『音楽の未来を構想する「変身」技術』
未利用材を楽器へと生まれ変わらせる「アップサイクリングギター」。歌う人の声をリアルタイムで別人の声に変える「TransVox」。あるものをまったく別のものへと“変身”させ、音・音楽の新たな価値を創造しようとする取り組みには、共通するヤマハの想い「Key」がある。
未利用材を楽器へと生まれ変わらせる「アップサイクリングギター」。歌う人の声をリアルタイムで別人の声へと変貌させる「TransVox(トランスヴォックス)」。どちらも、あるものを技術や人の手で全く別のものへと“変身”させ、音・音楽の新たな価値を創造しようとする取り組みだ。そこに息づくのは、技術という「種」をしっかり育てて、世の中をより良い方向に変えていこうとする開発者たちの熱意――それこそが、この二つの取り組みに共通する「Key」である。
想像もつかない価値を創造する
「人々が求めていないところからイノベーションが現れることは往々にしてあります」。そう語るのはTransVoxの開発担当である才野慶二郎。例えば、世の中にまだスマホがなかった時代に、手のひらサイズの機械ですべてのことを完結させたいと考える人はほとんどいなかっただろう。「顕在化したニーズがなくても、新たな技術の『種』を温め、いろいろな形で世の中に提案し続ける。そういうシーズドリブンな姿勢が世の中を変えると思っています」(才野)。
TransVoxの基となった「歌声を分析する技術」も例外ではない。当時はどこにその技術を生かしたらいいか発想がなかったが、社内の仲間から協力を得て、「なりきりマイク」という、かつてない体験を生み出すことができた。今後もさまざまな分野への応用が期待されている。
アップサイクリングギターの企画者である松田秀人もまた、ゼロベースで価値を創造することの大切さを意識していると言う。「今回の取り組みは、既存のモデルをベースに考える通常のギター開発とは全く異なるものでした。手探りで大変なことも多かったけれど、物をイチから生み出すことの醍醐味を味わえました」。これからアップサイクリングギターを目にする人にも、一般的なギターと比較して良しあしを判断するのではなく、全く新しいギターとして注目してほしいと思っている。
そもそも、いまあるギターを別の木材で完璧に再現するのは不可能だ。「いくらサステナブルな取り組みだとしても、これまでのギターを模倣するだけでは、比べた時に『劣っている』と感じられて面白さが先細りしてしまいますよね。そうではなく、目の前にある木材の魅力や特性を見いだし、それを生かして新たな価値を生み出すことが私たちの目指す未来の楽器づくりです。それがほんとうの意味での持続可能性につながるのではないかと思っています」(松田)。
技術と感性の相乗効果
しかし、新たな価値を生み出すというのは、口で言うほど簡単なことではない。ひとりの力ではたぶん無理だ。多様な技術、多様な感性の掛け算があってこそ道が開けるのだ。
アップサイクリングギターの第二弾に当たるモデル「マリンバ」とモデル「ピアノ」は、さまざまな楽器を開発・生産しているヤマハだからこそ実現したものだ。例えば、マリンバの共鳴パイプをイメージしたゴールドの縁取り。デザイナーが描いたこの装飾を見た時、松田は前例のない金属製の縁取りを実現する難しさを想像した。「社内外のあちこちに相談した末、金管楽器の試作担当に話を持ちかけたら、『やってみましょう』と快く受け入れてくれました」(松田)。 その後も、金属加工に詳しい金管楽器の担当者や木工のスペシャリストであるギターの担当者らと議論を重ねながらプロトタイプを完成させた。「金属と木材でそれぞれ適した塗装や接着の手法も違うので、各方面の協力者たちの存在なしにデザイナーのイメージを具現化することは不可能でした」(松田)。こうした挑戦や横断的な工夫が、さらなるものづくりと技術の発展につながっていく。
同じように、TransVoxという「種」がなりきりマイクという形で芽吹いたのは、「マーケティング担当者の積極的な働きかけのおかげ」と才野は語る。まだ誕生して間もない技術に可能性を見いだし、すぐさま音楽レーベルとカラオケ店の運営会社にコラボレーションを提案。こうして世の中へ公開するゴールを決めたことが、技術改良に拍車をかけたのだ。
