劇団大人計画の主催者であり、小説やエッセイなどの文筆業や映画監督など、多方面で活躍する松尾スズキ待望の新作『女教師は二度抱かれた』が、8月に渋谷のBunkamuraシアターコクーンで上演された。2005年のミュージカル作品『キレイ』の再演に引き続き、3年振りのシアターコクーン登場となる同作が11月30日にWOWOWにて放送される。
「女優」の狂気、「演出家」の保身
作品の発想のもととなったのは、劇作家テネシー・ウィリアムズ往年の名作『欲望という名の電車』だという。女教師ブランチが、教え子と関係を持ったことで教職を追われ、やがて精神を病んでいくという物語だ。
演劇界の革新者と評判の演出家、天久(市川染五郎)は、これまた歌舞伎界の異端児と呼ばれる女形の滝川(阿部サダヲ)と組み、演劇界に一石を投じる芝居を打とうと目論んでいる。そんな時、天久の前に、高校時代の演劇部の顧問だった女教師、山岸(大竹しのぶ)が突然現れる。彼らはかつて、肉体関係を持ったことのある間柄で、天久が出世をしたとき、女優として彼女を使うという「約束」を結んでいたのだった。こうした折、滝川が自動車で人をはねるスキャンダルが持ち上がり、天久は対応に追われることになる。
芝居は休憩をはさみ、3時間程度。登場人物たちの欲望や業や思いが、糸を引くようにねっとりと絡み合った重苦しいストーリー。松尾スズキの演出は、狂気に陥らざるを得なかった「女優」、そして自分のことしか考えられぬ情けない「演出家」の姿を、鋭く、ときに優しく見つめる。
ストーリーを引っ張るキャストの演技
冒頭で、大竹が不気味なトーンで叫ぶ。「私には顔がないの!」。以降、次々と謎めいた伏線が張られ、展開が進むにつれてしっかりとつながるあたり、さすがの脚本術だ。
大竹は、定評のある揺るぎない存在感を、遺憾なく発揮する。女優としての顔と、田舎出身の泥臭い顔とを、パッパッと切り替えて演じる姿に釘付けになる。例えば劇中で、突如話ができなくなるシーンがある。飲んでいる薬の効果が切れたため、とすぐに判明するが、一瞬本当にセリフをトチッてしまったように見える。大竹は、自分ではない誰かの役を演じているようには見えないのだ。サイズの合った服のように、女教師の役が、大竹の肉体にぴったりとまとわれている。
ストーリーからお気づきになるだろうが、歌舞伎役者を阿部が演じ、小劇場の演出家を市川が演じるという、配役の転倒がある。「それが演劇の面白さ」という松尾の言葉通り、市川のダメな演出家っぷりがとても新鮮である。阿部は持ち前のハイテンションな演技で、雰囲気を盛り上げる。大人計画おなじみの役者たちも、それぞれのキャラクターを活かされ、要らない役がひとつもない。チョイチョイ登場する松尾スズキの、突拍子もない衣装も笑える。
ラストシーンに見て取れる「希望」
また作品の見どころとして、ひとことで言えば「スペクタクルとしての見事さ」が挙げられる。まず、ミュージカル作品としての楽しさ。バンドの演奏にあわせて、役者たちがムード歌謡風に男女の哀しさを歌い上げるシーンがたびたび挿入される。さらに、造りこまれた舞台美術にも注目したい。汚しをかけられた、灰色を基調にした背景が、やるせない雰囲気を加速させる。
ラストシーンは、希望を感じさせてくれる終わり方となった。『欲望という名の電車』では描かれなかった、女教師と教え子の、その後の関係。女教師を破滅に追いやった教え子は、どのようにしてその責任を取るべきなのか? 松尾がラストシーンに込めたメッセージは、『女教師は二度抱かれた』というタイトルともあいまって、きっと観客の胸を打つことだろう。
『女教師は二度抱かれた』はWOWOWにて11月30日(23:00~)に放送。