ウルトラ怪獣のソフビ(ソフトビニール製)人形で一世を風靡したマルサンは、今年で創業85周年を迎える。子どものころ、怪獣ソフビを使ったごっこ遊びに明け暮れた方も多くいよう。そこで、今回は、同社成型工場での生産作業の様子も交えて、六代目社長の神永英司さんに同社とソフビ怪獣の歩みについてお話をうかがった。

――マルサンの創業は、今から85年前にさかのぼるそうですね。

「大正時代に石田直吉が浅草に石田製作所を設立して玩具の販売を始めたのが、現在のマルサンの前身ですね」

――当時はどのようなものを販売してらしたのでしょう?

マルサン六代目社長の神永英司さん。マルサン本社オフィスにて

「いわゆる駄玩具と呼ばれるものですね。当時の子ども向け玩具の主流は雛人形や五月人形のようなものだったんですが、石田直吉が製作していたのは、縁日の露店で売られるような、望遠鏡のオモチャとか風車みたいなものです」

――そして、昭和22年に石田直吉の長男の石田晴康がマルサン商店を立ち上げられるわけですね。

「実は、戦前にすでに石田晴康は、父親の跡を継いで一旦独立しているんです。でも、その後すぐ戦争になってしまって、あらためて兄弟と親戚で本格的に商売を始めたのが戦後というわけです」

――昭和22年に石田直吉の長男石田晴康、三男の石田實、荒井康夫の3人によって設立されたため、「○」に「三」の字を入れてマルサンという商号にしたと言われていますが……。

「そういう説もありますね。ところが、別の話もあって、石田晴康が父親の石田製作所に勤める前に奉公していた店のロゴが『○』に『三』だったと。そのロゴだけを引き継ぐ形で読みを新たに『マルサン』と読ませて商号とした、という話も聞いています」

――戦後になると扱う玩具も変わってくるわけですね。

「双眼鏡などの光学玩具は、戦前から引き継いだものです。それに加えて、輸出向けの金属玩具、いわゆるブリキのオモチャを手がけます。戦車みたいなものとかですね」

――そして、昭和28年には、かの有名な、傑作と呼ばれたブリキ製のキャデラックを発売なさるわけですね。

「海外にも、かなり売れました」

――当時の日本では、外貨獲得というのは重要な課題でしたから、それに貢献なさったわけですね。

「なにしろ、国内での価格が1,500円でしたからね」

――当時の1,500円ですからね。さらに、昭和33年には、国産初のプラスチック・モデル「ノーチラス号」を発売されますね。しかも、翌34年には、「プラモデル」という名称を商標登録なさったと。

「英語では、『プラスチック・モデル・キット』ですね。これは、その数年前に石田實がアメリカに行きまして、向こうで見てきたものを真似て商品化したものです」

――当時は、プラスチックのインジェクション成型というものが珍しかったということでしょうか?

「国内の玩具では前例がないですね。一般の製品で、ようやく使われだしたころです。金型作りも手探り状態でした」

――その初めての金型は、どうやってお作りになったんですか?

「まず、元のノーチラス号の模型から石膏の雌型を起こし、それをドイツから輸入した特殊な工作機械でなぞります。すると、その形状が読み取られて金属の複製ができるわけです。その当時、日本でそんな高価な機械を使っていたのは、YKKさんとうちだけです(笑)」

――インジェクション成型、すなわち射出成型というのは、熱と圧力をかけて成型する方法ですよね。

「粉末状の材料を金型の内部に射出してやります。すると、内部の熱で融けるわけです。固まったところで型から抜くと、ランナーに付いた状態の部品になります」

――作るのも初めてだったでしょうが、売り込むのも初めてなわけですね。

「ですから、最初は問屋さんに持ち込んでも、『なんだ、このクズは』と言われてしまったらしいですね(笑)」

――箱を開けても、部品が入っているだけ…… (笑)。

「『こんなもの、売れるのか』と(笑)」

――ちなみに、マルサンさんとしての初めての怪獣商品は、ソフビではなく、プラモデルだったんですね。

「そうです。プラモデルとブリキでゴジラを発売したのが昭和39年のことです」