権力と栄華と悲劇の象徴、アグラ城

アグラ城は、タージ・マハルを建設した皇帝シャー・ジャハーンの父、アクバル帝が1565年に建てた宮殿で、のちに、シャー・ジャハーンが囚われた城でもある。ヤムナー川沿いに建てられており、タージ・マハルからは車で10分ほどの位置にある。

廟を出て休んだ日陰から見えたヤムナー川

観光客の入口となるアマル・シン門は、通りからすぐのところにあり、タージ・マハルを観光する人々が必ず訪れると思われ、大勢の人で賑わっていた。入口の外から見た外観は、別名アグラ城塞、または赤い城と言われる通り、赤砂岩で築かれており、城壁は高く、堅固なイメージだ。

売店や馬車などとにかく賑わっていたアグラ城の前

アグラ城のアマール・シン門。赤い城と言われた所以がわかる

アマル・シン門を入ると、ここを築いたアクバル帝が息子ジャハーンギル帝のために建てたジャハーンギル宮殿がある。一見素朴に見える宮殿だが、近くづいて見ると、彫刻のレリーフが豊富に施されており、栄華を極めた痕跡が残っていた。さらに奥へ行くと、より豪華なムサンマン・ブルジュが見えてくる。ここは、シャー・ジャハーン帝の時代に、自らが愛する妃ムムターズのために増築した館である。赤い城の中でも目を引く白大理石がふんだんに使われ、女性的な造りの印象を受ける。妃への皇帝の配慮が感じられる館だった。だが皮肉なことに晩年にシャー・ジャハーン帝が幽閉されたのはこの館だそうで、ヤムナー川沿いに望めるタージ・マハルを、74歳で亡くなるまで8年間、ここの窓から眺めたと言われている。アグラ城の世界遺産への登録は、タージ・マハルと同じ1983年になされている。

タージ・マハルの原型、デリーのフマユーン廟

フマユーン廟は、デリーの中心から車で15分ほどの広い敷地に建っている。完成が16世紀半ばと古く、タージ・マハルなど、のちに建てられる廟だけでなく、宮殿などにも影響を与えたと言われている。ドーム型の屋根を中心に左右対称に造られた廟や正方形に分割された庭園は、まさしくタージ・マハルの原型と言えるだろう。だが、世界遺産の登録はタージ・マハルより10年もあとの1993年になる。

フマユーンへ続く西門。ドーム型屋根の一部が見えている

タージ・マハルは皇帝が妃のためにつくった廟であるのに対して、フマユーン廟は、宮廷内の事故で亡くなった夫フマユーン帝のために、妃ハージー・ベーガムが建てたものである。ペルシャ出身の妃がペルシャ建築の設計士を迎え造られたという赤砂岩が白い大理石で縁取られた様式は、そのコントラストがとても美しく、当時の職人技術が発達していたのがうかがえる。現在では市民のための公園になっていて、庭園もきちんと整備され、清々しい印象の名所だった。フマユーン廟もタージ・マハルも「愛する伴侶」のために建てられたもの、と考えると、インドの皇帝、妃はとても愛情深いのではないかと考えてしまうのは浅はかだろうか。建物の豪華さや精密さを考えるとあながち外れてはいないと思えてくる。

フマユーン廟。赤と白のコントラストが美しく映える

イサカーン廟。フマユーンと隣り合った廟で詳細は不明。かなり色褪せている

廟の敷地内に建つイサカーン・モスク。フマユーンと違い修復がなされていない様子

このように、デリーはインドの首都でありながら、文化遺産3カ所を含む古い遺跡や見どころが集中している。オートリキシャ(三輪バイク)で巡ることも可能だが、ホテルでは車を出してくれるので、料金に納得できれば(5カ所前後を廻って2,000円くらいが相場)、車で廻るのもオススメだ。行きたい場所を告げると、運転手が閉館時間や道順を考えて効率よく廻ってくれるはずだ。タージ・マハルへの移動ももちろんホテルで相談できる。今回紹介したタージ・マハル、アグラ城、フマユーン廟3カ所の時代背景・物語がつながっていたように、遺跡に秘められた物語を想像しながら巡ると、世界遺産巡りも一層楽しいものになるはずだ。時間など気にせず、じっくり堪能してほしい。