――それで石ノ森先生のところへ行かれて、いかがでしたか?

「先生とはね、長いお付き合いだけどね、あんな様子はあのときだけだね。先生のことだからさ、イヤな顔はなさらないよ。けど、しきりに『いいのになあ、いいのになあ』とか言って(笑)」

――スカルマンにずいぶんと思い入れがおありになったんでしょうね。

「いつもだったらさ、まず、鉛筆とスケッチブックをもつんだよ。それで、書きながら、なにか言うんだけどね、鉛筆ももたない(笑)。僕としても、かっこ悪いんだよね。先生の力作に対して、なんの援護もできてないんだからさ(笑)。最初からおっしゃってたもんね。『僕は絵で考えるからね』って。絵を描きながら、しゃべるんだよね。それも始めようとしないで(笑)。隣でマネージャーの加藤さんがイライラして」

――と、おっしゃいますと……。

「月産三百数十ページのスケジュールがあるわけでしょ。先生がその日その日のノルマを上げると、それを加藤さんがアシスタントの方たちに渡して、その方たちの作業が始まるわけ。だから、加藤さんはいつも『30分だけですよ! 30分だけ!』って(笑)」

――そういう中で、後のショッカーの怪人たちのデザインもできていったわけですね。お話を戻して、その日は、その後はどうなったんですか?

「とにかく加藤さんが、先生に世界のお面の図鑑なんかをどんどん見せて、『先生、これどうですか?』なんてやってるわけね。そのうち、昆虫図鑑の見開きにバッタの顔が大写しで載ってるのが出てきた。それが、ドクロのシルエットに非常によく似てるんだよ」

――確かにそうですね。

「そしたら先生も、『これ、いけるな』って(笑)。ホッとしてね(笑)。それで、先生も描き出して、それでバッタ仮面ができたわけだよ。ホントにあの図鑑は、天の助けみたいなもんだね(笑)」

――そういったいろいろな種類の図鑑のたぐいは、あらかじめマネージャーの加藤さんが用意なさっていたものなんですか?

「もう、いつものことだからね、いっぱい抱えてもってきてね」

――それにしても、すごい巡り合わせですね。そのバッタの写真から、イメージを膨らませていかれたんですね。

「先生が、『バッタは自然の象徴だ』と。だから、『ショッカーは自然破壊をするやつらだ』と。先生の頭の中には、そういうディテールがどんどん出てきてるんだね。僕も、それを一生懸命メモして(笑)」

――そういった苦労の末に生み出された『仮面ライダー』は、放送開始の翌年の正月、第41話「マグマ怪人ゴースター 桜島大決戦」で、初めて30%を超える視聴率を記録し、『巨泉のお笑い頭の体操』に勝利するという当初の目的を果たしたわけですね。

「ホント、すごい話だよね(笑)」