日産の潜在力を引き出した経営手法

筆者は、ゴーン氏が2001年に日産の社長兼CEOの座に就き、日産V字回復を確実にさせた時期にインタビューしたことがあるが、最初に立って握手をした際、筆者より小柄だったのは意外だった。その頃はテレビでもよく見かけたが、映像を通して見ていたのは、大柄で自信満々な外国人だったからだ。限られたインタビュー時間では、大きな身振りを伴う早口でまくしたてたゴーン氏。厳しい質問は上手くそらすな、という印象も受けた。

ゴーン日産の功罪の功は、何よりも日産を早期に再建させたことだ。ゴーン氏は当初「コストカッター」と呼ばれ、工場閉鎖を実施し、サプライヤーの「系列」を一掃した。旧日産には、組合問題など古いしがらみにとらわれ、経営問題にまでつながった体質があった。ゴーン流は欧米での厳しい経営を実践。剛腕とも見られるドライな経営手法が、日産の潜在力を引き出したともいえる。

また、ゴーン氏自身がレバノンからブラジルに渡った祖父の民族性を持つ。つまり、ブラジルで生まれてレバノンで育ち、大学はフランスのエリート校で学び、生まれながらにしてグローバルで生き抜く感覚を植え付けられていたのだ。それがミシュランで若くして頭角を現し、ブラジルと米国でトップ経営者としての力を磨き、ルノーにヘッドハンティングされ、更には日産再建の旗手として脚光をあびることになったのだ。

いずれにせよ、ルノー/日産とダイムラーとの提携を実現させ、三菱自を傘下に収めるなど、世界の自動車業界におけるアライアンス(提携)の成功例を作ったのはゴーン氏の手腕である。

窮地に陥っていた三菱自動車に手を差し伸べた日産

日本市場では苦戦

ただし、ゴーン日産の時代が長くなるにつれて、「そろそろ日本人に社長を譲ってもいいんじゃないか」とか、「ゴーン日産も賞味期限切れだな」といった声が、ちらほら聞こえるようになってきた。

そういった声が聞こえだしたのはなぜか。日本国内市場における日産の販売が低下し、シェアダウンの傾向にあったことも理由の1つだろう。かつて日産の国内販売は、トヨタ自動車をライバルとし、ともに国内市場を引っ張ってきたのだが、最近の日産は、国内販売において第5位の座に甘んじている。