――他にこれはやってみたかったなという長編作品、やらずに終わってしまった企画があれば。

宮崎監督:それは山ほどあるんですが、やってはいけない理由があったからやらなかったことなんで、ここで述べようもない。それほどの形にはなってないものばかりです。やめると言いながらこういうのはやったらどうだろうとか、そういうことはしょっちゅう頭に出たり入ったりしますけど、それは人に語るものではありませんので、ご勘弁ください。

――具体的に今後どんなことをやりたいのでしょう? 日本から海外に色々なことを発信されましたが、今後違う形で発信する予定はありますか?

宮崎監督:やりたいことがあるんですが、やれなかったらみっともないから何だかは言いません(笑)。僕は文化人になりたくないんです。僕は町工場のオヤジでして、それは貫きたいと思っています。だから発信しようとかあまりそういうことは考えない。文化人ではありません。

――当面は休息を優先するということでしょうか? そして『風立ちぬ』ですが、東日本大震災や原発事故に関しての発言をあり、震災や原発事故で感じたことが影響を与えていますか?

宮崎監督:『風立ちぬ』の構想は、震災や原発事故に影響されておりません。この映画をはじめる時にはじめからあったものです。時代に追いつかれて追いぬかれたという感じを映画を作りながら思いました。それから、僕の休息は他人から見ると休息に見えないような休息です。仕事で好き勝手やっているとそれが休息になることもあるので、ただゴロっと寝転がってるとかえってくたびれるだけです。夢としては難しいかもしれませんが、東山道を歩いて京都まで歩けたらいいなと。途中で行き倒れになる可能性のほうが強い(笑)。時々夢を見ますけど、多分実現不可能でしょう。

――今のお答えですが、時代に追いつかれ追いぬかれたということが今回の引退と関係ありますか?

宮崎監督:関係ありません。アニメーションの監督が何をやってるかは皆さんよくわからないことだと思いますが、アニメーションの監督といってもそれぞれやり方が違います。僕はアニメ映画出身なもので描かなきゃいけない。描かなきゃ表現できないので、するとどういうことが起こるかと言うと、メガネを外してですね、こうやって描かないといけないのです。これを延々とやっていく。どんなに体調を整えて節制しても、集中していく時間が年々減っていくことは確実なんです。実感しています。『ポニョ』のときに比べると僕は机を離れる時間が30分早くなっています。この次はさらに1時間早くなるんだろうと。その物理的な加齢によって発生する問題はどうすることもできませんし、それで苛立っても仕方がない。では、違うやり方でいいじゃないかという意見もあると思いますが、それができるならとっくにやってますからできません。ということで、僕は僕のやり方で自分の一代を貫くしかないと思いますので、長編アニメーションは無理だという判断をしたんです。

――クールジャパンと呼ばれる世界をどう見ていますか。

宮崎監督:本当に申し訳ないんですが、私が仕事をやるということは一切映画もテレビも見ないという生活をすることです。ラジオだけ朝ちょっと聞きます。新聞はパラパラっと見ますが、後はまったく見ていません。驚くほど見ていない。ですからジャパニメーションというのがどこにあるのかはわかりません。本当にわからない。予断で話すわけにもいきませんから、それに対する発言権は僕にはないと思います。皆さんも私の年齢になって私と同じデスクワークをやってたらわかると思いますが、そういう気を散らすことは一切できないんです。参考試写という形でスタジオの映写室で何本か映画をやってくださるんですが、たいてい途中で出てきます。仕事をやったほうがいいと(笑)。そんな人間なんで、今が潮だなと思います。

――監督の中には引退宣言をせずに退かれる方もいますが、あえて引退宣言という形で公表しようと思った最大の理由は何でしょう?

宮崎監督:引退宣言をしようと思ったんじゃないんです。僕はスタッフにもう辞めますと言いました。その結果、プロデューサーの方からそれに関しての色々な取材の申し入れがあるが、どうするか。いちいち受けてたら大変ですよ、という話がありまして。じゃあ僕のアトリエでやりましょうかという申し入れをしたらちょっと人数が多くて入りきらないという話になる。じゃあスタジオでやりましょうか、と言ったらそれもどうやら難しいという話になりまして、それでここになってしまいました。そうするとですね、これは何かないと、口先だけでごまかすわけにはいかないので、公式に引退の辞を書いたんです。それをプロデューサーに見せたら「これいいじゃない」と言うので、こんなことになりました。こんなイベントをやる気はさらさらなかったんです(笑)。ご理解ください。

――鈴木さんから見た宮崎映画のスタイルを改めて教えてください。また宮崎映画が日本の映画会に与えた影響について評価・解説をお願いします。

鈴木プロデューサー:言い訳かもしれないけど、そういうことをあまり考えないようにしています。どうしてかと言うと、そういう風にものを見ていくと目の前の仕事ができなくなるんですよ。僕は、現実には宮崎駿作品に関わったのは『ナウシカ』からなんですが、そこから約30年間ずっと走り続けてきて、それと同時に過去の作品を振り返ったことはなかった。たぶんそれが仕事を現役で続けるということだと思ってたんです。どういうスタイルでその映画を作っているのか、感想として思うことはありますけど、なるべくそういうことは封じる。なおかつ自分たちが関わって作ってきた作品が世間にどういう影響を与えたのか、それも僕は考えないようにしてきました。そういうことです。

宮崎監督:まったく僕も考えていませんでした。採算にわたって分岐点にたどり着いたと聞き「よかった」でだいたい終わりです。……続きを読む