――その時、マルサンさんが開発されたオリジナル商品の1つが……。
「『怪傑透明ウルトラエース』だったんです」
ここで、「ウルトラシリーズ」について、あらためておさらいしておこう。「ウルトラシリーズ」は1966年、武田薬品工業株式会社の一社提供によるタケダアワー、すなわち、TBS系毎週日曜19時からの枠で放送された円谷空想特撮シリーズ『ウルトラQ』に始まる。以下、
『ウルトラ』TVシリーズ作品シリーズ | 番組タイトル |
---|---|
空想特撮シリーズ タケダアワー |
ウルトラQ |
ウルトラマン | |
ウルトラセブン | |
第2期ウルトラシリーズ | 帰ってきたウルトラマン |
ウルトラマンA | |
ウルトラマンタロウ | |
ウルトラマンレオ | |
第3期ウルトラシリーズ | ウルトラマン80 |
平成ウルトラマンシリーズ(平成・20世紀) 平成3部作 |
ウルトラマンティガ |
ウルトラマンダイナ | |
ウルトラマンガイア | |
平成ウルトラマンシリーズ(平成・21世紀) | ウルトラマンコスモス |
ウルトラマンネクサス | |
ウルトラマンマックス | |
ウルトラマンメビウス |
と続くわけだが、さて、ここで巨大ヒーローが登場するにもかかわらず、「ウルトラマン」というフレーズが入っていない作品名があることにお気づきになられよう。そう、『ウルトラセブン』である。実際、『ウルトラマンセブン』と誤って憶えておられる方もいるようだ。なぜそうなったのか? 実は円谷プロでは、はじめから『ウルトラ○○』というタイトルで統一するつもりでいたのだ。ところが、『帰ってきたウルトラマン』に続くシリーズを『ウルトラエース』と名づけようとしたところ、この名の商品がすでに発売されていることがわかった。そのメーカーが、今回お話をうかがっているマルサンさんであり、その商品というのが上述の『怪傑透明ウルトラエース』である。そこで円谷プロでは、番組タイトルを『ウルトラマンA(エース)』とし、ここに『ウルトラマン○○』というパターンのタイトルが定着することとなった。
――マルサンさんが『怪傑透明ウルトラエース』の商標を守るために、円谷プロに『ウルトラエース』という番組タイトルを使わせないようにした、というわけではないんですね。
「円谷さんとしては、安全策をとられたのでしょう。むろん、もめたということではありません。実際、昭和47年には弊社で『ウルトラマンA(エース)』のミニソフビやミニプラモを発売させていただいたりもしていますし」
――それにしても、「ウルトラエース」というフレーズを当時のマルサンさんの方は、どこから思いつかれたんでしょう?
「『ウルトラQ』放映時に発売されたレコードの収録曲『ウルトラマーチ』の中に出てくるフレーズからヒントを得て、思いついたんじゃないかと思いますね」
――「ウルトラマーチ」というと、作詞は、東京一こと円谷一さんですよね。
「そうです。その曲です」
――それ以降のマルサンさんは、どのようにしてやってこられたのでしょうか?
「自社ブランドの玩具もやりつつ、昭和56年には小型ギアボックス(プルバックやノコノコ歩行のゼンマイ)を開発して、OEM(相手先商標による製品生産)事業に乗り出し、多くのメーカーの製品に使用されるようになりました」
――どのような製品に使われたんでしょう?
「いろいろありますが、大手ハンバーガーチェーン店のノベルティグッズに採用されたケースもあるんですよ」
――なるほど。
「さらに、玩具菓子の玩具のOEM生産も始め、長崎屋さんやフルタ製菓さん、カバヤさんに供給していました」
――1980年代には、生産を中国に移し始めるわけですね。
「うちは、中国に進出したのは比較的早かったと思います」
――そして、さらに1990年ごろになると懐かしオモチャブームがやってきて……。
「現在もやっているような、懐かし玩具の復刻に着手します」