4年に一度のサッカー界最大の戦いであり、21回目にして初めてロシアで開催されるワールドカップがいよいよ近づいてきた。6大会連続6度目の出場となる日本代表は、開幕2カ月前の電撃的な監督交代劇もあって、残念ながらネガティブな要素ばかりが目立つ。一発逆転の可能性はあるのか。今大会と同じような逆風にさらされながら、大会中に「化けた」選手たちの活躍によって決勝トーナメント進出を果たした、8年前の南アフリカ大会にヒントはある。
フランス大会になくて、南アフリカ大会にあったもの
修羅場をくぐり抜けた指揮官の言葉は、経験に裏打ちされたゆえに説得力に満ちている。
日本代表が悲願の初出場を果たした1998年のフランス大会、4度目の挑戦となった2010年の南アフリカ大会と、2度のワールドカップを監督として戦った岡田武史氏(現JFL・FC今治オーナー)は、大舞台を勝ち抜くためのポイントを2つあげる。
まずはグループリーグの初戦で勝ち点を獲得すること。アルゼンチン代表に0‐1で敗れたフランス大会はグループリーグで姿を消し、対照的にカメルーン代表を1‐0で下した南アフリカ大会では決勝トーナメント進出を果たしている。
そして、次なるポイントは南アフリカ大会における快進撃と密接にリンクしている。岡田氏は言う。
「大会中に化ける選手が出てこないと、ワールドカップでは上に行けない」
化けるとは、要は相手にとっても、そして味方にとっても予想外の活躍を演じること。前出のカメルーン戦で値千金の決勝点を叩き込んだ本田圭佑(当時CSKAモスクワ、現パチューカ)は、デンマーク代表とのグループリーグ最終戦でも直接フリーキックからゴールネットを揺らしている。
しかも、本田は大会直前のシステム変更に伴い、それまでの攻撃的MFから、経験したことのない1トップに抜擢されていた。黒星が続いたことで、勢いだけでなく自信をも失っていたチームを蘇らせるための、まさにギャンブルと言っていい岡田氏の決断に導かれるかのように本田が化けた。
そして、同じ1986年生まれの左サイドバック、長友佑都(当時FC東京、現ガラタサライ)も底知れぬ運動量と1対1における無類の強さを発揮。エースキラーとして世界に名前をとどろかせ、大会後にセリエAのチェゼーナ、半年後には名門インテル・ミラノへと羽ばたいていった。
日本中を熱狂させた戦いから8年。惨敗した前回ブラジル大会をへて、3度目のワールドカップとなるロシア大会へ臨む長友は、化ける選手が必要という岡田氏の持論に笑顔で同調した。
「僕も岡田さんに化けさせてもらった。僕自身、まだ化ける伸びしろがあると思っているので」
南アフリカ大会前とロシア大会前における共通点
偶然とでも言うべきか。南アフリカ大会前と今回のロシア大会前で、日本代表が置かれた状況は酷似している。8年前は日本サッカー協会(JFA)に対して、岡田監督が進退伺を提出する大騒動が勃発。犬飼基昭会長(当時)に慰留されたことで、レギュラー及びシステムの変更に踏み切った。
いま現在はどうか。約2カ月前の4月9日に発表された、ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督の電撃解任にはファンやサポーターから批判が集中。急きょ発足した、西野朗新監督に率いられる日本代表へ寄せられる期待度も、残念ながら芳しいものではない。
しかも、先月31日に発表された23人の代表メンバーの顔ぶれにいわゆるサプライズはなく、発表時の平均年齢28.17歳、7人を数えた30歳以上の選手は歴代大会で最高を記録。必然的に「おっさんジャパン」と揶揄され、反論した長友のツイッターが炎上する騒動も巻き起こした。
取り巻く状況を一気にプラスへと転じさせるには、コロンビア代表と激突する19日のグループリーグ初戦で日本に勝ち点をもたらす、ラッキーボーイ的な存在が必要になる。ゴールを奪うことのできる選手で、対戦相手にとってデータが乏しい選手であればベターとなる。
