今月3日、あるタイトルの復活の報に、SNSがザワついた。それは、お笑いコンビ・南海キャンディーズの山里亮太とオードリーの若林正恭が出演する『たりないふたり』。「人見知りで社交性・恋愛・社会性の“たりないふたり”が、毎回さまざまなテーマを元に各々のたりない部分を暴露し合いながら、最後はそれらの恥部を漫才に落とし込んで披露する」という内容で、2012年4月から日本テレビで放送された番組だ。

シーズン2やライブを経て、今回5年ぶりに『さよなら たりないふたり ~みなとみらいであいましょう~』と題したライブが、11月3日に横浜ランドマークタワーホールで開催されることが発表されたのだ。

いまやゴールデンタイムでMCを務めるまでになった人気者の2人だが、この番組が立ち上がったのは、2人ならではの性格に起因していたのだという。今回のライブでも企画演出を務める日テレの安島隆氏に、『たりないふたり』の歴史から、今回の復活の経緯も含めて話を聞いた――。

  • 南海キャンディーズの山里亮太(左)とオードリーの若林正恭

    南海キャンディーズの山里亮太(左)とオードリーの若林正恭

■階段の端っこでうずくまっていた山里

まずは、安島氏と2人の出会いからひも解いていく。2004年の年末、『M-1グランプリ』に彗星のごとく現れた南海キャンディーズに衝撃を受けた安島氏は、バナナマン、おぎやはぎ、ドランクドラゴンや、新垣結衣も出演していたコント番組『落下女』に「どうしても入れたい」と強く思い、南キャンが最年少芸人メンバーとして加入することになった。

そこで、山里をフィーチャーすべく、他のメンバーたちがシュートという名の“ムチャぶり”を打ってくるのを、彼がゴールキーパーとなって言葉で返していくという設定のコントを収録。「山ちゃんは切り返しの切れ味がすごいから、そこを生かしたかった」という狙いだったが、いまいち跳ねなかったという。

その撮影が終わり、次のコントのリハーサルをしようとするも、山里の姿が見つからない。各所探し回って発見した場所は、現在取り壊されている、日テレ麹町スタジオの階段の端っこ。そこでうずくまっていた山里は「僕、もう折れちゃいました」と落ち込んでおり、「ちゃんと計算もできないままこういう場を作っちゃった僕が悪いんだよ」と励ました安島氏は、この番組で引き出しきれなかった山里の良さをいつかきちんと演出したいという思いを持って、付き合いが続いていった。

そんな中でスタートしたライブが『潜在異色』。心の中にある違った色を出していくというコンセプトで、当時はキモいとイジられるイメージが強かった山里が、1人でガッツリ本格派の漫談を披露し、集団コントも作るなど、深く仕事をしていく中で、人間関係などの悩みも聞くような関係になった。

■さまざまな共通点が判明

この『潜在異色』に、後に参加したのがオードリー。彼らがブレイクを果たす前に漫才を見た安島氏は「圧倒的に新しいし実力がある」とオファーし、2008年の『M-1グランプリ』で敗者復活から準優勝を成し遂げた状態でメンバーとなった。

こうして、若林と仕事をするようになると、「ブレイクしている中でも、人間関係だったり社会の慣習などに悩みを持ってることが分かって、『あれ? これ、山ちゃんに前から聞いてるのと一緒だ』と思って、僕の中でつながったんです」。ほかにも、「相方の個性的なキャラクターをプロデュースしている」「当時いわゆる “じゃないほう”」など、さまざまな共通点があることに気づいた。

さらに、若林がふと安島氏に「山里さんってすごいですよね」「YouTubeのツッコミまとめ集を見てるくらい好きです」と声をかけ、一方で山里も「若林くんってすごいよね」と互いにリスペクトし合っていたことが判明。そこで、2人のユニットを作り、スピンオフのライブをやることになった。「若林くんによれば、僕は、山ちゃんと若林くんを結びつけた坂本龍馬だそうです(笑)」と、“キューピッド”になったのだ。

  • 『犬も食わない~ディスり合いバトルコント~』でもタッグを組んだ若林正恭(左)と安島隆氏

■予想外の地鳴りのようなウケ方

当初は、「2人とも言葉のセンスがすごくて知的なツッコミだと思ったので、そこに焦点を当てたおしゃれな(笑)ライブを作ろうと思ってたんです」というが、いざ打ち合わせを始めると「『飲み会がとにかく嫌だ』とか『テレビが面倒くさい』といった話がすごい盛り上がって(笑)、じゃあ、これをそのまま前面に出したほうが面白いなと思ったんです。お互い芸人という世界に入って、テレビに出て人気者になっても素直に順応できず、いろいろ思っちゃう人たち。そんなことをコンセプトにしようと、ユニット名も『たりないふたり』にしました」と方針が決まった。

こうして行われたライブでは、「『飲み会で相手の話を咳(せき)してとめる“ストップ咳”という技がある』『コンタクトを忘れたと言って片目を覆いながら飲み会からいなくなる“伊達政宗”という技がある』とか、そんな話をしたら地鳴りがするようなウケ方をしたんです」と大反響。しかし、「実は、ここまで笑ってもらえるとは思ってなかったんです」と本音を打ち明ける。

「『飲み会が嫌だ』とか『バラエティのひな壇が嫌だ』とかいう話を延々と言ってるんですよ。お客さんはみんな楽しく飲み会に行ってるはずだし、ひな壇のバラエティも面白く見ているはずなのに。でも、ウケたってことは、みんな本音では飲み会、嫌なのかなと(笑)。今までスポットライトが当たっていない面白そうな部分を引きずり出したんだと思いました」と分析し、その後、『たりないふたり』が番組化されることになった。

これは、まだ若林が『アメトーーク!』で“人見知り芸人”を打ち明ける以前のこと。「今だと僕も経験を重ねて、そんな構成でウケるのだろうかって躊躇(ちゅうちょ)しちゃうと思うんですけど、2人に熱がすごくあったから、面白いからいいかと思ってやっちゃった部分もありましたね」と振り返る。