「ブロンクスの治安は良くないぜ。俺なら、クィーンズにするけどな……」

ニューヨークにはじめて行くことになり、ネットで宿を調べてみると、マンハッタン島内はやたらと宿泊料が高かった。どれも100ドルを超える。ところが、島の北側を縁取るハーレム川を渡った「ブロンクス」という地区は安い。

ブロンクスの通り。マンハッタンと違い、人通りが少ない

ブロンクスには、あのヤンキースタジアムもある。筆者のような30代前半の野球好きにとって、松井秀喜といえば大スターだ。彼のいたニューヨーク・ヤンキースの拠点であるヤンキースタジアムは、ニューヨークに行った記念にぜひ見ておきたいと思った。そんな動機で、ブロンクスに1泊60ドルで宿をとった。

だが、10年くらい前までは、日本企業から初めてニューヨークに行く社員に対しては、5番街を中心に赤い枠で囲った地図が渡されていたという。つまり、その枠から外には出るなという意味だ。その枠の外に、ブロンクスはある。

ブロンクスの治安が悪いと、現地で最初に教えてくれたのはタクシー運転手だった。夕食を終えてブロードウェイでタクシーを拾って、「ブロンクスに」と行き先を告げると、「ブロンクスの治安は良くないぜ。俺なら、クィーンズにするけどな……」。酒が入っていたせいもあって大して気にもとめなかった。

ただ、治安が悪いとなると、ホテルはさぞかし酷いんだろうな想像した。だが、ホテルに着いてみると、意外にも部屋は清潔で快適。ぐっすり眠ることができた。

夕暮れに光るマンハッタンのクライスラービル

ヤンキースタジアムの受付に若くて太った黒人女性、このタイプが最も親切

朝起きると、地下の狭い食堂で簡単に朝食をとった。もちろん無料。2つしかないテーブルのひとつには、ヒスパニック系の親子が陣取っていた。母親と息子2人だ。筆者はシリアルと、日本では見たことのない真っ赤なリンゴを食べた。

それからヤンキースタジアムに歩いて向かった。Google Mapsによれば徒歩20分。すれ違うのは黒人ばかりで、通りにゴミが多い。iPhoneが使えるので道に迷うことはない。高い料金を払ってiPhoneをアメリカでも使えるようにしていたわけではない。回線をオフにしたままでも、Google MapsのGPSは現在地を拾ってくれる。安宿でもフリーWi-Fiは飛んでいるので、マップの画像だけ読み取っておけばいい。

地下鉄の高架橋の奥にスタジアムが見えた。ヤンキースとメッツの試合を、「Subwayシリーズ」というくらいだから、地下鉄なのだ。街灯にベーブ・ルースのポスターが張ってある。子どもの頃読んだ伝記を思い出した。スタジアムの周りを一周しただけですっかり満足してホテルに戻った。

マンハッタンの地下鉄プラットホーム

ヤンキースタジアムそばの街灯に掲げてあったベーブルースのポスター

昨晩はなんとも思わなかったが、受付が防弾ガラスで覆われていることにこのとき気が付いた。日本でも切符売り場などで見かけるように、お金のやり取りする所にだけ小口が開けられている。やっぱり治安は悪いんだなとようやく実感した。

受付に座る若くて太った黒人女性に頼んでタクシーを呼んでもらった。アメリカではこのタイプの人が一番親切だ。呼んでくれたのは、当然のごとく白タクだった。助手席のヘッドレストには「Dominican Republic」と書かれたカバーがかけてあった。アメリカではタクシーに何度も乗ったが、白人のドライバーを見る事は一度もなかった。

創建100年を向かえたニューヨークグランドセントラル駅

世界中から人が集まるタイムズスクエア

どこに行ってもマイノリティの人たち、NYの懐の深さを知る

ブルックリンブリッジのたもとで、ホットドッグを買った。ドリンクが付いて2ドル50セント。売り子は中年のエジプト人男性。カイロに行ったことがあると話すと喜んでくれた。ブルックリンブリッジにのぼると、目の前に見えたのは昼間の摩天楼だ。9・11で破壊された跡地には、すでに新しいビルが建設されていた。

ブルックリンブリッジから見える再建中のワールドトレードセンタービル

橋の中ほどの踊り場で、中国人の青年がニューヨークの愛称である「ビックアップル」、リンゴのキーホルダーを1ドルで売っていたので買ってみた。そこから歩いて、ウォール街を抜け、自由の女神があるリバティ島に行く船が出るバッテリー・パークに向かった。船の切符売りもアジア系の女の子だった。タクシー運転手、ホットドッグ売り、キーホルダー売り……、どこに行っても、いわゆるマイノリティの人たちがいる。

船からみるエンパイアステートビル

自由の女神

永井荷風は『あめりか物語』(岩波文庫)のなかでこう描いている。

「出稼ぎの労働者という一語は、またしても私の心を動かさずにはいない。思い返すまでもなく、過る年故郷を去ってこの国に向う航海中、散歩の上甲板から、彼ら労働者の一群を見て、私は如何なる感想に打たれたか。

彼らは人としてよりはむしろ荷物の如くに取扱われ、狭い、汚い、臭い、穴倉の中に満載せられ、天気の好い折を見計らっては、船の底からもくもく甲板に上がって来て、茫々たる空と水を眺める(中略)彼らは外国で働く三年の辛苦は、国へ帰って有福な10年を作る楽の種であるという、この望み一つで、自分の先祖が産まれてそして土になった畠を去り」。

現代の「出稼ぎ労働者」たちの生活も決して楽ではないだろうことは想像できる。それでも、彼らが目指すニューヨーク、何者でも受け入れてくれるニューヨークはいい街だと思う。

エンパイアステートビルから見た夜景