2007年9月20日。その日は、世間的にはきわめてひっそりと迎えられた。

18時近く。代々木第一体育館の裏手、NHKホールの脇にある公園内の小さなステージで、大音響とともに、ある映像が流れ始めた。

「みなさーん、こんばんはー。おニャン子クラブです!」

――その日の宵の風はどんなだったろうと、思い返してみた。

1987年9月20日。20年前のちょうどこの日の話である。原宿駅からほど近い代々木第一体育館では、おニャン子クラブの解散コンサートが行われていた。

1985年4月、ウィークデーの夕方5時に『夕やけニャンニャン』がスタートした。その出演者として結成されたのが「おニャン子クラブ」である。人気はにわかに急上昇し、7月に早くも『セーラー服を脱がさないで』(秋元康作詞)でレコードデビュー。その秋以降、おニャン子クラブは一大ブームを巻き起こしていくことになる……。

おニャン子クラブの歩みを説明していたら、それだけでもう一冊の本を書けてしまうのでここでは端折ることにしよう。ともかくおニャン子クラブは社会現象となるほどの人気を得た。2年半の活動を経て、工藤静香や渡辺満里奈、国生さゆり、城之内早苗らを輩出し、1987年9月に解散。当時のファンには、解散10年後にモーニング娘。を生み出すことになるつんくもいた……といった辺りが、世に知られる一般知識としてのおニャン子クラブである。

解散から1年、ファンは自然に帰ってきた

しかし一方で、世にほとんど知られていない後日譚もある。

解散からちょうど1年後の1988年9月20日、ささやかなことが起きた。

おニャン子クラブのFINALコンサートが行われた代々木第一体育館。20年後の夕刻は誰もおらず、広場は閑散としていた

その日の夕方、代々木第一体育館の前に、若い人々が集まっていた。

誰が呼びかけたわけでもなく、彼らは彼ら自身の想いで、1年後のその瞬間をその地で迎えたいというただそれだけのために集まってきた。

その中に、やはり仲間うちだけで楽しむ目的で、テレビモニタを持ってきた人たちがいた。彼らが解散コンサートのビデオを流し始めると、近くにいた人々もそこへ寄っていく。 "その後の20年"の、始まりだった。

これは翌年も行われ、3年目以降、代々木第一体育館そばのステージを借りきって大スクリーンでビデオを流すイベントへと発展した(※)。

※ 20年の間には、会場が使えない年、映像なしの年など曲折もあった

集まるのは、せいぜいが100人前後のレベルである。しかし彼らは熱かった。回を重ねるうち、時にはおニャン子本人たちも姿を見せた。そんなこんなで解散10周年を経過。そしてとうとう、20年の節目がやってきた。

20周年イベントは、例年よりも盛大に催された。いつもなら夜に解散コンサートのビデオを流すだけだったが、ことしは昼間から、おニャン子クラブの思い出のシーンを集めたビデオをプレイベントとして上映、平日ながら多くの人々が集まっていた。

17時半過ぎ、解散コンサートビデオ上映がスタート(※)。既に100人を超える数に膨らんでいた参加者は次第に増え、佳境に入ると200人を余裕で上回った。ステージでは演出のスモークが立ち上り、紙吹雪が舞う。

※当初はコンサート開始時刻に合わせてビデオ上映も始めていたが、現在の会場を借りるにあたり、使用時間の制約で1時間ほど前から始めるようになっている

近くにいたカップルや女子高生、散歩中の人々は、何が始まったのかと驚いて寄ってくる。女の子たちの「キモ~い」という声も聞こえる。

しかし、当の参加者たちは、そんなことなど意に介さない。それもまた、毎年の風物詩といえる出来事だったから。

FINALコンサートのビデオも佳境へ入ってきた。参加者には、会社帰りにふらりと寄る人もいれば、当時からのハッピを着込んで参加する人もいる

9月20日は「年に一度、あの頃に戻れる日」

大げさな話の振り方をしておいて、「なんだ、たったの200人か」と思われたかもしれない。

けれど、20年後のこの200人を、あなたはバカにできるだろうか?

まあバカにしてもかまわないし、彼らも別に気にしないだろう。

おニャン子クラブは、その後よく比較されたモーニング娘。に比べると、実働期間はわずか2年半と短いし、世代も当時高校生や大学生のエイジを軸とするから明らかに偏っている。

けれどそれだけに、この日この場所に集まれるのは、彼らの世代の、それも一部の人間たちの特権でもある。

筆者とはおニャン子クラブ関連で共著があり、10周年時のイベント主催者でもあった村田穫さん(39)は「20年、とくにこの10年はあっという間だった。自分自身、20年も経って、何かをやり残したという悔いはない。9月20日は、年に一回あの頃に戻れる日という感覚。当時の人と、あの頃を懐かしみたい。30周年や40周年にこういうイベントがまだあるのかはわからないけど、たぶんこの日には代々木に行くんじゃないかな」と語る。

それは確かにノスタルジアかもしれない。参加者は年々歳をとるし、これからどうなっていくのかもわからない。少なくとも来年と再来年は、このステージにすでに別の予約が入り、使えないことは確定しているという。

それはそうだけれども、彼らが来年以降、この一年一度の9月20日をただの9月20日にしてしまうとは思えない。

イベントが終わり、主催者も参加者も入り交じっての清掃が始まる。最初から最後まで、すべて手作り。お金もかかるから、カンパを募っている。主催者側の苦労は多い。

ここ5年ほど主催してきた望月一弘さん(36)は、こうつぶやいた。「いまはまだ何も考えられない。今回で、正直疲れました(笑)。でもまた、来年も何かしらやるんでしょうね……」。

10年後、20年後にこのようなイベントがあろうがなかろうが、おニャン子クラブは青春の一時期にそれを深く体験した人たちにとって、陳腐な言い方だけれどとても大切な、そしてとてもたくましい世代の記憶である。