東北大学は5月14日、プラズマ技術を用いて空気から「五酸化二窒素」(N2O5)を高効率に合成する独自技術の「月面農場」への適用可能性についての議論を踏まえ、N2O5を溶かした水(N2O5溶解水)を月レゴリス模擬土壌に適用してイネの生育への影響を評価した結果、同溶解水が窒素肥料の供給源となるだけでなく、アルカリ性のレゴリスを中和してカルシウムやマグネシウムなどの必須ミネラルの溶出を促進すること、有害なアルミニウムイオンの溶出を抑制することなどを明らかにしたと発表した。

  • N2O5溶解水およびN2O5ガスがイネの成長に与える影響

    N2O5溶解水およびN2O5ガスがイネの成長に与える影響。(A)月レゴリス模擬土壌で育てられたイネの様子。N2O5溶解水を与えた場合、水のみと比較して生育が良好だった。(B・C)N2O5溶解水で育てたイネにさらにN2O5ガスを噴霧すると、草丈の伸びが抑えられる様子(徒長抑制)が確認された。イネの重さや密度の比較から、溶解水とガス処理を組み合わせることで、より効率的な成長制御が可能であることが示された。(出所:東北大プレスリリースPDF)

同成果は、東北大大学院 工学研究科の金子俊郎教授(東北大 スペースクロステック研究センター(SXT)兼任)、同・佐々木渉太准教授、東北大大学院 生命科学研究科の東谷篤志教授(SXT兼任)、宇宙航空研究開発機構(JAXA) 宇宙探査イノベーションハブの大熊隼人主任研究開発員ら共同研究チームによるもの。詳細は、英科学誌「Nature」系の微小重力環境の影響を扱う学術誌「npj Microgravity」に掲載された。

月面生活での食料自給と植物成長が両立できる可能性も

米国航空宇宙局(NASA)主導の国際宇宙探査「アルテミス計画」において、2030年代には恒久的な月面有人活動拠点の建設が計画されているが、人類が他天体での長期滞在を試みる場合、地球から食料を輸送するだけではコストや持続性の面で課題があり、現地で食料を自給する技術の開発が強く求められている。

月の表面を覆うレゴリスには、地球の土壌のように動植物の遺骸が分解されることで存在する「有機態窒素」が含まれていない。そのため、植物の成長に不可欠な窒素源である「硝酸態窒素」や「アンモニア態窒素」が著しく不足しており、作物の栽培が困難なことが知られている。したがって、月面で食料を生産するためには、現地で窒素肥料を効率的に作り出す新しい技術が必要である。

そうした中、研究チームは、空気と水から効率的に窒素肥料成分を生成できる「低温プラズマ技術」に着目。プラズマは、空気中の窒素や酸素、水蒸気を電気エネルギーで活性化させ、さまざまな反応性分子を作り出すことが可能だ。研究チームはこれまで、100W未満という低電力で空気から直接N2O5を選択的に合成する技術を独自に開発してきた。N2O5は、一酸化窒素や二酸化窒素と比較して水に効率よく溶解し、窒素肥料の主成分である「硝酸イオン」に変化するため、現地での窒素肥料生産に適した物質といえる。そこで今回の研究では、N2O5溶解水を用いて月レゴリス模擬土壌でイネを栽培し、その影響を詳細に調べたという。

実験の結果、まずN2O5溶解水を用いた場合は、一般的な水と比較してイネの成長が大きく向上することが確認された。また、植物の窒素の取り込みに関わる遺伝子(NPF6.5/NRT1)の発現が増加することも判明。さらに、同溶解水は月レゴリス模擬土壌のアルカリ性溶出水を中和し、植物の成長に必要なカリウム、マグネシウム、カルシウムなどのミネラル成分の溶出を促進する効果があることも明らかにされた。その一方で、植物に有害なアルミニウムイオンの溶出は逆に大幅に抑制されることが示された。

  • 月レゴリス模擬土壌で育てられたイネにおいてN2O5の溶解水とガスで処理した際の遺伝子発現を解析した結果

    月レゴリス模擬土壌で育てられたイネにおいて、N2O5の溶解水とガスで処理した際の遺伝子発現を解析した結果。窒素の取り込みに関わる遺伝子(NPF6.5/NRT1)は発現が増加。アルミニウム毒性に関係する遺伝子(STAR1)は発現が低下した。植物の防御や成長に関わる遺伝子(ACO3、CDC48E)は発現が上昇したことが示された。(出所:東北大プレスリリースPDF)

  • 月レゴリス模擬土壌に「水」または「N2O5溶解水」を加えた際に溶出する成分

    月レゴリス模擬土壌に「水」または「N2O5溶解水」を加えた際、水中にどのような成分が溶出するのかを調べた結果。イオン濃度の単位はmg/L。(出所:東北大プレスリリースPDF)

次に、N2O5ガスをイネの葉に直接噴霧する実験では、病害抵抗性に関わる遺伝子が活性化し、植物の防御システムが強化されることが明らかにされた。同時に、宇宙や月面の低重力環境で問題となる、茎や葉が光を求めて過剰に伸びる現象である「徒長(とちょう)」を抑える効果も確かめられた。これらの結果から、N2O5は窒素肥料として機能するだけでなく、月面などの過酷な環境下において植物の健全な育成を支える役割も担うことが示唆されたとしている。

今回の技術は、月の土壌に不足しているリンなどの他の栄養素を効率的に供給する方法と組み合わせることで、より実用的な月面農業システムへと発展させられると期待できるという。現在、研究チームは月レゴリスに含まれている不溶性リンを溶かし出す特定の微生物とプラズマ合成N2O5溶解水を組み合わせる研究も計画中で、複数の技術を統合することで、より高度な食料生産システムの構築につながるとした。将来的には、水や空気の供給、排泄物の再利用など、他の生命維持システムと連携した閉鎖系での「月面農場」の実現を目指すとする。

また、今回開発されたプラズマ技術は、再生可能エネルギーで稼働できることも大きなメリットだ。化石燃料に頼らない「窒素固定」プロセスとして、月面での食料生産に必要なだけでなく、地球上においても持続可能な農業や窒素肥料生産に伴う環境負荷の低減にも貢献する可能性を秘めた技術といえる。今回の技術は、未来の食を支える基盤として、月面・宇宙と地球の双方において、持続可能な社会の実現に寄与することが期待されるとしている。