(2)笑えるシーンの絶妙な間

――マスコミ向け試写室って結構静かだと思うのですが、今回はかなり笑い声も上がっていて、コメディ部分がすごく絶妙だと思いました。

笑いってイメージからの外しなので、特に新のシーンは『上の句』『下の句』のイメージで見たときに、「新がこんなコミカルなことするんだ」というのが、一つのエッセンスになっています。小泉監督が計算してやってたのだと思いますし、緊張と緩和の作り方がすごくうまいですよね。

(3)さりげない原作ファンへのサービス

――2時間の映画では原作の様々な高校との戦いは描ききれないと思いますが、さりげなく対戦相手の先生などに「あの高校の先生かな?」という人が出てきたりして、向こうにも物語が見えるような描かれ方だったのも素敵でした。

そこはもう、原作ファンへのサービスですね(笑)。学校名も違うし、顔も映していないし、誰だかも言っていないけど、原作を読んでいる人が「あ、いる!」と思ってくれればそれでいいんです。実は『下の句』で新の本屋に猫がいるのも…ね。スタッフ全員がすり切れるほど、原作を読んでますから!

ただ脚本を作り始めてある段階からは、敢えて原作を読み返さないようにしています。1回原作を読むことをやめて、映画が持っている雰囲気や世界観の中に作品が収まってるかを確認するんです。全てを原作と照らし合わせると、逆に原作から出られなくなってしまいますから。原作のダイジェスト、切り貼りを作るのではなく、「映画としてどう成立させるのか」という事を考えることが大事だと思っています。ただし、製作サイドの都合で、原作を歪曲して構成するのは絶対にダメな事です。そのバランスが本当に難しいですね。

(4)「瑞沢かるた部」というリアルな青春

――どのキャラクターも高校も魅力的ですが、やはり瑞沢高校のかるた部メンバーには思い入れがありますし、本当の青春のようでしたね。

今回僕が1番泣けたのは、(上白石)萌音の言葉でした。「自分の青春時代がいつかと考えると、私は『ちはやふる』です」と言ってくれたんです。女優として、放課後に友達とプリクラを撮るような普通の高校生活を送っていない中で、本当に高校3年間の暮らしのように思ってくれていたのかなと、嬉しくなりました。

矢本(悠馬)は実は前作のオーディションにくるときは「俳優をいつ辞めてもいい」と思っていたそうなんです。ところが『ちはやふる』を経て、「自分は役者として、食っていきたい」という思いが芽生えた。そこから今や、どの映画見ても矢本が出てるみたいな状態ですよね。2年前では考えられない活躍ぶりだと思います。そんな矢本が嬉しい事を言ってくれたんです。「『ちはやふる』に恩返しがしたいです」って。

森永(悠希)は子役からなので芸歴が長いので、2年前からすでに出来上がっていました。地に足がついているし、『ちはやふる』の空気も大事もしてる。でも、彼が撮影中に「僕は、最後まで1回も勝てませんでした。なんで僕は勝たせてくれないんですか?」と言っていて。描写として勝っているところはあるんですが、試合の描写として勝ったところはない。物語として見せ場はもちろんがあるんだけど、もはや「試合に勝ちたい」という気持ちが強くなっているんですね。そういえば萌音も自分が出られない試合で、ずっと拗ねていました。(佐野)勇斗に「私が出たかった」と言ってるんですよ(笑)。