――ヨーロッパ、アメリカ、ユーラシア大陸というわけですね。他の構成資産にはどのようなものがあるのでしょうか?

一番有名なのは、フランスのパリ近郊にある「サヴォア邸」かと思います。建築を志す人にとっての聖地とされるところです。彼が提唱した「近代建築の5原則」を明確に表現したもので、機能的かつ合理的な建築を実現させたものです。20世紀最高の建築という人もいます。

国立西洋美術館の19世紀ホールの天井には明かり取りの窓があり、自然光が入ります

同じく、フランスの「ロンシャンの礼拝堂」は彼が手がけた軽やかな住宅とはとても対照的で、どっしりとした重厚な印象を与えるものです。でも、入り口の位置が一般的な教会と異なっていたり、屋外に祭壇を設けることで大人数での野外ミサが可能であったりなど、既成の概念にとらわれず自由な発想で設計したことがうかがえます。

それから、スイスのレマン湖畔の風光明媚な場所に、両親のための小さな家を作ってプレゼントしているのですが、この一帯自体が『ラヴォー地域のブドウ畑』として世界遺産に登録されています。

彼が関わった大きなプロジェクトで、インドのチャンディガールという更地だったところに都市機能をもたせたものがあります。新しい都市を丸ごとひとつ造るわけですから、かなり力が入っていたようで、現地を20回以上訪問しています。日本へは国立西洋美術館の設計のために、1回しか来日していないんですけどね(笑)。

変り種はアルゼンチンの「クルチェット邸」。この家が舞台となった「ル・コルビュジエの家」という映画があるのですが、この家に住む住人と隣人のドタバタを描いた作品でなかなか面白かったです。世界遺産へ申請中の撮影だったようですが、登録された今とはなってはもうこうした映像は撮れないかもしれないですね。

1階を柱で支えて吹き抜けにする「ピロティ」もコルビュジエのアイデアのひとつです(写真は国立西洋美術館)

――それだけ多国間に遺産がまたがるとなると、管理が難しそうですが……。

ユネスコでは、多国間の協力の下で遺産を保護することを目指しています。お互いがノウハウを共有して一歩進んだ保護のあり方をさぐっていくというのは、とても大事なことだと思います。大陸をまたぐということは当然それぞれの気候風土や環境が全く異なりますし、それを受けて保護の方法や各国の法体制も異なります。各国の調整が難しい点もあるかと思いますが、今回の登録は文化財保護を多国間で行う際のモデルケースになるかもしれません。

――今回は3度目の推薦だったと聞きますが、そうした調整の難しさもあったのでしょうか?

はい、まさに今回の登録は「3度目の正直」でした。あまり知られていませんが、登録までの道のりはけっこう険しいものだったんです(笑)。2007年にフランスから日本政府に共同推薦の依頼があった後すんなり登録、とはいかず、2009年と2011年の世界遺産委員会でいずれも登録には至らなかったんです。

――あまりニュースにならなかった気がしますが、なぜ登録されなかったのでしょうか?

ニュースにならなかったのは、2009年は現在ほど世界遺産があまりブームではなかったことや、2011年は「平泉」や「小笠原諸島」の登録の陰に隠れていたからではないかと思います。2014年以降は日本から産業遺産の登録が相次いだことで、「世界遺産って有名な観光地だけが登録されるんじゃないんだ」という認識が徐々に浸透していったように思いますが、それ以前はやはり「世界遺産=メジャーな観光地」というイメージが先行していて、国立西洋美術館の推薦はほとんどメディアに取り上げられませんでしたね。

登録されなかった理由なのですが、最初の推薦はコルビュジエという天才建築家を前面に出した推薦内容で、「世界遺産は人に対して与えるものではない」と指摘されたんですね。次の推薦では「近代建築運動」への貢献を強調したんですが、「近代建築運動はル・コルビュジエだけが貢献したものではない」とされてしまいました。

――世界遺産の登録って一筋縄ではいかないのですね。「長崎の教会群」の取り下げの時も感じましたが、価値づけやそれを示すストーリーが大事なようですね。

おっしゃる通りです。これまでの指摘を受けて、今回は作品それぞれがどのように近代建築運動に影響を与えたかを明示した推薦書にしたんです。また、先ほどお話したインドの計画都市が今回の構成資産に含まれたのも効果的だったと思います。というのも、2009年の登録に向けて推薦書を正式に提出する直前に、インドが辞退を表明して外れてしまっていたんです(2011年も含まれず)。

コルビュジエは世界中のさまざまな都市の計画・構想に関わってはいるものの、実現させたのはインドのチャンディガールだけなのです。ストーリーに説得力をもたせる上でも、必要とされる物件だったと思います。この辺にも「トランスコンチネンタル・サイト」の調整の難しさが表れていますね。

外壁のパネル割にはコルビュジエが考案した「モデュロール」という寸法が用いられています(写真は国立西洋美術館)

――なるほど。では最後に、今年の世界遺産委員会における、今回の登録の意義をどのように感じますか?

今回の委員会では紛争が大きな問題になっています。新たに危機遺産に登録された8件(2016年7月15日現在)のうち、6件は紛争被害を受けているものです。そんな中で、「コルビュジエの建築作品」は世界にまたがる遺産として国際協調を示しています。派手さやインパクトはないけれども、2回の失敗にめげずに登録に向けて努力を続けてきたことは評価されていいと思いますし、そのひとつが日本にあるということをとてもうれしく思います。

――ありがとうございました。

プロフィール: 本田 陽子(ほんだ ようこ)

「世界遺産検定」を主催する世界遺産アカデミーの研究員。大学卒業後、大手広告代理店、情報通信社の大連(中国)事務所等を経て現職。全国各地の大学や企業、生涯学習センターなどで世界遺産の講義を行っている。