• 今田美桜

山田裕貴との共演秘話

――山田さんはどんな方でした?

おちゃめな方でした。『デメキン』の役のようにオラオラしていなくて。オフの時も楽しんでいるような明るい方でした。

――抗争相手からだいぶ痛めつけられてましたね。

本当に恐ろしかったですね。でも、正樹(健太郎)が病院で「俺が仇とって来る」と言って涙を流すシーンがあったと思うんですが、あれはたぶんアドリブで。隣にいて、鳥肌立ちました。悔しさがにじみ出ていた涙でした。

――病院の屋上、正樹と2人だけで話すシーンは特に重要だったと思います。

あの時は、普段の凛としたアキのイメージで入って、でもだんだんと自分を責める方向に持って行きたくなって。どのセリフが感情の切り替わりになるのか、そのあたりは難しかったです。正樹が厚成との過去のできごとを打ち明けて、とにかくあのシーンにはたくさんのことが詰まった重要なシーンでした。一言一言、すべてが大切なセリフでした。

今田美桜

――彼らは不良で世間の外れ者とされているわけですが、青春時代としてはうらやましくなる場面もありました。

そうですね。私の青春時代は……「女優になりたい」と思うまでは全くそういう熱い思いはなくて。「これで絶対に負けたくない」というのもあまりなかったです。負けず嫌いな部分はあるんですが、それを出すことができたのは女優をやらせてもらえるようになってから。たぶん、今までは流れに身を任せてじゃないですけど。自分が「心の底からやりたい」という強い思いは、なかなか芽生えないです。今でもつらいことや苦しいこともありますけど、それも含めて楽しい。「辞めたい」なんて思わなくて、「次!」。これまではその繰り返しでした。

泣きながら飛行機に乗ったあの日

――2015年の大みそかのインスタだったと思うんですけど、「初めてのことばっかりだった1年。いっぱい不安だった1年。いっぱい考えた1年。たくさん泣いた1年。けどそれ以上に、たくさん笑った1年。嬉しい楽しい幸せがつまった1年」と書いてありました。まだ福岡にいた頃ですよね? 一体、その年に何があったんだろうと。

2015年は東京と行き来している頃で、オーディションに全く受からない時期もあって。結構悔しい思いをしたんです。悔しかったり、ストレスを感じた時は泣いて発散するタイプで。いつもそうやって泣いて、スッキリして寝て忘れていました。

今田美桜

――移動距離も長いですからね。

そうなんですよ! 本当に5分のために福岡から来たこともあって。電車の乗り方すら分からないまま会場について5分で終了。泣きながら飛行機に乗ったこともありました。手応えがなくても最終まで残ったりしたこともあったんですが、自分で勝手に落ち込んじゃうんですよね。

――2016年になると住まいを東京に移し、オーディションを受けられる数も増えたと思います。泣く日がもっと増えましたか? それとも泣かなくなったのか。

あまり変わってないんですけど、こっちでやりたかったお芝居ができているということでいえば、そこのモチベーションには大きな違いがあります。悔しさの種類が変わったというか。求められることがなかなかできなかったりとか、自分でしっくり来ないこともあるので。1つの作品を1日にいくつものシーンを撮る中で、もう一度やり直したくても、時間の制約があるのでなかなかできなかったり。次回にはそうならないよう、気持ちを切り替えています。

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芸名を選ばなかったワケ

――充実していますね。お名前は本名なんですか?

本名です。由来は、自分でいうと恥ずかしいんですけど、「美」は母の名前からもらって、「桜」は桜の季節に生まれたのと、「みんなに愛されるように」という願いが込められているそうです。

――好きですか?

好きですね。「なんて読むの?」と言われることもあるんですけど、好きです。気に入っています。

――芸名の選択肢もあったと思います。

他の名前にはなりたくなかったです。ひらがなも嫌でしたし、私はこの漢字が好きなので。他の名前は全く考えられませんでした。

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■プロフィール
今田美桜(いまだ・みお)
1997年3月5日生まれ。福岡県出身。身長157センチ。A型。高校2年生の時にスカウトされ、福岡のモデル事務所に所属。福岡のローカル番組で初レギュラーを務めた頃から、メディアから「福岡で1番かわいい女の子」として紹介されはじめる。高校卒業後、現事務所の社長にスカウトされ、2016年8月に上京。2017年は『帰ってきたバスジャック』『デメキン』などの映画、『僕たちがやりました』、『刑事ゆがみ』、『民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~』などのドラマに出演。