JR博多駅から北へ歩くこと10分の場所にあるのが、南岳山東長寺(とうちょうじ)だ。空海が開いたというこの寺に、木彫座像としては日本一の大きさを誇る仏像「福岡大仏」がある。
空海が設立した由緒正しき寺
さかのぼること1,200年前。唐に渡った弘法大師空海は、遍照金剛(へんじょうこんごう)という最高の称号を与えられた。これはインドから興った密教を空海が引き継ぎ、その世界の中心を日本へと移したことを意味する。
遍照金剛となって帰国した空海は、福岡の博多で約2年を過ごしたという。この時に空海が建立したと伝えられている寺が、この東長寺なのである。寺には現住職、藤田紫雲師の尽力で勧進された、木彫座像としては日本一という大きさを誇る釈迦牟尼仏がおいでだ。地域の人々からは親しみをこめて、「福岡大仏」と呼ばれている。
昭和48年(1973)に51代住職として同寺に着任した藤田住職は、初めて寺を見た時に大変驚いたという。なぜかというと、寺に人が訪れることもなく、境内には雑草が生い茂り、荒れ果てていたからだ。
かの弘法大師ゆかりの寺がこんなことでいいわけがない! そんな思いで胸がしめつけられそうだったという。そこで、この頃から寺の象徴となる大仏作りを構想していたようだ。
大仏のきっかけは凶のおみくじだった!
その夢が現実になるには、あるきっかけがあった。ある日のこと、広島県に大きな木造の仏様があるといううわさを聞いた藤田住職は、同じ頃博多で開業したばかりの仏師、高井宗玄師と一緒に見に行くことにした。
偶然、旅の途中に寄った厳島神社で、藤田住職は仏師におみくじを引くよう促したのだ。「高井さん、もし凶が出れば、私は大仏建立を決めるよ」。おみくじで「凶」が出る確率は、実は、1/100程度だ。しかし、仏師が引いたおみくじの先には、みごとに凶の黒々とした文字が書かれていたのである。
瞬時に、これは天命と思った2人は博多へ戻るなり、大仏作りにまい進し始めたという。その後の藤田住職と仏師のこの木彫の大仏作りへの苦難については、実は住職は多くを語らない。これだけの大きさのものをここに作り、そして設置するには並々ならぬ苦労もあったろうに。
安らぎを与える身近な存在を目指しての拝観無料
この藤田住職、平成4年(1992)にこの木彫の大仏を完成させると、驚くことに拝観無料で一般に公開しはじめた。悩みや苦しみの多い人生を生きる人々にとって、少しでも安らぎを、救いを与える身近な存在であってほしいとの願いをこめ、あえて拝観料などは要求しないのだという。
心静かに「福岡大仏」の前に立ってみると、その大きさに圧倒される。拝観の際には、その感覚をぜひともゆっくり味わってみてほしい。人間よりはるかに大きな存在を下から見上げることで、自分の悩みなどなんと小さいことかと思えてくるから不思議だ。
藤田住職は優しい笑顔でおっしゃる。「拝むことで変わっていく、仏様の表情、お姿というものがあるんですよ」。その様を見ることができた時、拝む人の心にも大きな変化が訪れるのだろう。
JR博多駅すぐの、南岳山東長寺。せっかく福岡を訪れたみなさんには、ぜひ足をのばしてみてほしい場所である。