5月に入って、共和党の大統領予備選から、クルーズ氏とケイシック氏が相次いで撤退した。これにより、ライバルのいなくなったトランプ氏の党指名獲得が事実上確定した。

指名確定直後のTVインタビューで、トランプ氏は「米国の景気が悪化すれば、債務の再交渉もありうる」と語った。トランプ氏の放言・暴言に慣れっこになった投資家も、さすがにこれには肝を冷やしたはずだ。

なんの変哲もない発言に聞こえなくもないが、米国債の投資家にとってはトンデモ発言だ。ここで言う「再交渉」とは、金利の引き下げや元本の削減を意味している。政府の債務(≒国債)の発行条件を後になって変更することは、広い意味で「デフォルト(債務不履行)」と定義される。

つまり、トランプ氏は「景気が悪くなったら、デフォルトも考えますよ」と言っているに等しい。同氏はさらに、「額面以下での返済が可能と知ったうえで、借入を行ってきた」「私は借金王であり、借金が大好きだ」とも語っているので、まさに確信犯だろう。

米国債は2015年末の発行残高が15兆ドル(約1,800兆円)超と、日本国債(同約1,000兆円)を大きく上回っている。米国債の流動性は非常に高く、多くの投資家が安全資産とみなしている。そして、米国債市場で決まる価格、すなわち国債利回りは、米国内のみならず、世界中の様々な金利に影響を与える。その米国債にデフォルトの可能性があるとなれば、世界の金融市場に激震が走ることだろう。

ところで、米国債の発行残高の約4割にあたる6兆ドル分は外国人が保有している。中国が最大の保有国で、1.2兆ドル。日本が僅差の2位で1.1兆ドルだ。したがって、トランプ大統領が誕生すれば、日本や中国の投資家、あるいは外貨準備の形で保有する両国政府は気が気でないだろう。

事の重大さに気づいたのか、その後トランプ氏はこの発言を撤回した。そして、「金利が上昇して、国債価格が下落するなら、安く買い戻すことができると言いたかっただけだ」と弁明した。

しかし、よく考えればそれもおかしな話だ。米政府の財政はほぼ慢性的な赤字である。したがって、国債を買い戻す資金は外部から調達せざるを得ない。米政府にとって最も有利な資金調達方法は国債を発行することだ。そして、金利が上がって、既存の国債の価格が下がっているということは、新規に国債を発行するためには高い金利を払わなければならないということでもある。つまり、トランプ氏が言うような「旨い話」は存在しない。

過去に、政府債務の法定上限(デットシーリング)の引き上げが遅れたことで、国債の償還や利払いが予定通り行えないとの懸念が浮上したことはあった。ただ、それは技術的な要因による、「テクニカル・デフォルト」と呼ばれるもので、しかるべき手続きの後に債務は履行される。しかし、仮に政府が初めから「踏み倒し」も念頭に置いて国債を発行するとすれば、一体だれがそれを買うだろうか。

執筆者プロフィール : 西田 明弘(にしだ あきひろ)

マネースクウェア・ジャパン 市場調査部 チーフエコノミスト。1984年、日興リサーチセンターに入社。米ブルッキングス研究所客員研究員などを経て、三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社。チーフエコノミスト、シニア債券ストラテジストとして高い評価を得る。2012年9月、マネースクウェア・ジャパン(M2J)入社。市場調査部チーフアナリストに就任。現在、M2JのWEBサイトで「市場調査部レポート」、「市場調査部エクスプレス」、「今月の特集」など多数のレポートを配信する他、TV・雑誌など様々なメディアに出演し、活躍中。

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