ホンダの新型「フィット」が私の心を捉えたのはなぜだろう? フィットに限らず、クルマは開発した人の思いが映し出されるものだ。もちろん、たった1人で新車の開発ができるわけではない。しかし、ただ漫然と、以前のクルマよりも良くしようとするだけでは、出来上がったクルマもつかみどころのないものになってしまう。
新型フィットの開発責任者(LPL:ラージ・プロジェクト・リーダー)を務めた本田技術研究所の田中健樹主任研究員は、このクルマを作るにあたり、まずは明確な目的と方向性を定めた。これが、新型フィットが語り尽くせないほどの魅力に満ちたコンパクトカーに仕上がった背景だと思う。
日本で生まれたグローバルカー
田中LPLが最初に話したのは、フィットを「日本発のグローバルカーに育てる」ということについてだった。かみ砕くと、日本に最適なコンパクトカーを開発し、それを基にして、世界に通じるようなクルマに育てていくということである。
ところで、「グローバルカー」(世界戦略車)という言葉が使われだしたのは、いつ頃からだろうか。
今から50年ほど前の1970年代、2度の石油危機を経験した米国ではコンパクトカー開発の機運が高まった。当時はまた、日欧からの小型車の輸入が次第に増え、「ビッグスリー」(GM、フォード、クライスラー)の販売が地域によっては圧迫を受けはじめていた頃でもある。こんな状況を踏まえ、それまで大型乗用車を得意としてきた米国自動車メーカーも、小型車生産に乗り出すことに決めたのだ。その頃から、「グローバルカー」という言葉を耳にするようになった。
グローバルカーという言葉を掲げ、世界市場で共通の魅力を創出しようする自動車メーカーの姿勢からは、いかにもクルマの本質を突こうとするかのような印象を受ける。だが実態は、複数のクルマで車台(プラットフォーム)を共通化することで、開発と製造の原価を下げ、儲けを増やそうという狙いが裏にはあったはずだ。それは、世界の自動車メーカーにとって理に適う考え方だった。ところが結果的には、世界のどの市場にも最適ではなく、消費者にとっては魅力の薄いクルマが増えていったのである。
そうした中、ことに小さな車体にいかに魅力を詰め込むかが問われるコンパクトカーにおいて、世界で唯一の「軽自動車」規格を持つ日本の市場に的を絞り、最適なコンパクトカーの在り方を求めたのが、今回の新型フィットなのである。ガラパゴスと揶揄された軽自動車の存在が、優れたコンパクトカーを生み出す礎となった。
荒野を開拓して国が拓けた米国は別として、永い歴史を持つ国々の道路は決して広くない。そこでは、日本の5ナンバー車に相当する大きさが最も使いやすいはずだ。
新型「フィット」の開発コンセプトは「用の美」
新型フィットの開発コンセプトは、「用の美・スモール」という言葉だ。「用の美」とは芸術的な美の対極に位置するもの、あるいは機能美といってもいいかもしれない。
日常で役立つ使い勝手は、歴代フィットが追い求めてきた要素である。新型フィットではさらに、使うことが心地よいと感じられるモノづくりを追求した。そこにはおのずと美しさも備わる。
その実現のため、田中LPLは1本の映像を制作し、開発を担う人々と共通認識を高めていった。クルマを作る上では、単に数値化できる性能を高めたり、機構を工夫したりするだけでなく、人の気持ちを研究しながら開発を進めた。そのうちに、「視界がよい」「座り心地がよい」「触り心地がよい」といった具体的な方向性が定まっていく。それらは開発目標であると同時に、使う人の立場で考えた性能や機能の開発にもつながった。
こういった特長を、いかにして伝えるか。田中LPLは、新型フィットに試乗した人が魅力を実感できるよう、場面設定を行った。まずはクルマを見て、それから乗って、次に運転し、使ってみるというように、顧客がこのクルマと接する手順の中で、その魅力を発見できるようにしたのである。これにより、開発者たちも顧客目線で開発を進めることができるようになり、到達すべきゴールも明確になった。
例えば、フロントウィンドウの視界のよさは一目瞭然だ。それを実現するため、ホンダでは前面衝突に対する新しい車体構造を開発した。座席にも、従来とは全く異なる構造を採用し、新鮮な座り心地と運転するための座席という機能性を両立させている。ハイブリッドシステムは2モーター方式とし、モーター走行を主体とすることで静粛性を向上させた。その静粛性をいかすため、窓ガラス周りの密閉性を高めたり、フロントウィンドウのガラスを厚くしたりして風切り音を抑えた。