『想いと想いをつなぐ演奏機会』 
世界中の子どもたちに音楽・器楽教育を届ける「スクールプロジェクト」。遠隔でも少ない遅延でセッションを楽しめる「SYNCROOM(シンクルーム)」。「合奏の喜びをより多くの人に届けたい」。二つに共通するその想いは、世界に広がっていく。


音楽教育の中でも楽器演奏に特化した「器楽教育」にはさまざまなメリットがあるといわれ、いま、世界中で注目されている。しかし、世界ではまだまだ楽器に触れる機会すらない子どもたちも多い。「一人でも多くの子どもたちに音楽や楽器演奏の楽しさと、豊かなこころを育む教育を届けたい」。そんな想いから、ヤマハは公教育において質の高い音楽・器楽教育を届ける活動を世界各地で行っている。

2015年に始まった「スクールプロジェクト」は、各国の政府教育機関と連携して小学校で音楽・器楽教育プログラムを展開するヤマハ独自の取り組みだ。2023年3月現在、スクールプロジェクトで楽器演奏を学んだ子どもは、累計7カ国(マレーシア、インドネシア、ベトナム、インド、ブラジル、アラブ首長国連邦、エジプト )、202万人に上る。2025年までには、さらに230万人まで広げる計画だ。

  • インドの初等学校で行われているスクールプロジェクトの様子

    インドの初等学校で行われているスクールプロジェクトの様子

音楽・器楽教育を早く、広く、届けるために

「音楽の楽しさと楽器を演奏する喜びを世界中の子どもたちに届けよう。私たちの活動はこんな想いからスタートしました」。スクールプロジェクトの運営とインクルーシブ教育の推進に携わる林彩花は、活動の原動力でもあるチームの想いをあらためて話してくれた。そして、その想いを最短で実現する手段として、公教育に音楽を取り入れてもらう活動を始めたという。

  • 楽器・音響営業本部 AP営業統括部 音楽普及グループ 林 彩花

    楽器・音響営業本部 AP営業統括部 音楽普及グループ 林 彩花

だが、林らがこの答えにたどり着くまでには紆余曲折があった。「もともとは音楽教室の先生を学校に派遣しようと、野心を燃やして走り出した活動でした。ですが、新興国では無償の公教育の場で有料レッスンを提供することへの理解を得ることが難しく、あまりうまくいきませんでしたね」。

そこで、クラブ活動の一環で学校の先生が楽器を教える仕組みに軌道修正。教材や楽器、教員研修を提供し、課外活動を通して音楽や楽器の楽しさを普及させることにした。ところが、それではクラブ活動に熱心な学校でないと取り入れてもらえず、教育省の予算の関係で教員研修費が削られ、活動が継続できないなどの課題に直面することがあった。この頃から、林らは「草の根的な活動には限界がある」と考え始めたという。

2020年、スクールプロジェクトはこれまでにない挑戦に踏み切る。各国の公教育に音楽・器楽教育を取り入れてもらう戦略に舵を切ったのだ。各国の政府・教育機関と対話を重ね、公教育の正規プログラムとして導入することで、広く、早く、そして持続的に音楽や楽器を取り入れた教育を展開できるようになる。「政府機関に働きかけて公教育のカリキュラムにまで切り込んでいるのは、音楽分野ではヤマハだけではないかと思います」。

林自身は高校の吹奏楽部で人生観が変わったという。「みんなで練習して、それぞれの役割を担いながら一緒にひとつのものを創っていく。みんなで協力してなにかを成し遂げたことが、私には本当に大きな成功体験になりました」。その後、語学系の大学に進み、語学力と音楽経験を生かせる場としてヤマハを選んだ。仲間との共奏が人生の転換点となったという林が、いまではスクールプロジェクトの活動を通して世界の子どもたちに同じ喜びを届けているのだ。

子どもも大人も、こころから変わっていく

音楽・器楽教育を通して、子どもたちは音楽を楽しむだけでなく、生きるのに必要なさまざまな能力も身に付けている。

「これまでの教育現場では、読み書きや計算などのテストで測定し、評価できる能力が重視されていました。しかし、最近では数値化できない『非認知能力』の方が注目を集めるようになりました」。こう話すのは、スクールプロジェクトの運営とデジタルコンテンツの制作を担当する渡辺一樹だ。いま、世界で求められているのは、他者と協働してイノベーションを生み出す人材だ。そういう人材を育てるためには、正解を覚えさせるのではなく、自ら考えて行動し、他者の声に耳を傾け、協力してなにかを生み出す人格形成が必要になる。

  • 楽器・音響営業本部 AP営業統括部 音楽普及グループ 渡辺一樹

    楽器・音響営業本部 AP営業統括部 音楽普及グループ 渡辺一樹

渡辺は言う。「答えが決まっている勉強よりも、『その表現いいね』といくつも正解を見いだすことのできる音楽教育は、多様性を尊重する心を育みやすいと考えています」。実際、器楽を含む音楽や芸術の課外活動は、柔軟性や主体性、向上心、粘り強さといった非認知能力の発達に役立つことが研究で示されている。

