――創刊号から現在までの『週プロ』がテーマになるということは、いろいろな年代を扱うと思います。個人的なことで恐縮ですが、実は第1回目のテーマになった「新日本対UWFインター全面抗争」(1995年)が、私が中学生のときで、世代的にはド真ん中なんです。

あ! プロレスがお好きなんですか! 僕はニッポン放送で、生放送のラジオやりながら速報を見てたのを覚えていますよ。あとのときはすでにお笑いをやってたんですよね~。

――有田さんが特に思い入れのある年代はいつ頃ですか?

どの年代も思い入れがあって選べないんですけど、特に挙げるとすれば、やはり昭和58(1983)年ですかね。タイガーマスクがいて、長州(力)さん、藤波(辰爾)さんがいて。あの頃はまだ小学校4~5年くらいでしたね。兄貴がプロレスファンでしたから、夜な夜な……というのも、地元の熊本では当時夜8時から放送していた新日本プロレスが、3~4週間遅れで深夜に放送していたんですよ。それで夜中に兄貴が部屋まで迎えに来て、親にばれないように2階の部屋からこっそり1階に下りて、音を小さくしてこっそりテレビでプロレスを見てたんです。

人が殴り合ってて、血が出たりしていて「見てはいけないものを見てるんじゃないか」、「なにか怪しいものを見ているんじゃないか」って、子供には刺激がすごく強くて。それで興味を持って本屋に行ったら(アブドーラ・ザ・)ブッチャーの血だらけの写真が表紙になってるプロレス雑誌があって。まるでホラー映画のようで「こんなの売っていいの!?」って、すべてが新鮮で、病みつきになってしまったんです。僕らの地元でスポーツ新聞といえば「九州スポーツ」でしたけど、立ち読みしたりして(笑)。あのころはすべてが刺激的でしたね。

――一時期、プロレスにまったくお客さんが入らなくなって、冬の時代となっていましたが、そのときに有田さんは見続けていましたか?

もちろん、コンスタントに見ていましたよ。ゴールデンから撤退して、ドームで年に3~4回も試合をやっていた時代も終わり、後楽園ホールも満員にならなくなってきて、お客さんが減っていった時代もありました。でも、そんな時代を経験してきたからこそ、今のプロレスブームが本当にうれしいんですよ。『しゃべくり007』(日本テレビ系)で新日本プロレスの棚橋(弘至)選手とか真壁(刀義)選手がゲストで登場したときに、「とうとうきたか!」と思いましたね。地上波で女優さんやアイドルが出る番組にプロレスラーも出ていいんだって。

――プロレスブームになって、周囲に変化はありましたか?

ちょっと前はプロレスを観に行く人はマニアなやつって感じでしたけど、最近は女性と一緒に行くことが多いですよ。いつも何人かで観に行くんですけど、その中に絶対に女性が入っているんです。「どうしてもプロレス観戦に連れて行って!」という人が出てきましたね。信じられないですよ! 以前は自分の彼女と行っても「もうやめてよ」と言われてましたけど、今は会場にいっても女の子いっぱいいますよね。

――番組では最新のことだけでなく、過去の名シーンや出来事も掘り起こしていくので、新たなファンには、昔のことが逆に新鮮に感じるのではないでしょうか。

アントニオ猪木さんとオカダカズチカ選手って、まったく関係ないように思えますけど、プロレス界という大きな川でつながっているという点も面白いところだと思うんです。オカダ選手だって、誰かに憧れてプロレスラーになっているわけで、大ブレイクしている新日本プロレスの内藤哲也選手も、もともとは武藤敬司選手に憧れていて、昔の武藤選手の試合を見てから内藤選手の試合を見ると、動きに武藤選手の血が流れてるのがわかったり。そうやって昔を見ながら、今を見られるのがプロレスの面白いところですよ。僕も先日は1994年の「猪木vsグレート・ムタ」の試合を見ましたから。なかなかのいい試合でしょう? 現在進行形を見ながらも、過去を掘り起こしていける、それがプロレスの醍醐味ですよ。