こうした条件を満たす一人が、宇佐美貴史(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)となるだろうか。ハリルジャパンの最後の活動となった3月のベルギー遠征で復帰を果たすまで、宇佐美には代表において約1年間ものブランクがあった。
ガンバ大阪から2016年夏に移籍したアウグスブルクで結果を残せず、出場機会を失った状況をハリルホジッチ前監督は問題視した。しかし、2017-18シーズンの開幕直後に期限付き移籍したブンデスリーガ2部のデュッセルドルフで、時間の経過とともにトップフォームを取り戻す。
最終的には8ゴールをゲット。今年1月にヘルタ・ベルリンから期限付き移籍で加入した原口元気とともに、2部優勝と1部昇格に貢献した宇佐美の武器を、西野監督は高く評価している。
「彼の魅力はやはりフィニッシャーとして、シュートのバリエーションが豊富なところですね。相手ゴールに近いところでのプレーが彼の特徴だし、ドイツでも発揮されている。ゲームを作るだけではなくフィニッシュに絡む回数を増やして、意外性やイマジネーションに富んだプレーを期待したい」
西野監督とビジョンを共有したワールドカップへの夢
実は宇佐美と西野監督は、太く、強い絆で結ばれている。高校2年生にして、ガンバ大阪ユースからトップチームへ昇格した2009シーズン。ガンバを率いていた西野監督は、翌2010シーズンにかけて宇佐美を辛抱強く起用し続けたうえで、こんな言葉を残している。
「宇佐美に特別な注文はしない。前線をやらせても中盤をやらせても、自分のスタイルでフィニッシュまでもっていける。伸び伸びとプレーしていくなかで、たくましさを増していってほしい。4年後のワールドカップにはピッチに立っていないといけない人材だからね」
恩師とともに目標にすえた4年後のブラジル大会は、シーズン開幕直前に左腓骨筋腱脱臼の大怪我を負って出遅れたことで、代表入りへの挑戦権すら得られずに終わった。7月になって再開されたJ1で、復活を告げるゴールを決めた宇佐美はこんな言葉を残している。
「今日から次のワールドカップへの道が始まる。次に出ないことには話にならない」
この時点では、まさか西野監督のもとで憧れ続けてきたワールドカップの舞台に立つとは、夢にも思わなかったはずだ。迎えた西野ジャパンの初めての活動となった、先月21日から千葉県内で行われた代表合宿。宇佐美はちょっとしたデジャブを覚えている。
「西野さんの後にいろいろな監督のもとでプレーしましたけど、西野さんだけの独特の表現や言葉の使い方があるというか。西野さんらしさを目の当たりして、やはり懐かしい感じはしましたね」
だからといって、特別扱いされないことはわかっている。本田をはじめ、香川真司(ボルシア・ドルトムント)、乾貴士(ベティス)、原口とポジションを争うライバルは多い。西野ジャパンの初陣となった5月30日のガーナ代表戦(日産スタジアム)では先発しながら、放ったシュートがわずか2本。相手に怖さを与えられないまま、前半でベンチへ退いた自分自身へ宇佐美は喝を入れる。
「フィニッシュの精度に関しては、もう練習していくのみですね。そこで感覚を研ぎ澄ませて自信をつけることで、実際の試合中における冷静さも生まれてくる。頭のなかで描くイメージだけで決めようと思っても、そんなに甘い世界ではないので」
ガンバのアカデミーが生んだ最高傑作、なる異名を頂戴したのが10年前。26歳にして初めて巡ってきたワールドカップの舞台で、上手さに怖さを融合させたストライカーへ変貌を遂げるために、宇佐美は身心に刺激を入れ続ける。
藤江直人(ふじえ なおと)
日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。