8月29日、日本橋室町三井タワーにて、「日本橋再生計画」に関する社長記者会見が開かれた。そこで、三井不動産が取り組む「日本橋再生計画」は着実に進行し、とうとう第3ステージに進む段階になったと発表された。

  • 日本橋室町三井タワーで行われた「日本橋再生計画」に関する社長記者会見

これまでの「日本再生計画」の振り返りや、今後の日本橋はどんな街づくりをしていくのか。日本橋で胎動する宇宙ビジネスも合わせて、お伝えする。

これまでの「日本再生計画」で生まれた2つの大きな変化

江戸時代の日本橋は今で言うベンチャー企業のような挑戦者が集まる街として賑わっていた。日本銀行の移転や三越の開業により、明治以降も金融や商業の中心地として繁栄。関東大震災や東京大空襲にも負けなかったが、バブルが崩壊し、1997年の山一證券の倒産や1999年の東急百貨店の閉店により衰退を辿っていた。

  • 三井不動産の代表取締役社長・菰田正信氏が、これまでを振り返り、これからを語る

三井不動産の「日本橋再生計画」は2004年のコレド日本橋の開業からスタート。「残しながら、蘇らせながら、創っていく」をコンセプトとして、地元の再興を目指した街づくりを展開。日本橋らしい街の景観を大事にしながら、福徳神社の再建などスピリチュアルな拠り所も復活。これらを基盤に、"次世代的な日本橋の魅力を創出する"ことを目指して、第2ステージまでを終えた。

路地裏に入れば、小粋な飲み屋もある。街の用途は多様化し、商業施設や住宅、シネマや文化施設がきちんと揃った。その結果、老若男女の様々な層の人たちが賑わう街へと変化。更に外資系企業やIT系企業、ベンチャー企業が次々と進出してきたことで、グローバル化が発生。かつてないコラボレーションによる、産業創造も期待できる。そう、日本橋はかつての、いやかつて以上の活気を手に入れつつあるのだ。

今後は水辺を開発し、景観を良した上で、街全体で盛り上がるイベントを企画していくという。また、水都としての面にも注目。水運を利用して、日本橋と浅草や築地、お台場、羽田、豊洲などを繋げて、一大観光ルートや通勤ルートを確立させるのだそう。

西エリアと東エリアで違った顔を見せる日本橋

三井不動産が着手し始めたとき、地元企業の人たちからは「三井にすべてを奪われる」と反発する人が多かったそう。いわゆる、地元商店街とデパートの対立関係である。しかし、三井不動産は徹底して「集客した人々を地域に流す」スタイルを貫いた。20年の月日が経ち、「一緒にやってきてくれてよかった」「騙されているわけではないようだ」などの、地元の人達から三井不動産を認める声が多くなった。信頼関係を築き上げたのだ。

  • 三井不動産の日本街づくり推進部長・七尾克久氏が、苦労や日本橋の特色を語る

街づくりとは、物理的に街を作ることだけを考えるのではなく、そこに住む人たちのビジネスがどう動いていくのかも考えることが重要だという。今、日本橋は東エリアにはベンチャー企業やクリエイターのような新進気鋭な存在が次々と腰を落ち着け、個性的な飲食店を誘致。西エリアには、老舗の企業やコレド室町や日本橋三井タワーのような人が集まる場が揃う。

様々な企業の面々が西へ東へ行き交うことにより、顔を突き合わせる機会が創出される。新たなビジネスが生まれるチャンスがあちこちに転がることになるのだ。

日本橋のビジネスは宇宙へ至る

今回はオープントークセッションの場として、「宇宙ビジネス」をテーマに、JAXAのJ-SPARCプロデューサー・菊池優太氏や、ANAのチーフ・ディレクターである津田佳明氏、そして七尾克久氏が登壇。

  • 宇宙ビジネスと日本橋の関係性とは?

JAXAの菊池氏から、宇宙ビジネスといえば、今までは環境開発が思い浮かぶ傾向にあったそうだが、現在はもっと生活に即した食についてのビジネスに注力しつつあることが語られた。

ANAの津田氏は、そうした宇宙食を機内食として提供するサービスの話に触れながらも、空の道を繋ぐANAは地球上での仕事をやり尽くす未来は近いと考え、「東京発-月着」のような宇宙航路に目を向ける時期であることを語った。

これからの宇宙ビジネスに意欲的な2つの企業。それを繋ぐのが日本橋なのである。10年後、100年後、1000年後は、日本橋を起点に動き出した宇宙ビジネスが日本の商業の核となる未来がやってきているかもしれない。