今年は甲子園球場ができて90周年のメモリアルイヤー。しかも完工したのが1924(大正13)年8月1日と、ちょうど"誕生日"を迎えたばかりなのだ。時代背景も技術力も今とは異なる時代に、いかにしてあのマンモス球場は作られたのか? 印象的な数字からその誕生秘話をひもといてみよう。

甲子園球場では現在、90周年を記念したイベントが行われたり、記念グッズが販売されたりしている

5000人から6万人のキャパシティーへ

甲子園球場の建設が迫られたのは、1923(大正12)年に行われた「第9回全国中等学校野球大会(今の夏の甲子園)」が発端だった。開催場所だった鳴尾球場(収容人数5000人)のキャパシティーを大きく超える観客が集まり、人がグラウンドに溢(あふ)れ出て、試合が中断してしまうハプニングが起こったのだ。

この事態に、主催者である大阪朝日新聞社が大規模野球場の建設を提案。鳴尾球場を所有していた阪神電鉄も周辺の都市開発を進めていたことから、巨大球場建設プロジェクトが動き出すことになった。

当時、巨大球場の建築例は日本にはなく、建設にあたって参考にしたのが本場アメリカの野球場。ニューヨーク・ジャイアンツの本拠地でもあったポログラウンドの設計図が手に入り、研究を重ねた結果、敷地面積約1万2000坪、収容人数6万人という巨大スタジアムの建設が決定した。

工期はたったの4カ月半

甲子園球場の工事が着工したのは1924(大正13)年3月11日。同年7月31日にひとまず工事は完了し、8月1日に盛大な竣工(しゅんこう)式が行われた。

この間、わずか4カ月半。8月には「第10回全国中等学校野球大会」を開催することが決定事項だったため、この工期は至上命令。「梅雨もあるからこんな短い工期では無理だ」とどの業者も尻込みする中、手を上げたのが大林組だった。

ショベルカーもダンプカーもない時代、大林組は牛にローラーを引かせて建設を進めた。また、建設場所が河川敷だったことで、コンクリートに混ぜる砂が現地調達できたことも工事のスピードアップに貢献。天候にも恵まれ7月いっぱいでひとまずの工事を終え、無事開場にこぎ着けたのだ。

球場開きは2500人の陸上大会

野球のために建設された球場ではあるものの、計画段階から野球以外にも使用することが念頭に置かれていた。特に、外野を使ってラグビーもできるように設計されたため、両翼110メートル、中堅119メートルで、左中間・右中間までは125メートル。外野フェンスがほぼ一直線という変則的な形の球場だった。

また、「天候に関係なく開催されるラグビーを雨中でも観戦できるように」と、バックネット裏と内野席には鉄傘が設置された。この鉄傘によって、日焼けを気にすることなく野球観戦ができると、女性客を呼び込む副産物が生まれた。

球場で最初に開催された行事も野球ではない。1924(大正13)年8月1日午前7時からの竣工(しゅんこう)式に引き続いて行われたのは、近隣の150の小学校から2500人の児童を集めて開催された「阪神間学童体育会」という陸上大会。空には新聞社の飛行機音がとどろき、スタンドには1万人を超える父母や応援児童の歓声が響いた。

そして8月13日、球場建設の主目的だった第10回全国中等学校野球大会が無事開幕。大会4日目には早くも球場に6万人の大観衆が詰めかけ、今日に続く「夏の甲子園」の礎を築いたのだ。

「60年に1度」の縁起物

最後に、この球場がなぜ「甲子園」という名称になったのかを掘り下げてみよう。球場が完成した1924(大正13)年は「甲乙丙…」ではじまる"十干"と、「子丑寅…」ではじまる"十二支"の組み合わせで決まる『十干十二支』の最初の組み合わせ・甲子年(きのえねのとし)にあたる。この甲子年は60年に一度の縁起の良い年であることから「甲子園」と命名された。

60年ぶりに甲子の年が巡ってきた1984(昭和59)年、スコアボードが3代目の「電光掲示板方式」に生まれ変わった。球場が完成した当初にスコアボードはなく、完成1年後の1925(大正14)年に木製の初代スコアボードが誕生。その後、1934(昭和9)年にコンクリート製の2代目スコアボードが作られた。

3代目の電光掲示板式スコアボードは、形や色合いなどを50年間使用された2代目に似せて設計された。このように歴史を大事にするのが甲子園球場の特徴のひとつだ。その後も表示方式がLEDに変わるなど時代とともに改良は重ねられているが、そのたたずまいは今も大きく変わっていない。90周年のメモリアルイヤーに開催される夏の甲子園では、どんな「新たな歴史」が刻まれるのだろうか。

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