しかし、多くの教育機関は音楽・器楽教育や非認知能力を育むための指導法についての知見がなく課題を抱えている。だからこそスクールプロジェクトでは、楽器や教材だけでなく、教員研修も含むパッケージとして展開している。「大人の側も、教員が一方的に指導する講義型の教育しか受けてこなかったので、ヤマハのプログラムには最初、戸惑いがあるようです」(渡辺)。音楽・器楽教育を普及させる上では、そういう教員や保護者の意識が変わるよう説明を尽くすことも大事なプロセスだ。

例えば、リコーダーの授業では、指使いの確認の仕方ひとつ取っても指導法の違いが現れる。これまでの教育では、先生が一人ひとりの指を確認して回り、正しいか、正しくないかを指摘するのが一般的だった。これに対し、スクールプロジェクトでは近くにいる友達同士で確認し合うよう、子どもたちに呼びかける。「自分で考えたり、周りと助け合うことで、自信や信頼関係が育まれる」と林は語る。研修では、こうしたペアワークやグループワークを特に大切にしているという。

子どもたちが変わっていく姿を目の当たりにすると、教員の側にも変化が訪れる。「それまで演奏がうまい子ばかり前に立たせていた先生が、次第に全員をステージに立たせるようになるんです」。正しい演奏を目指して競い合うより、全員で協力して演奏をつくり上げる方がいい。そんなムードが、教室の中で育まれていくのだ。

渡辺は学生時代、教育系のボランティア活動に励んでいた。「公教育にアクセスできない東南アジアの子どもたちを対象に、創造性を育むきっかけづくりに取り組みました」。そして、大好きな音楽に携わりながらグローバルに仕事をしたいと思い、ヤマハへの就職を決めた。「巡り巡って、また新興国での教育事業に携われるとは思ってもみなかったですね」。

一緒に成長し続けるプロジェクト

次世代の協調性や創造力を育む活動をする中で、林と渡辺は自分たち自身も、子どもたちに培ってほしい能力を体現しようと意識するようになった。

例えば、他者と協働すること。林は他部門との対話を特に大切にしている。「スクールプロジェクトを応援してくれる人は多いのですが、直接売り上げにつながる活動ではないので理解されにくい面もあります」。そこで、活動のために新しい楽器をつくってほしいと開発部門に持ちかけてみたり、今後開始するプロジェクトについて営業部門や音楽教室部門に相談してみるなど、理解や協力を広げる働きかけを意識的に行っている。最近ではスクールプロジェクトに興味を持つ社員が増え、合同勉強会や議論の場を設けることも増えた。会社全体で活動を後押しする機運が高まれば、スクールプロジェクトの可能性はさらに広がっていくだろう。

一方、渡辺は学び続ける姿勢を忘れないようにしている。「若手の私ですら、音楽教育を受けていたのは十何年も前のこと。日本の音楽教育も変化しているので、最新のノウハウを活動に取り入れるため勉強を続けています」。いまではデジタル教材の開発にも携わっている。渡辺は、いつか楽しい授業が繰り広げられるシーンを思い描きながら、専門家の監修の下で教材づくりに励んでいる。

スクールプロジェクトのような新しい取り組みを進めていく上では、チームで意見やビジョンを分かち合う時間も大切だ。渡辺の周りでは、わざわざ打ち合わせの場を設けなくても、日常業務の中で自然と議論が湧き上がるという。「年齢や立場に関係なく、みんな同じ目線で意見交換していますね」。

林も議論の時間を大切にしている。「スクールプロジェクトの理念や目標は数年前に定めたばかりなので、まだまだ進化する余地があると感じています。変わっていけるし、変えていかなくてはいけない。だからこそ、すぐにアウトプットにつながらなくても、教育の未来、世界の未来について理想を語り合う時間を大切にしたいのです」。

世界中の子どもたちに楽器を奏でる楽しさを伝え、豊かなこころを育むスクールプロジェクト。同じように、人と人とをつなげ、「共奏」を生み出す事業をヤマハは数多く展開している。次回はそのひとつ、遠く離れた人たちが遠隔合奏できる「SYNCROOM」をご紹介します。お楽しみに。

(取材日:2023年2月)

『想いと想いをつなぐ演奏機会』#2
音も、気持ちも、シンクロする時間


林 彩花|AYAKA HAYASHI
楽器・音響営業本部 AP営業統括部 音楽普及グループ。高校吹奏楽部で人生観が一変し、音楽と教育に携わる仕事を志してヤマハに入社。管弦打楽器や海外音楽教室の営業を担当した後、2022年にスクールプロジェクトのチームに加わった。現在はインクルーシブ教育の推進と、アラブ首長国連邦、エジプトのプロジェクト運営を担当している。

渡辺一樹|KAZUKI WATANABE
楽器・音響営業本部 AP営業統括部 音楽普及グループ。大学時代に東南アジアで教育系のボランティアに携わったことから、グローバルに活躍できる企業を志し、ヤマハに就職。スクールプロジェクトでは、インドにおけるプロジェクト運営とデジタルコンテンツの制作を担当している。趣味はエレキギター演奏。
※所属は取材当時のもの

参考:
スクールプロジェクト概要はこちら

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