話が急テンポで進む中、「勝手に決めないでよ、と心の中で叫ぶこともありました。でも、彼らのひと押しがなければ、この技術は決して世の中に出ていなかった。チームだからこそ実現できたことだと感じています」(才野)。新しい価値を生み出す開発側の感性と、その価値を必要とする人に届けるマーケティング側の感性。両輪がそろったからこそプロジェクトが走り出したのだ。
新しい技術が描く、未来構想
常識外れのアイデアは、時に未来の青写真を塗り替えることがある。
「技術とは、望むと望まざるとにかかわらず、かならず誰かの手によって発展していきます。だからこそ、どんな未来を実現したいかを語り合いながら、世の中のためになる方向に発展させたいですよね」(才野)。
TransVoxは誰もが歌うことを楽しめる世界を実現する一歩になると、才野は信じている。「自分の声が嫌いだったり、自信が持てなかったり、さまざまな理由で歌うことを楽しめない人もいると思います」。そんな人たちが自分の声質を消し、ファッションを楽しむかのように別人の声を身にまとえば、苦手意識が軽くなり、いつしか歌うことが楽しくなるかもしれない。
あるいは、さまざまな事情で思うように声が出せない人に、歌う楽しみを届ける技術へと発展する可能性もある。
そもそも、「歌」そのものの定義が変わる時代がくるかもしれない。「いまは自分の声帯を振動させて音を出すことを『歌う』と呼んでいますが、技術が発展してその解釈が広がるかもしれません」(才野)。それは、TransVoxのようなシステムを介すことによるかもしれないし、声帯の代わりになるハードウェアを使うことによるかもしれない。「どんな技術があれば、より多くの人に歌う楽しみを味わってもらえるだろう? そう想像を膨らませるとワクワクしますよね」(才野)。
アップサイクリングギターの取り組みも、ギターのあり方を再構想するきっかけとなる。松田によると、歴史が長い楽器であればあるほど、すでに完成されたものとして扱われることが多く、ギターの世界でも伝統的なデザインを良しとする価値観が根強いという。「でも私は、楽器は時代とともに変化していけばいいと思っています。新しい良さを持った楽器が、演奏者の感性を刺激し、そこから新しい音楽が生まれていく。アップサイクリングギターがそのきっかけになればうれしいですね」(松田)。
ビンテージではない、私たちの時代の楽器。それは、これからギターを始めようとする人の好奇心をどれだけかき立てるだろうか。常識にとらわれない個性や魅力を持ったギターを世に送り出すことで、奏者により多くの選択肢を提案できたら、音楽はもっと面白くなるはずだ。
歌声をAIの力で変換するTransVox。未利用材を活用して、いままでにないギターを生み出すアップサイクリングギター。才野と松田は、周りにいるたくさんの人を巻き込みながら、技術が持つ可能性をチームの力で育て、声や木材の「驚くべき変身」を可能にした。それは、時代にも「良き変化」をもたらそうとする、ささやかな提案なのかもしれない。技術の「種」を、時に大胆に、時にじっくり丁寧に育てながら、彼らは今日も研究を続けている。
(取材:2023年7月)
『音楽の未来を構想する「変身」技術』#1 ギターの新しい価値を求めて
『音楽の未来を構想する「変身」技術』#2 “あの人”の声で、自分の歌を
展示に関する情報:
「楽器の木」展 アップサイクリングギター 第二弾『モデル「マリンバ」』『モデル「ピアノ」』
期間:2023年9月~2024年5月
場所:ヤマハ銀座店
共奏しあえる世界へ
人の想いが誰かに伝わり
誰かからまた誰かへとひろがっていく。
人と人、人と社会、そして技術と感性が
まるで音や音楽のように
共に奏でられる世界に向かって。
一人ひとりの大切なキーに、いま、
耳をすませてみませんか。
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