東京大学は5月12日、北海道大学、自然科学研究機構 生理学研究所との共同研究により、ほ乳類の体内時計に関わるリン酸化酵素「Ca2+/カルモジュリン依存性キナーゼII(CaMKII)」を同定し、カルシウムイオン(Ca2+)によってその働きを変化させるこの酵素が1日の活動時間を一定に保つ役割があることを明らかにしたと発表した。

成果は、東大大学院 理学系研究科 生物科学専攻の深田吉孝教授と金尚宏 博士らの共同研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、5月15日付けで「Genes & Development」に掲載された。

生物の約1日周期の生理リズムは、「概日時計(サーカディアンリズム)」と呼ばれる体内時計によって制御されている。その体内リズムが乱れると睡眠障害などが起きるわけだが、体内リズムの障害はさまざまな精神疾患と密接に関わっていることもわかってきた。また、看護士などの夜間勤務による体内リズムの乱れは、がんやメタボリックシンドロームの危険性を高めるという臨床データも報告されている。このような背景から、「体内時計」の性質に対する国民の関心やそれを制御する薬剤の開発に期待が高まっているのが現状だ。

ヒトを含むほ乳類の行動リズムは、脳の視床下部に存在する「視交叉上核」という左右一対の神経核(神経細胞の核が密集している部位)で制御されていることがわかっている。視交叉上核の中では多数の時計神経細胞が互いにコミュニケーションすることにより、左右の神経核の時刻が同調する仕組みだ。視交叉上核には活動を開始する時計(朝時計)と活動を終了する時計(夜時計)が存在し、これら2つの脳内の時計が同調することによって1日の活動時間帯が一定に保たれている。

しかし、これら2つの時計がどういったメカニズムでコミュニケーションを取って同調しているのかはまったくわかっていなかったことから、研究チームは今回、細胞内情報伝達に重要なCa2+シグナルの媒介因子である「CaMKII」に着目し、CaMKIIαの酵素活性を欠損したマウス(CaMKIIα-K42R変異マウス)の行動解析を実施した。CaMKIIはCa2+とCa2+結合タンパク質である「カルモジュリン」によって活性化されるタンパク質リン酸化酵素で、いくつかの型が存在する。CaMKIIの内、「α型CaMKII(CaMKIIα)」は脳に発現しており、記憶や学習などの神経活動に重要な働きを持つ。

マウスの体内時計を測定する方法として、回転輪を回す行動リズムの解析がよく用いられるが、日光を一切浴びない恒暗条件下で飼育すると、マウスは自身の体内時計の周期に従った行動リズムを示すようになる。CaMKIIαの酵素活性に問題のない普通のマウスと変異マウスの行動リズムの解析が行われたところ、普通のマウスは24時間よりも少し短い周期を示すのに対し、変異マウスは24時間よりもやや長い異常な周期を示すことが確認された。

また、この変異マウスでは行動の始まりから終わりまでの間隔(活動時間)が日に日に延長し、ついにはリズムが消失するという顕著なリズム異常を示したのである。すなわち、CaMKIIαの酵素活性が失われると朝時計と夜時計の同調が破綻し、1日の活動時間を一定に保つことができず、重篤なリズム障害に陥ることが判明したという具合だ(画像1・2)。

2つの体内時計の同調による規則正しいリズム(画像1(左))と、障害のある不規則なリズム(画像2(右))

続いて研究チームは、このような行動リズムの障害を示す変異マウスの脳内ではどのようなことが起きているのかを調べるため、そのマウスの脳切片を用いて視交叉上核の神経細胞における体内時計の解析を実施。体内時計を構成する分子の1つであるタンパク質「PER2」に発光するタンパク質「ルシフェラーゼ」を連結して、このタンパク質が発光するリズムを連続して測定することにより、1つの神経細胞のリズムを約24時間周期で間接的に記録できるようにしたのである。

その結果、変異マウスでは視交叉上核の体内時計における振動の強さが減弱していることが確認された。また、変異マウスに由来する視交叉上核の右核と左核を比較すると、発光リズムを計測して6日目あたりから左右核のリズム同調が破綻していくことも判明したのである。これらの結果から、CaMKIIαは視交叉上核の左右核の同調させる役割を担い、朝時計と夜時計のコミュニケーションを媒介する分子であることが示唆されたというわけだ。

さらに解析が進められたところ、CaMKIIは時計細胞の同調因子として機能するだけではなく、1つの神経細胞が約24時間というリズムを刻む時計機能そのものにも必須であることがわかったという。CaMKIIの酵素活性は視交叉上核において朝に高く、夜に低いという体内リズムを示すことが確認されているが、その活性の度合いが体内時計の時刻決定に重要であることがわかったのである。この原理を利用した阻害剤によって細胞のCaMKIIの活性が抑制されたところ、体内時計が夜の時刻にリセットされ、この阻害剤を除くと夜の時刻から体内時計が動き始めることが確かめられた。

今回の研究により、体内時計の新規因子としてCaMKIIが同定され、そのCa2+依存的な酵素活性が行動リズムの形成や1日の活動時間を一定に保つことに重要であることが究明された形だ。双極性障害やアルツハイマー型認知症の患者に見られるような、体内リズムの異常がCaMKIIの活性が失われた変異マウスにおいても観察されたことは、これらの精神疾患における原因の少なくとも一部が同酵素の異常による可能性を示唆しているという。今回の成果は、今後の病因の理解と治療法の開発に役立つと期待されるとした。

また重要な点として、これまで知られていた体内時計に関わる分子のほとんどは分子活性に影響を与える薬剤の取得が難しかったのに対し、CaMKIIは薬剤開発の標的タンパク質となりうる分子であり、実際にいくつかの阻害剤がすでに開発済みで、実際に今回の研究でもCaMKII阻害剤が体内時計をリセットするという興味深い薬理作用を示すことが見出されたのは前述した通り。

近年、不規則な生活リズムを送ることによってもたらされる体内リズムの乱れが、精神疾患を初めさまざまな病態の原因となることが次々に報告されている。精神神経疾患を初めとする代謝や循環器疾患、がんなどにおいて、Ca2+の動態やCaMKII活性の制御に基づいた体内リズム治療という新しい治療方法が今後期待できるとした。