日本銀行は2009年12月21日 / 22日 / 24日 / 25日の4日間、市民講座を中心にした催し「日本銀行へようこそ~日銀を紹介する夕べ~」を日本銀行本店で開催した。このうち、21日 / 24日 / 25日には、講座終了後、2006年まで使われていた「旧地下金庫」見学も実施。旧地下金庫ってどんなとこ?
講座終了後見学が行われた旧地下金庫は、明治29年(1896年)~平成16年(2004年)まで使用されていたもの。講座を受講した市民は、まず、地下に降りるためのエレベーターに案内された。このエレベーターはお札を実際に運んでいたもので、かなり大きい。
エレベーターを降りて廊下を行くと、旧地下金庫の巨大な扉が目の前に現れた。この扉は、扉自体が15トン、枠が10トンで、計25トン。厚さは90cmもある。昭和7年(1932年)に旧地下金庫が拡張されてから、威容を誇ってきた。扉は鉄製で、さび止めのための油が塗られている。
巨大扉をくぐると、旧地下金庫の内部だ。旧地下金庫の面積は1426平方mあり、野球場のダイヤモンドの約2倍の広さがある。入るとすぐに現れるのは回廊部分で、昭和7年に拡張されるまで、この場所でお札をトロッコで運んでいた。拡張後は、レール部分などは埋め立てられ、金庫の一部として他の部分と同様に利用されてきたという。現在でもトロッコのレールやターンテーブルの跡が見られ、往時を偲ばせる。
金庫に入って旧回廊の左部分に目を向けると、現金や有価証券を入れるための箱である「容箱」が積まれている。容箱1箱には、1万円札で2億円分の現金が入るという。
旧回廊を経てアーチ型の入り口をくぐって旧地下金庫のさらに内部に入ると、左手に大きな部屋がある。この部屋は、通常の見学では入ることができない場所だが、今回の催しでは、特別に入ることができた。部屋の中には1台に40億円分が積まれたスキットが25台あり、ビニールに梱包された1万札の模擬パックを持ち上げる体験も行われた。模擬パックには1万円の模擬券が1億円分入っており、重さはおよそ10kgにも上る。また、同じ部屋には、金が入れられていた木箱も展示されていた。
一旦この部屋を出て、旧地下金庫のさらに内部に入ると、さらに大きな部屋が現れた。それにしても……部屋の天井は全てアーチ状になっている。その理由は、「耐震用に設計されているため」で、関東大震災の時も旧地下金庫は被害を受けなかった。このため、震災の翌営業日から、日本銀行は通常の業務を行うことができたのだという。ただし、大震災の時に消化活動のため地上でまかれた水が流れてきたとみられる跡は壁に残っており、震災の影響の一端を窺い知ることができる。
また、旧地下金庫では、耐震以外にも、独自の工夫がなされている。その工夫は、壁の上部に設けられた「吸気孔」だ。湿気に弱いお札のために設けられたもので、新鮮な空気を取り入れることができるようになっている。
旧地下金庫は、レンガ造りになっており、長い使用に耐えてきた伝統と重みが感じられる。日本が近代化して以降、大正、昭和を経て、平成16年までに使われたお札(日本銀行券)が、ここに保管されてきたことを思うと、その役割の大きさ・重さをあらためて感じた1日だった。
なお、旧地下金庫は通常の見学でも見ることができるが(年末年始を除く)、1週間前までに予約する必要がある。