フジテレビのドキュメンタリー枠『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)で、15日に衝撃の番組『人殺しの息子と呼ばれて…』が放送された。2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件の犯人の息子(24歳)が、初めてメディアのインタビューを受けたもので、その想像を絶する証言の数々に大きな反響が集まった。
取材をしたのは、フジテレビの張江泰之チーフプロデューサー。きょう22日に放送される「後編」を前に、今回のインタビューが実現した経緯や、実際に対面した息子の印象、さらには「前編」放送後の本人の反応なども聞いた――。
メディアが報道を差し控えたほどの残虐な方法で、犯人の親族ら7人が殺害され、日本の犯罪史上、類を見ないと言われた北九州連続監禁殺人事件。逮捕されたのは、松永太死刑囚と、内縁の妻・緒方純子受刑者(無期懲役)で、2人の間に生まれたその息子が、今回『ザ・ノンフィクション』の取材に応じた。
両親が逮捕され、保護された当時は9歳。「前編」では、幼いながらの記憶で目撃した事件の真相や、自らが受けた両親からの虐待までを明かし、"人殺しの息子"が背負った悲しい過去の勇気ある告白に、前編の放送後には衝撃と同情、共感の声があがった。
"謝罪"受けて態度が変化
インタビューが実現したきっかけは、同局で今年6月に放送された特番『追跡!平成オンナの大事件』。北九州連続監禁殺人事件を追跡取材したものだが、この放送に対して、息子がフジテレビに抗議の電話を入れてきた。通常の視聴者センターでの対応では収まらず、担当プロデューサーの張江氏が、直接対話することになったのが、彼との出会いだ。
張江氏は「彼は、平日昼の11時くらいから、延々と思いの丈を私にぶつけてきました。『なぜあの事件をいつまでも取り上げるのか。ネット上で自分まで非難されて迷惑をしている。本気で番組を作るのであれば、どうして自分のところに取材班が来てくれなかったのか?』と言ってきたんです。たしかに、あの番組は両親を知る人たちを中心に追跡取材することに多くの時間をかけましたが、当時9歳だった子供を取材するのは、事件を蒸し返すことになり、あえてやめようと判断したのです。でも、私は、息子の言い分も分かりましたので、『ごめんなさい。本当に申し訳なかった』と謝ったんですよ。そしたら、息子はまさか謝罪されるとは思わなく、とても驚いたようでした。そして、そこから態度が変わったんです」と振り返る。
その後も電話で何十時間にわたって会話を重ねるが、息子はいつも二言目に「大人は信用できない。どうせあなただって、この電話が終わって縁が切れたら関係ない人になるし、深い付き合いなんかもできるわけないじゃないですか」と言っていたそうで、「相当人間不信で生きてきたんだなっていうのを電話口で強く感じました」という。
一方で、「時折、理路整然とこちらを追い込んでくるようなしゃべり方もしてくるんです。両親が逮捕される9歳まで、小学校には通わせてもらえなかったのですが、頭の回転はものすごく良いと感じました」という印象も。これは皮肉にも、被害者をマインドコントロールしていた父親に似ているところもあると、本人も認識しているようだ。
肉声を公開するリスクも負って
そうして、1週間にわたるやり取りを経て、息子は覚悟を決め、「自分の人生をこのまま隠して生きるより、きちんと世間に伝えたい」という思いで、番組のインタビューを承諾。その思いを伝えるために、音声加工はせず、肉声を公開するというリスクまで負った。そんな彼の決意に対し、張江氏は「動きのある映像は撮れないけれど、君の24年間の人生を1時間だけで伝えることはできないから、一か八かだけど2週連続で放送する覚悟でやってみせる」と応えたという。
『ザ・ノンフィクション』では、常に40ものチームが同時に動くディレクターたちが取材し、チーフプロデューサーはそれを統括する立場だが、こうした経緯もあって、極めて異例ながら、今回は張江氏自らがメインで取材することになった。
「このインタビューをただ普通に『1人の青年がフジテレビに語ってくれました』というところから始めたとしても、伝わらないような気がしたので、取材プロセスも含めて全部明かした上で、私の1人称で語るスタイルにしました。息子は私に対して誠心誠意答えてくれたと思うので、『自分も君のために逃げも隠れもしないぞ』という気持ちで、姿を出す形になりました」と説明する。