので、死者数だけで単純に比較するわけにはいきません。そこで、人口10万人当たりの死者数という同じ土俵で比べたデータがあります。米国の研究者が全米主要17都市ごとの公衆衛生対策と感染状況との関係について分析し2007年に発表した研究論文(『米国科学アカデミー紀要』2007年)によりますと、フィラデルフィアでは9月末から1週間の死者数(人口10万人当たり)が鋭角的に増加し、10月第3週には257人となり、ピークをつけました。

一方、セントルイスではピークの週(10月第4週)の死者(人口10万人当たり)は31人にとどまりました。フィラデルフィアのピークのわずか8分の1以下です。

  • スペイン・インフルエンザの人口10万当たり死者数(各週ごと) フィラデルフィアとセントルイス/(『米国科学アカデミー紀要』2007年)

    スペイン・インフルエンザの人口10万当たり死者数(各週ごと) フィラデルフィアとセントルイス :出典 『米国科学アカデミー紀要』2007年

グラフを見ると、セントルイスはピークの時期が後ろにずれて、水準も低く抑えられており、全体としても死者の増加が抑制されていることがわかります。まさに、迅速で思いきった対策の効果と見ていいでしょう。セントルイスのこの対策について当初は「厳しすぎる」と反対の声もあったそうですが、市長が政治責任をかけて実行したということです。このリーダーシップがあったからこその結果だと言えるでしょう。

逆にフィラデルフィアのケースは対策を打ち出すのが遅れ、悲惨な状況を招いてしまったと言わざるを得ないでしょう。このとき、フィラデルフィアでは市内各地の病院や慈善食料配給所などで懸命な活動が行われていましたが、それらの間の連携や統括するリーダーシップというものが存在していなかったと指摘されています(前述『史上最悪のインフルエンザ』)。

歴史の教訓を共有し、危機を乗り切ろう!

前述グラフ(人口10万人当たり死者数の推移)の2本のカーブは、実は厚生労働省が「新型コロナウイルス対策の目的(基本的な考え方)」の中で示しているグラフとそっくりなのです。同省のこのグラフは、「感染が広がり始める初期に感染拡大防止策をとることで増加スピードを抑えることが重要で、それによって流行のピークを後ろにずらすとともにピークの水準を下げ、その間に医療対応の限界を引き上げる」というものです。テレビでも何度か紹介されているので、同じようなグラフを見たことがある人が多いと思います。まさに、これがセントルイスの姿だったのです。

  • 厚生労働省のグラフ

    (出典: 厚生労働省)

こうして見てくると、安倍首相が打ち出したイベント自粛要請、小中高の臨時休校などの方針は大筋において適切だったことがわかります。問題は「唐突」かどうかではなく、時間との勝負なのです。実は、安倍首相は臨時休校の方針を打ち出した直後の参院予算委員会でセントルイスの例を引き合いに出して答弁しているのですが、メディアはこれをほとんど報道していません。

今回、この原稿を書くにあたっていろいろと調べてみたのですが、スペイン・インフルエンザの教訓については、いくつか専門家の論文も発表されています。しかし、そのわりに国内外ともにその認識が共有されていないと強く感じました。この間に繰り広げられてきた政府批判の中には、前述のように危機感や当事者意識の欠如を感じざるをえないものも少なからず含まれており、セントルイスの教訓が今日に引き継がれていない実情を痛感します。

当時と現代では社会的・経済的状況は全く違いますし、スペイン・インフルエンザと今回の新型コロナウイルスは全く別物ですが、それでも当時の経験が多くの示唆と教訓を残しているのは確かです。

今からでも遅くはありません。多くの関係者や国民一人一人がスペイン・インフルエンザの教訓を学んで的確な行動を取ることを心から願っています。そのうえで、そうした視点の上に立って経済的な影響や経済対策についての議論を進め、危機を乗り切る知恵を出し合うことが何よりも必要です。