前回は、男性のロスト・ジェネレーションについて書いた。ロスジェネとは1972年生まれから1982年生まれの、就職氷河期に大学を卒業し新卒となった世代のことを言う。この10年の間に生まれた、いわゆる現在のアラフォー女優たちも、ドラマの世界で活躍中である。また、朝ドラでヒロインの母親をそろそろはじめるのが、ロスジェネの一番上の世代である。

そんなこの世代の女優たちの中でも、もっともこの世代の女性の在り方を演じているのが篠原涼子だと言ってもいいのではないか。彼女もまた、ロスジェネの「こんなはずじゃなかった」という状態に陥った⼥性の「冴えない」生き方を演じていると言っていいだろう。

「ロスジェネ」女性の"冴えない"はどう描かれる?

ロスジェネの女性主人公の「冴えない」とは、どんな状態を指すのだろうか。例えば2013年の『ラスト・シンデレラ』で篠原涼子は、彼氏いない歴10年、ある日鏡を見たら、あごに一本の髭が生えていたという美容室の副店長を演じている。職業だけを見ていくと、2009年の『働くゴン!』ではシングルマザーの報道記者を、2015年の『オトナ女子』では大手アプリ会社のOLを演じている。

これを見て思うのは、男性であれば、仕事で成功したと言えないことが「冴えない」の条件になる。前回ふれた大泉洋や峯田和伸の役柄も、仕事で成功しているとはいいがたいことが、彼らが「冴えない」ということを表していた。しかし女性の場合は、むしろ仕事をバリバリしていることが、「冴えない」に結びつくことが多いということだ。

ドラマの中の彼女たちは、仕事もバリバリ、友達もいる、おしゃれだってそこそこ頑張っている(『ラスト・シンデレラ』ではそうでもないが)。それなのに、恋愛や愛情面だけが充実していないというキャラクターが多く、それが「冴えない」こととして描かれる。社会が男性と女性の「冴えない」に、違う価値観を当てはめているということがわかる。

ではなぜ女性は「仕事ができる」と「冴えない」ことに繫がるのか。それは、ロスジェネの女性にとっての「こんなはずじゃなかった」のひとつが、「未婚」であるということと直結しているとみなされているからではないだろうか。男性キャラだって未婚であることは「冴えない」条件のひとつであるが、男性キャラの場合は、「仕事で満足していない」ことと「未婚」が直結していて、むしろ「仕事で満足していない」ことが男性にかけられた特有の呪いでもあるのだ。対して女性は、「仕事で満足している」からこそ「未婚」が直結していて、「仕事ばっかりしている」ことに呪いがかけられることが多い。

ロスジェネは就職氷河期に新卒で、正社員の数も少ないということが問題であるのだが、女性の場合は、もっと複雑だ。そもそも、ロスジェネよりひと世代上の女性たちは、雇用機会均等法第一世代と呼ばれ、働き続ける女性と、家庭に入る女性とに二分され、前者は少なく特別であった。ロスジェネの場合は、正社員でなくても派遣社員などで働き続ける環境が整い(というよりも、働き続けないと生きていけない状況になり)、どちらかを選ばなくとも生きていけるようになった。そうなると、仕事も家庭も趣味も……と、全部手に入れられるようになった分、ひとつでも欠けていると、それが「冴えない」に繫がってしまうのだ。

「こんなはずじゃなかった」状況からの行動

では、フィクションの中のロスジェネの女性たちは「こんなはずじゃなかった」状況に陥ったとき、どんな行動をとるのだろうか。

『ラスト・シンデレラ』では、仕事はできるが、後輩たちからは「説教おやじ」と裏で陰口をたたかれ、合コンに行こうにも、ほとんど服を持っておらず、就職活動のリクルートスーツで出かけ、しかも、雨の中、知り合いのご婦人を助けようとして服を濡らしてしまい、そのご婦人が貸してくれた、何十年も前のクラシック……と言えば聞こえはいいが、時代遅れの服装で会場に向かうことになる。踏んだり蹴ったりの悲惨な状況だ。

前回にも書いた大泉洋主演の映画『青天の霹靂』であれば、「冴えない」主人公が、仕事帰りにスーパーで安く購入したホットドッグを食べようとするも、そこでソーセージだけを地面に落としてしまい、それを洗って食べようとするときに、電話がなり、長年会っていなかった父親の訃報を知る。その踏んだり蹴ったりのシーンで、「腐る」しかない主人公の境遇が十分に伝わってくるのだが、篠原涼子のように、女性の場合は、踏んだり蹴ったりでも「腐る」ことすら許されたことを見たことがない。

女性はつらいことがあったとき、誰かに頼りたい守られたいと望む物語は許されても(それ自体、男性には選択肢にないことで、男性のほうが損だと考える人もいるだろうが、選択肢のなさもまた社会の構造が作った呪いだ)、やさぐれて世を恨んだり、自暴自棄になって、世間との交流を絶ったりという描写はほとんど見られない。

そこで代わりに用意されているのは、「こんな悲惨な私だけど、明るく健気に生きているのよ」と自分を低く見せることで自衛し、自虐して生きる道か、そうでなければ、「こんなあたしだけど、磨けば今からでも光るのよ」と前向きに奮起して変身し、白馬に乗った王子様とまではいかないが、近くにいてケンカばかりしていたが、ひそかにお互いが思いを寄せていて、自分のことを実はなんでもわかってくれる都合の良い同年代の男性に救われるという展開である。

このなんでもわかってくれる同世代の男性役を一手に引き受けているのが、藤木直人だと断定しても良いくらいだ。ロスジェネの身近な王子様は「冴えない」男性ではいけないからだろう(だからこそ、本人は「冴えない」役を演じたいと思っているかもしれないが)。

藤⽊直⼈は、『ラスト・シンデレラ』では、篠原涼⼦にとっての同世代の王⼦様役を演じ、年下の王子とともに、どちらが篠原を救うのか、最後の最後まで、どうなるかとハラハラさせた。またロス・ジェネの女優として、篠原と同様、主演作品も多い中谷美紀がヒロインを演じる『私 結婚できないんじゃなくて、しないんです』でも、やはり40歳目前にして独身のヒロインの近くにいて、いつもは喧嘩ばかりしているが、実は……という王⼦様を演じている(もちろん、ここにも年下王子のライバルがいる)。そして、この作品の中谷美紀の役もまた、クリニックを開業した医師というバリキャリだが、結婚という面では苦戦しているというキャラクターだ。どんなに美しさを保っていても、恋愛より仕事優先で生きてきた女性は「冴えない」に分類されるのである。

とりあげた作品のように、2010年前半は、ロスジェネ女性の夢の形をひとつの型に落とし込み、無条件に癒やしてくれる年下王子と、同世代で喧嘩しながらも自分の"本当の姿"をわかってくれているロスジェネ王子との間で揺れる物語をおとぎ話のように描き、それを、視聴者たちは⼀⽅的に押し付けられてきた感があった。確かに、ラブコメのヤキモキさせる描写がうまく描けた作品は麻薬のように楽しい。しかし、そんな都合の良い話ばかりではないことは、この世代だからこそ知っている。昨今は、もっとリアルな心の機微を描いた作品を求めているのではないかとも思えるのだ。

著者プロフィール: 西森路代

ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。テレビブロスで、テレビドラマの演者についてのコラム「演じるヒト演じないトキ」連載中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。

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