土方宏史
1976年生まれ。上智大学文学部英文学科卒業後、1998年東海テレビ放送入社。制作部で情報番組やバラエティー番組のAD、ディレクターを経験し、2009年に報道局報道部に異動。遊軍としてメイン企画コーナーのVTRを担当する。2011年、2012年に日本の農業や交通死亡事故をテーマにした啓発キャンペーンCMなどを制作。『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(2014年)でドキュメンタリー映画を初監督した

土方 阿武野さんも、安田弁護士のところに行った帰りはもうギラギラしてたんです。意義があるという確証を得て、ギアがぐっと入ったというか。スタッフの身の安全さえ確保されれば、この人がプロデューサーだったらやらせてくれると信じていました。とにかく暴力団の実態が分からない。僕自身なにも知らない。それに気づいて愕然としたんです。2課4課の担当をしていたので、間接的な情報には毎日触れていましたが、彼らがどういう存在なのかを説明出来ない。

それでも、警察から「いまの暴力団は(暴排条例や取締りで)悲惨なことになっている」とは聞いていた。食物連鎖のトップにいるようなイメージの、恐竜みたいな、一番強いと思っていた人たちが、もしかしたら一番底辺のところに追いやられたのかもしれない。暴力団は現代の中で、一種の弱者に当たるのかもしれない。だったらうちにしか出来ない題材と思ったんです。テレビ局が扱うドキュメンタリーって、だいたいトーンや方向性が決まっている。誰の目にも分かりやすく、手放しで「この人って確実に弱者ですよね」と理解できる対象、誰もが納得する可愛そうな人たち……僕はその考え自体がすごく驕っていると感じていた。それもあってどうしてもヤクザを取材したかったんです。


社内のOKをなんとか取り付け、取材班が動き出した。大阪の指定暴力団・東組二代目清勇会に密着し、40分テープで実に500本、合計100日間に及んだ。まずぶつかったのは、前述した暴力団排除条例の壁だ。2012年、福岡県を皮切りに、全国の都道府県で施行されたこの条例は、暴力団と接触する側を取り締まる法律である。基本的には暴力団とのいかなる取り引きも禁止するもので、地域によっては罰則もある。ただし勧告を受けると暴力団の共生者とみなされ、銀行口座が凍結される。


阿武野 メディアもまた暴排条例下にあるわけです。例えば番組のナレーターを誰かにお願いする時、契約書の中、「反社会勢力との交流があった場合には、契約を一方的に解除します」といった条項がそもそも入っている。無意識のうちに社会がそうなっています。暴排条例の解釈次第では、そもそも取材はどうなんだという話にもなる。報道が暴力団を持ち上げているという判断をされれば、違法ということで検挙に持って行くこともできるわけです。このことに関しては、暴対法や暴排条例をウオッチドッグ(監視)する役目があるだろうと理論武装しました。

「メディアとして番組を作った。暴力団員を扱いました。でも彼らは出演者じゃなくて取材対象者です。契約書はもちろんない。社会の状況をウオッチするために撮った作品に対し暴排条例を適用するのか。そこまでやったらこっちも腹をくくり、言論と表現の自由に対する侵害であると訴えます」ヤクザというのは、そこまで考えないとやれないネタなんです。うちは長ければ1年くらい密着するんですけど、短期間でやると決めていました。どこから問題が噴出し、プロジェクトが中止になるか分からないからです。